2014年12月25日木曜日

「ストックホルムでワルツを」

ジャズ・ボーカルの歌姫として紹介されることの多い、スウェーデンのモニカ・ゼータルンドの歩みをなぞった「ストックホルムでワルツを」(ペール・フライ監督)。まさに美貌といい、モニカを彷彿とする主演女優の歌唱と、製作陣が描きたかったであろうモニカ本人の生き様を際立たせたのは、色彩設計とファンション・メイクを含む美術力であった。劇場で観る価値ありである。
ここ10年くらいはめったに聞かなくなったジャズ。よく聴いていたころは、そんなに人となりに関する情報は多くなかったように思う。映画で明らかになったのは、アップダウンありのドラマ人生、こんな奴いるよねという「イヤな女」系であったりして。お国の言葉でジャズを歌う、モニカの音楽の価値がいかにしてスウェーデンという国で育まれたのかが分かったのはよかった。モニカの音楽、やっぱりクールだな。ワールドワイドな成功のきっかけ、日本語版のタイトルにかけてあるビル・エヴァンスとのジョイント・ワルツ曲も秀逸だが、昔から「イット・クッド・ハプン・トゥ・ユー」好きだったなぁー、さっそく『ワルツ・フォー・デビー』のCD取り出してかけ流してみる。

「ストックホルムでワルツを」の評価メモ
【自己満足度】=★★★★☆
【お勧め度】=★★★★☆

2014年12月10日水曜日

今年のクリスマスは…

ベースメント・テープス効果に増幅されボブ・ディランにとどまりすぎて、12月も中旬へというところだが、今年はいまだクリスマス・アルバムの新規購入をしていなかった。とりあえず、手持ちからエヴァリー・ブラザーズ(『クリスマス・ウィズ・ジ・エヴァリー・ブラザーズ』、2013/11/24)、エルヴィス・プレスリー、デヴィッド・フォスターのプロデュースによるVA盤(グロウン・アップした♪クリスマス・リスト、2013/10/30)、黒人霊歌のクリスマス曲集(『ブラック・クリスマス』、2013/11/21)と、これもVAでクリスマス・フォーカスではないけど封切りしていなかった『ゴスペル決定版~偉大なる女性ゴスペル名唱集』まで、かけ流してきたところ。ブラック系のゴスペル、カントリーもと今年のはこの流れで、、、
本日はケニー・ロジャース(ケニー・ロジャースの『クリスマス』、2013/11/22)で。後々、マルチナ・マクブライドからジョニー・キャッシュ&カーター・シスターズ(ジョニー・キャッシュのクリスマス・アルバム、2013/12/16)、、、このあたりは一年前の再履修のようだけど個人的には定番、フェイバリットの域に。

2014年12月1日月曜日

「紙の月」は、、、ペーパー・ムーンなのにね。

予告編とかで宮沢りえに魅かれて、吉田大八監督の新作「紙の月」。妙齢は超えたりえちゃん、確かにエロさはあるなぁー。それだけでよいかもしれないが、情事と逸脱の進行にカットバックで織り込まれたミッション・スクール時代の募金をめぐるトラウマ事件が、全くシンクロしていなくて心に響かないのが最も惜しまれる。主人公の女性の心理に接近できないということ。これは映画としての仕上がりの問題なのか、そもそものドラマ(原作?)の問題なのか。プロットの積み上げが作り物じみて、、、机上の、いや紙の上でのドラマツルギーにとどまってしまったのではとも。

「紙の月」の評価メモ
【自己満足度】=★★☆☆☆
【お勧め度】=★★★☆☆

2014年11月26日水曜日

「♪貧者ラザロ」で、たどってみる

ボブ・ディラン(Bob Dylan)&ザ・バンド(The Band)の『ザ・ベースメント・テープス』コンプリート版の最初のCD1、20番目のトラックは2000年の映画「オー・ブラザー!」(ジョエル・コーエン監督)で、多分に本邦でも認識が進んだ楽曲の一つである「ポ・ラザルス」。映画ではアラン・ローマックス(Alan Lomax)が1959年にミシシッピ州の刑務所で採録した受刑者らのワークソング調のバラッド歌唱が援用されたが、ディランはギター伴奏で歌っている。フォーク・シンガー、ディランとしてのレパートリーであったことは今回初めて知る。
「オー・ブラザー!」の音楽プロデュサーは、1970年代半ばのディランのプロジェクト・ツアー「ローリング・サンダー・レヴュー」に参加していたT=ボーン・バーネット(T-Bone Burnett)、継承と言える関連性はあるか気になるところ。
もっとも、ローマックスが最初にこのトラディショナル楽曲の系統をコレクションしたのは1930年代後期らしく各種のフォークソング・アンソロジー本にも収載されていたようで、ディランがどうした経緯で持ち歌としたかとの興味も。
余談だが、「ポ・ラザルス」をはじめとした巷のフォークソングをローマックス父子らがこれほどまでに収集し、文化財として継承できているのは、彼らの才覚とともに米国の議会図書館や公共事業促進局(WPA)が後押しした政策的な成果の色合いが濃いようにも思われる。1929年に始まった大恐慌に際して、フランクリン・ルーズベルト大統領の下、ジョン・メイナード・ケインズ流の経済思想を投影したとされるニュー・ディール政策の中に位置付いた「公共事業」の一部を成している。わが国では公共事業というと、道路や鉄道などハード構築のインフラ整備にとらわれた発想からいまだ抜け出せずにいる。フォークソングやブルースの収集・保存といった米国の例にならった日本であったなら、、、と考えずにはいられない。米国の事例についてもっと詳しく知りたいとも思うのだが、日本人研究者による解明はどの程度進んでいるのであろうか。

◆追記◆
「ポ・ラザルス」ディラン・パフォーマンス、1961年7月のニューヨーク・リバーサイド教会でのフーテナニー・イベントのラジオ音源に巡り会った。他の演目は「ハンサム・モーリー」、「オーミー・ワイズ」とコアなトラッド。

◆過去のメモ◆
「オー・ブラザー!」を聴き直す(2013/05/10)
T=ボーン・バーネットつながり(2014/07/08)

2014年11月21日金曜日

ベースメント・テープスの源流

ボブ・ディラン(Bob Dylan)&ザ・バンド(The Band)の『ザ・ベースメント・テープス』コンプリート版、CD6枚に収まった138トラックのうち4割強が自作曲ではないトラディショナルの解釈パフォーマンスや既存ポピュラー曲との戯れ。ディランらがインスパイアを受けたこうした源流楽曲のオリジナル・パフォーマンスを集めた英国版のコンピレーションCDを聴いていたことと、特集本「THE DIG Special Edition」の曲目解説を参考にし、これらの楽曲にフォーカスしてローテションを繰り返してみる。
コンピレーションCDは27曲収載でコンプリート版の1枚目および2枚目で取り上げられたものが多く、この前、言及した6枚目11番目のトラック「ゴーイン・ダウン・ザ・ロード・フィーリン・バッド」エリザベス・コットン(Elizabeth Cotten)の演奏で紹介されていて勉強になった。このコンピ盤、ジョニー・キャッシュ(Johnny Cash)、ジョン・リー・フッカー(John Lee Hooker)、ハンク・ウィリアムス(Hank Williams)、ハンク・スノー(Hank Snow)の持ち歌系統がそれぞれ複数ありものの、どういう訳か、2枚目に3曲取り上げているイアン&シルヴィア(Ian & Sylvia)のはどれも採用されてなかった。
そう、5枚目の16番トラック「ワン・カインド・フェイバー」は、例のハリー・スミス(Harry Smith)氏編纂『アンソロジー・オブ・アメリカン・フォーク・ミュージック』(1952年)のアンソロジー効果でファースト・アルバム『ボブ・ディラン』(1962年)でも取り上げたブラインド・レモン・ジェファーソン(Blind Lemon Jefferson)の「スィー・ザット・マイ・グレイヴ・イズ・ケプト・クリーン」に同じ曲だが、アレンジによる果敢な変貌。等々、トラディショナル系はもっと聴き込んでいかないと。

2014年11月11日火曜日

ブラインド・ボーイ・グラント

「ブラインド・ボーイ・グラント」は、1962年のファースト・アルバム制作に前後してボブ・ディラン(Bob Dylan)が使用していたブラインド・ネームで、雑誌への作品発表や録音がいくつかあるのだそう。ブートレッグ・シリーズ第11集に前後して入手したHumdingerシリーズのコンピレーションCD2枚組みで、デック・ファリーナ(Dick Farina)&エリック・フォン・シュミット(Eric von Schmidt)へのジョイント参加したパフォーマンスを初めて聴くことができて感激した。しかも、「グローリー、グローリー(レイ・マイ・バーデン・ダウン)」があり、別にディラン自身の「ウィル・ザ・サークル・ビー・アンブロークン」も収録されていて。これは、ブートレッグ・シリーズ第11集のボーナス・ディスクと聴き比べができるしね。
「ブラインド・ボーイ・グラント」クレジットではないものでは、キャロリン・ヘスター(Carolyn Hester)、ビッグ・ジョー・ウィリアムス(Big Joe Williams)やハリー・ベラフォンテ(Harry Belafonte)の録音への,、それなりに目立ったハーモニカ・サポート等も数曲収載。キャロリン・ヘスターの歌唱ってヘタうまだったんだね。「アイル・フライ・アウェイ」、結構好きかも。
シカゴでスタッズ・ターケルのラジオ番組とか、カナダ・モントリオールのフィンジャム・クラブとか、ここのところ聴き馴染んでカブる音源もあるけど、ジェシー・フラー(Jesse Fuller)の「サンフランシスコ・ベイ・ブルース」、マーダー・バラッドの代表格「バーバラ・アレン」とか、「プリティ・ポーリー」なんかも初めての出会いで嬉しい限り。

2014年11月9日日曜日

アンソロジーとしての、ザ・ベースメント・テープス

ブートレッグ・シリーズ第11集、待ちにまった、まさにブートレッグの中のブートレッグといえるボブ・ディラン(Bob Dylan)&ザ・バンド(The Band)の『ザ・ベースメント・テープス』、米国からの輸入盤でコンプリート版CD6枚を聴き通してしまった。若きディランに即したルーツ・ミュージックを考察していただけに、今年はタイムリーな出来事が重なり極みに。
1966年のオートバイ事故、ウッドストック、ビッグ・ピンク、地下室などのキーワードとともに、タイトルを含めて伝説化している海賊版『グレート・ホワイト・ワンダー』のシェイプ・アップした公認バージョンとして、あるいは1975年の正式なリリースで明らかにした一部音源によるアルバム『地下室』のアウト・テイク集として、とにかく成果が求められたというソング・ライターとしてのデモンストレーション仕事のバリエーションを慮って、等々、聴くアプローチもそれぞれでしょう。上記の理由により私の場合は、アンソロジーとしてが第一かなぁー。その時代、その境遇にして営まれたパフォーマンスの意味も考えつつ。
とりあえず、1曲のみメモ。ディスク自体がボーナスという6枚目、11番目のトラックが「ゴーイン・ダウン・ザ・ロード・フィーリン・バッド」。これは、ウディ・ガスリー(Woody Guthrie)が『ダスト・ボウル・バラッズ』(1940年)収載の「ブローイング・ダウン・ディス・ロード」でメロディーを転用した「ロンサム・ロード」が元歌なんだろうね。高田渡さんの歌にも同じ旋律があったよね?!ディランもまた『ラブ・アンド・セフト』(2001年)では別のタイトル・歌詞で録音しているとか?!!またしても変遷に興味。
とにかくに、この音源と豪奢なブックレット・写真集の読解は着手したばかり。確かに一生もの。国内盤のほうがハードル低かったかな。関連の出版物も期待しましょう。

◆追記◆
3枚目のディスクに2つのテイクで「アイ・シャル・ビー・リリースト」が。療養・隠遁期のディランにしてこその名演で、本当にすばらしい。マイ・コレクションでは『グレーテスト・ヒット第2集』(1971年)であったか、初めて出会った十代から印象深く愛着のある楽曲。ルーツ巡りでリフレクションしてきて、アメリカ音楽の揺籃で育まれたスピリチュアル、カントリー・ゴスペルの延長上にある楽曲であることがよく分かってきた。公式リリースはザ・バンド『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』(1968年)だったね。ブートレッグ・シリーズ第2集収載分との対比はという課題もあり。
『地下室』収載の「ユー・エイント・ゴーイン・ノーホエア(どこにも行けない)」も2テイクあり。同じく2テイクある「ミリオン・ダラー・バッシュ(百万ドルさわぎ)」はサビ旋律からして兄弟曲、この辺りはカントリー・テイストで好きなんだなぁー。
と、そこへ、特集本の第1弾「THE DIG Special Edition」が届く。日本人アプローチから読解の手立てに。楽しみは続く。(2014/11/18)
さらに、
ベースメント・テープスの源流(2014/11/21)
「貧者ラザロ」で、たどってみる(2014/11/26)

2014年11月3日月曜日

♪ジョン・ヘンリー

トレイン・ソングの「ケイシー・ジョーンズ」がらみで、鉄道関連で働き死に招かれる事態に逢着した市井のヒーローを歌い上げるバラッド、かつ、アメリカン・バラッドとしては最もよく知られ、ハンマー・ソングとも言われるコンセプトを有する「ジョンー・ヘンリー」。これが何と『アンソロジー・オブ・アメリカン・フォーク・ミュージック』(ハリー・スミス氏編纂、1952年)には、二つのバリアントが収録されていた。トラック・ナンバー18番、ウィリアムソン・ブラザーズ・アンド・カリィ(The Williamson Brothers and Curry)の「ゴナ・ダイ・ウィズ・マイ・ハンマー・イン・マイ・ハンド」と、同80番、ミシシッピ・ジョン・ハート(Mississippi John Hurt)の「スパイク・ドライバー・ブルース」である。前者のタイトル・クレジットでのパフォーマンスは初めて出会ったかな。
「ジョン・ヘンリー」に関しては、東理夫氏が『アメリカは歌う。歌に秘められた、アメリカの謎』で、現地調査を踏まえたレジェンドの検証を(マーダー・バラッドに秘められた謎、2011/12/04)、ウェルズ恵子氏は『フォークソングのアメリカ ゆで玉子を産むニワトリ』で、いくつかのバリアントについて歌詞に織り込まれた心象を分析していた。これらにより、アンソロジー収載の2曲の意図も分かるよう気もするが、、、よくよく、読み返してみねばね。あと、アルバムのブックレットにはレスリー・リドル(Leslie Riddle)の録音が存在することも示されていた。レスリー・リドルのパフォーマンス、聴いてみたいものである(ルーツをたどり、レスリー・リドルへ、2013/02/04)。

2014年10月29日水曜日

♪ケイシー・ジョーンズ

ハリー・スミス(Harry Smith)氏編纂の『アンソロジー・オブ・アメリカン・フォーク・ミュージック』(1952年)に収載されたバラッドでトラック・ナンバー24は、ファリー・ルイス(Furry Lewis)の「Kassie Jones,Parts 1 & 2」。そうか、別のブルース・コンピレーションCDでルイス「Cacey Jones Rambli' Mind)」っていうのがあった。身を挺して乗客乗員らへの被害を軽減した行動が、わが国の塩狩峠の鉄道事故(1909年)を想起させる、1900年4月30日、米ミシシッピ州内で起きた事故。殉職してヒーローと語り継がれるイリノイ・セントラル鉄道の機関士がケイシー・ジョーンズなのだそう。ジョン・ヘンリーに比する鉄道系悲劇のヒーロー・バラッドなんだね。
調べてみると、オリジナルの歌詞の一部はケイシー・ジョーンズの知人が書いたものらしい。まさにブロードサイドのバラッド文化。トレイン・ソングを集めた別なコンピCD集なども聞き直してみて、確かに、ケイシー・ジョーンズ、さまざまに歌われているね。ここでも、さらにそうか。「フライト・トレイン・ブギ」「ケイシー・ジョーンズ」のバリアントっていことか。

2014年10月27日月曜日

♪ソリタリー・マン&♪ハート、アメリカン・シリーズから

たまたま、TV放映から録画して観た映画でジョニー・キャッシュ歌唱に続けて遭遇したので忘備メモ。ともにアメリカン・シリーズのアルバム収載からか。『アメリカンⅢ』(2000年)でアルバム・タイトルかつ楽曲名が映画タイトルに等しい「ソリタリー・マン」(ブライアン・コッペルマン&デヴィッド・レヴィーン共同監督、2009)ではオープニング・テーマとして。こちらはスティーヴン・ソダーバーグが製作にかんでいるのに対し、リック・ベンソン系のプロデュース「コロンビアーナ」(オリヴィエ・メガトン監督、2011)には、『アメリカンⅣ』(2002年)の「ハート」がエンディング・テーマとして印象的に使われていた。
前者は老いらくマイケル・ダグラスが当たり役の放蕩ダメ男もの、後者はいかにもベンソンが描いたようなセクシー女キラーの復讐譚と好みにもよるだろるが、映画の内容としては、まあ、どうでもよいような、、、受け止め方。キャッシュのアメリカン・シリーズといえば現代アンソロジーといったコンセプトなのかな。「ソリタリー・マン」のオリジナルは作者でもあるニール・ダイヤモンドが1966年に録音、「ハート」の方はインダストリアル系ロック・バンド、ナイン・インチ・ネイルズの1994年だそうである。

2014年10月9日木曜日

「ジャージー・ボーイズ」

jazzyかと思いきやJerseyであった。ファルセット・ボイスのボーカリスト、フランキー・ヴァリを擁するニュージャージー州出身のフォー・シーズンズの足跡をなぞったジュークボックス・ミュージカルの映画化をクリント・イーストウッド監督が手がけた「ジャージー・ボーイズ」。ポピュラー音楽業界には、ありそうな栄光と挫折、そしてリカバリーのドラマをハリウッド力を駆使した映像を繰り出しで飽きさせない。まさにオールディーズそのものの楽曲群の魅力と歌い踊る俳優たちの力量は確かで演出も的を射ている。そして単純なエンターテイメントにとどまらない、メンバーの独白でつなぐプロット展開とヒューマン・ドラマとしての味付けがうまい塩梅なのだと思う。ミュージカル版も同じテイストなんだろうか、機会があれば観てみたい。
ミュージカル映画範疇で「舞妓はレディ」(周防正行監督)と比較してしまうのだが、フォー・シーズンズとしての最初のヒット「シェリー」、オリジナル・チームとフランキー・ヴァリの転機を刻んだ「キャント・テイク・マイ・アイズ・オフ・ユー(君の瞳に恋してる)」の両曲のキャッチが強く、ドラマツルギーのベースとなっているのが作品魅力なんだろう。
別途、「スコッチ・アイリッシュ」を考えてきたところが、この映画でボーイズは、都市部イタリア系移民のコミュニティを土俵としていた。彼らはカトリック、イタリア語の意思疎通が挟まれたり。音楽的にはリズム・アンド・ブルース出自というよりは都会的なポップ。でも、ドゥーワップ・スタイルのコーラス曲が多いからか黒人系がカバーしても全然面白い感じで、それがこのグループの妙か。プロデューサーのボブ・クリューって人物像もちょっと気になったな。ほかにどんな仕事しているんだろうか。そうか、「バイ・バイ・ベイビー」(クレジットは「君の瞳に恋してる」に同じくボブ・ゴーディオとの共作)はベイ・シティ・ローラーズがカバーしたんだったのね。
あと、なるほど、ジョー・ペシもニュージャージー出身か。

「ジャージー・ボーイズ」」の評価メモ
【自己満足度】=★★★★☆
【お勧め度】=★★★★☆

2014年10月6日月曜日

企画に引かれて、「イン・ザ・ヒーロー」から、、、

企画に引かれて劇場鑑賞してしまった映画を2題。
ブルース・リー世代、高校中退でアクション・スターを目指したという唐沢寿明の主演を想定したかのように、特撮ジャンルのスーツ・アクター、スタントもこなすアクション系俳優らにオマージュ捧げた「イン・ザ・ヒーロー」(武正晴監督)。2010年のシネカノン経営破綻後はどうしていたの?と思っていた李鳳宇が企画、エグゼクティブ・プロデュサーを務めていた。想定内の大甘なプロットはしょうがないかと思いつつ、映画愛も認められ、遊び心も見えるコメディタッチの緩さ加減に悪い気はしなかったとの感想。もっとも、大部屋キャリアで希代の斬られ役・福本清三にあて書きしたであろう「太秦ライムライト」(落合賢監督)、西の企画に対抗するかのような、東の東映内輪ネタ。映画製作現場の内幕ものって、確かにそこそこ興味を引き付けるけど、あんまし頻発するとモチベーションも下がるし映画ファンに媚過ぎている気もするなぁ。
映画製作の内輪ネタで過去の対抗佳作、わが国の歴史的な撮影所型製作方式へのノスタルジーと哀歓を込めた「ラストシーン」(中田秀夫監督、2001)だな。
ジョージ・バーナード・ショーの戯曲「ピグマリオン」のミュージカル化「マイ・フェア・レディ」があって、1964年のミュージカル映画「マイ・フェア・レディ」(ジョージ・キューカー監督)があるわけで、率直に面白そうな企画だと思った「舞妓はレディ」(周防正行監督)。京都・花街を舞台に、周防監督はまさにシンプルな翻案に取り組んだわけで、主演の舞妓志望の若手女優も感じよかったんだけど、全体として映画の出来は凡庸だったなぁ。姐さん舞妓で地元出身の田畑智子はこのタイミングでしかない当たり役だよね。でも、キャステングの骨子が周防組で固まっているのは感心できない。内向きでなく、別なチャレンジがあってよいのでは。この映画もプロットの甘さ、演出の甘さが気になる。それにも増して楽しみ具合が薄くなるのは、ミュージカルとしての音楽の水準かな。「アナと雪の女王」とまで言わないまでにしても、刷り込まれるほどの主題旋律や単に台詞を歌うというだけではない1曲や2曲のキャチあるテーマ歌唱がほしかった。そこは妥協なく。まあ、京都好き、京都が舞台の映画なので飽きずに見通しましたが。
現代京都・花街ものの対抗娯楽作は「舞妓 Haaaan!!!」(水田伸生監督、2007)に尽きるね。

「イン・ザ・ヒーロー」の評価メモ
【自己満足度】=★★★☆☆
【お勧め度】=★★★☆☆

「舞妓はレディ」の評価メモ
【自己満足度】=★★★☆☆
【お勧め度】=★★★☆☆

2014年10月2日木曜日

スコッチ・アイリッシュと♪アメイジング・グレイス

NHKのBS放送、再放映で「大河に時は流れる ミシシッピ川 /賛美歌 アメイジング・グレースの旅路」(2002年)という番組を拝見。奴隷商人であったジョン・ニュートンが航海中にインスパイアを得て歌詞を書いたというよく知られた逸話にも増して、「アメイジング・グレイス」が黒人系、白人系それぞれの歴史的社会背景をベースに歌い継がれている重層さに驚きを新たにした。ニュートンの歌詞ではない讃美歌として同じメロディーで歌う、先住民・チェロキーの苦難の歴史は初めて知った。キリスト教や西洋化をいち早く受け入れていたのに土地を追われたとは。
作者不詳とされる「アメイジング・グレイス」のメロディーについて、19世紀前半の楽曲集収載の「セントメアリー」や「ギャラハー」との相当説を紹介。ブリテン諸島ルーツを示唆しつつアパラチア地方で代々、フォークソングを歌う家系一族のレポートでもリアルな映像が見られて面白かった。でも、ここで気になったのは「スコッチ・アイリッシュ」「スコットランド系アイルランド人」と訳していたこと。スコットランド人なのか?アイルランド人なのか??、あらためて考えてみると大いに気になる。スコットランド本国では独立の是非を巡って先月、住民投票が行われたり、わが国へのスコッチ・ウィスキー移植をリスペクトするNHKの連続テレビ小説「マッサン」が始まったりしたばかりだし。
で、少しく調べてみるに、1700年前後のイングランドの攻勢で経済的に困窮したスコットランド人の中でもより居心地が悪いプロテスタント系が北アイルランド(アルスター)へ移民し、さらに1740年代初めの飢饉で米国へと渡っっていったという説明に遭遇。また、ブリテン諸島では使われない言い回しだとも。マーダー・バラッドもスコッチ・アイリッシュの営みと関係を密であることを説く、東理夫氏の著書『アメリカは歌う。歌に秘められた、アメリカの謎』では、凶作動因を1727年、1770年を含め幅広い年代とし、移民の起点もイングランドとスコットランドの境界地区からのボーダラーズおよび北アイルランドからとニュアンスの異なる説明だった。前者は狭義ととらえることもできるが、「スコッチ・アイリッシュ」と括られる移民群の動因・心因も重層的なんだろう。アイデンティティはどんなものか?でもやっぱり、「スコットランド系アイルランド人」の表現には違和感が残っている。

◆過去のメモ◆
♪アメイジング・グレイスに共通して、(2012/02/04)

◆追記◆
再学習として『ロックを生んだアメリカ南部 ルーツ・ミュージックの文化的背景』(著者・ジェームズ・M・バーダマン、村田薫両氏)をめくり返してみると(ルーツをたどり、レスリー・リドルへ、2013/02/04)、「スコッチ・アイリッシュ」とする表現は用いていないようだ。アパラチアへの移民として「先頭を切ったのはイギリス北部やスコットランド、アイルランドから来た土地をを持たない農場労働者や職人」(後にドイツ系やスイス系も)であり「プロテスタント色がきわめて濃厚な文化」を築いたとして説明、一方、彼ら移民が住む地域への蔑みを含む「つくられたイメージ」についても解き明かしていた。なるほど、これもまた忘れてはならない視点。
◆さらなる追記◆
今月に入ってからか、BS‐TBSの番組「SONG TO SOUL One piece of  the eternity―永遠の一曲」で「アメイジング・グレイス」の回を観ることができた。フォーカスはジョン・ニュートン、アレサ・フランクリン、ジュディ・コリンズらで特段の知見があった訳ではなかったが、生うたを披露したジュディのおばあさん然には感慨。歴史的にはジョン・ニュートンの歌詞は複数の旋律で歌われていたそうで、例の「朝日のあたる家」のメロディーによるバージョンもあると紹介していた。これは初耳。ちょっと、立て込んでそれっきりだったが、また聴き直してみねば。(2014/12/22)

2014年9月28日日曜日

『アンソロジー・オブ・アメリカン・フォーク・ミュージック』

アメリカン・ルーツ・ミュージックの渉歴で、このタイミングでハリー・スミス(Harry Smith)氏編纂の『アンソロジー・オブ・アメリカン・フォーク・ミュージック』に取り組むことに。このコンピレーション・アルバム、LPレコードでのオリジナルは1952年リリースだそうだが、CD6枚組みの版の新しいもので。開封しての感心はブックレット・資料集の充実度、情報源の注釈や楽曲については別レコーディングを提示してくれてありがたく、これだけでもお値打ち。録音が可能になって間もなくのバラッド、ソーシャル、ソングの大枠3分野で編まれた音源集、一抹の懸念はあったものの、意外とすんなり入って行けたのは、最近聴いていたアーティストたちのルーツがまさにそこにあるから。
例えば、クラレンス・アシュレイ(Clarence Ashley)は「ハウス・カーペンター」「クー・クー・バード」、それにカロライナ・ター・ヒールズ(The Carolina Tar Heels)のユニット名で「ペグ・アンド・オール」などを収載。コンピレーションCDで1960年代初頭のドク・ワトソン(Doc Watson)とのジョイント・ワークを聴いていたので感激。30年ほど前の録音ということで、アシュレイのライフ・ステージでは1960年代はまさしくリバイバルだったんだね。ボブ・ディラン(Bob Dylan)なら「スィ-・ザット・マイ・グレイヴ・イズ・ケプト・クリーン」などブラインド・レモン・ジェファーソン(Blind Lemon Jefferson)が3曲も。黒人霊歌、ゴスペルの変遷に関心を抱きつつ傾聴していた「ウィル・ザ・サークル・ビー・アンブロークン」の兄弟曲関連では「シンス・アイ・レイド・マ・バーデン・ダウン」のタイトルが収載、エドワーズ・マッキントッシュ・アンド・エドワーズ・サンクティファイド・シンガーズ(The Elders McIntorsh and Edwards' Sanctified Singers)のクレジットで1928年の録音となっている。第2巻ソーシャル・ミュージックの後半はゴスペル系でとりわけ心が動いてしまった。
あと、第1巻バラッドの先鋒「ヘンリー・リー」、云々、チャイルド・バラッド収載のマーダー・バラッドか?バリアント、バリエーションで耳に馴染んだものがあるようような、、、。調べてみると、確かににチャイルド・バラッドの46番「ヤング・ハンティング」との情報も。第1巻10番目のトラックはリチャード・バーネット(Richard Burnett)の「ウィリー・ムーア」、13番目はブラインド・フィドラーのG・B・グレイソン(G.B.Grayson)の「オーミー・ワイズ」などは、東理夫氏が著書『アメリカは歌う。歌に秘められた、アメリカの謎』の「アパラチア生まれのマーダー・バラッド」の章で言及・読解していた。後者は「オハイオ川の岸辺で(ザ・バンクス・オブ・ジ・オハイオ)」の元歌であり、その最も初期の録音だとか(マーダー・バラッドに秘められた謎、2011/12/04)。
この間の旅の総括として、ブックレットを読み解き、さらにこれらの音に親しみを深めねば。

◆追記◆
ブックレットにはリチャード・バーネットことディック・バーネットによる1913年のバラッド「フェアウェル・ソング」はよく知られたフォークソング「ア・マン・オブ・コンスタント・ソロウ」となったとある。録音もバーネットのものが最も古いらしい。とか、ブラインド・レモン・ジェファーソン(Blind Lemon Jefferson)の「スィー・ザット・マイ・グレイヴ・イズ・ケプト・クリーン」は、ミシシッピ・フレッド・マクダウェル(Mississippi Fred McDowell)のバージョンでは「シックス・ホワイト・ホーセス」のタイトルだとか、これもなるほど。また、G・B・グレイソンの相棒,、ヘンリー・ウィッター(Henry Whitter)はウディ・ガスリー(Woody Guthrie)、ボブ・ディランへとつながるギター&首かけハーモニカ・スタイルを取り入れていたとか。という具合で興味は尽きず。

◆過去のメモ◆
♪マン・オブ・コンスタント・ソロウ(2013/07/25)

2014年9月20日土曜日

「リトル・フォレスト 夏・秋」

オリジナルはコミックなんだろうは知りつつ、「リトル・フォレスト 夏・秋」(森淳一監督)。そこそこ大人になってからの生活のサイクルでは直接、マンガに接する機会がなくなってしましい、こうして映画などで間接的に遭遇するパターンが多くなっている。素直な感想は意外にもある意味、ヘンリー・デヴィッド・ソローの『森の生活』を想起させる思索の日々と受け止める。原作は読まずに観たので、そもそも何故に橋本愛が演じる若い女性が東北の寒村(“小森”なんだろうね)でスローな食を組み上げる自給生活にとどまっている(カットバックで一度の都会生活を経ての出戻りと分かるが)のかという、興味で引っ張られる。20世紀の末のエコロジー・ムーブメントの延長にあるのか、それだけではなくて、21世紀的な心象も潜んでいるよう。分校の後輩で同じく出戻りの男性をはじめこの集落にはリアル日本にはあえりえないと思われるほど若者が居たり、彼による全体のトーンとは異なる社会認識を語る強い台詞が挟まれたりはするものの、夏・秋編という前段からは明かされなかった。
こんな表現がマンガ発であるところが、また現在の日本。文字と言語による形而上学・評論が同様に活発であった方がよりよいと思うのだが。命を頂戴するあたまりまえの食生活は、都市化・分業化の極みか疎外関係に埋もれてしまはざるを得ない。イワナは頑張って映したが、アイガモのシーンはさすがに割愛したよう。「ブタがいた教室」(前田哲監督、2008)とも共通する食にまつわる根本テーマ。
それで、家の庭のトマトも収穫が盛りを過ぎたのでホールトマトで保存することにしました。あそう、岩手県・早池峰山で撮られたドキュメンタリー「タイマグラばあちゃん」(澄川嘉彦監督、2004)も思い出す。こちらは昭和の延長上。関心のある方は合わせて鑑賞されることをお勧めします。

「リトル・フォレスト 夏・秋」の評価メモ
【自己満足度】=★★★★☆
【お勧め度】=★★★★☆

2014年9月16日火曜日

個人的なディラン・リバイバル~♪船が入ってくるとき

今年は予想外のボブ・ディラン(Bob Dylan)への再傾倒の音楽探訪となっているが、個人的な再興・再認識といえるのがスタジオ録音では3枚目の『時代は変る』(1964年)収載の「ホエン・ザ・シップ・カムズ・イン(船が入ってくるとき)。それにつけ2014年の9月11日は、朝日新聞の社長が2件の「誤報」を認め記者会見した記憶にとどめ置かれるべきメモリアル・デー、何か社会の空気が不穏でモチベーションも陰る今日このごろ。ディラン「船が入ってくるとき」は旧約聖書的ファンタジックな世界を描きつつとても糾弾ともいえる攻撃的かつドラスティックな物語り歌唱だ。マーティン・スコセッシ監督の「ノー・ディレクシション・ホーム」(2005)では確かにジョーン・バエズ(Joan Baez)がディランの怒りを誘発した直接な出来事・ホテルでの門前払いの件を証言していた。こうした歌唱姿勢、「ライク・ア・ローリング・ストーン」1965年)の先駆けであったのか。攻撃的であるととともに、その実、自分を鼓舞するようなパフォーマンスが魅力だなぁーと、現在の自分に妙にフィットするのはそんな解釈でリフレクション。歌詞から意味をくみ取るというよりは、ディランがまま言うように「絵画のように楽曲を受け止める」感じで。テイクによって攻撃度は濃淡があるのだがブートレッグ・シリーズにはピアノ弾き語りがあったり、30周年記念コンサートではクランシー・ボーイズ(The Clancy Brothers)が歌っていたりと、とにかく最近引き付けられている。

◆追記◆
預言者語りの歌の系譜では、「船が入ってくるとき」「ライク・ア・ローリング・ストーン」ときて、「雨の日の女(レイニー・デイ・ウーマン#12&35)」(1966年)。「ライク・ア・ローリング・ストーン」では「ハウ・ダズ・イット・フィール」、「雨の日の女」では「エブリバディ・マスト・ゲット・ストーンド」の各リフレーンのインパクトとその言葉を吐く立ち位置が預言者の様。前者については漫画家の浦沢直樹氏もその刷り込み体験を某TV番組で語っていた。今回の再認識としては特に後者、「みんな、石で打たれるべき」!!!倒錯をはじめ性規範等への罪に対する礫刑が想起され、やっぱり深層は聖書世界かなぁ。云々、「#12&35」は何だったけ?

◆過去のメモ◆
♪ヒー・ワズ・ア・フレンド・オブ・マイン(2014/07/23)
♪連れてってよ(2014/09/13)

2014年9月13日土曜日

♪連れてってよ

ジ・アニマルズ(The Animals)のCD2枚組コンプリート・コンピレーション盤を聴きながら、「ベイビー、レット・ミー・テイク・ユー・ホーム」の元歌って、ボブ・ディラン(Bob Dylan)のファースト・アルバム(1962年)収載の「ベイビー、レット・ミー・フォローユー・ダウン」だなと思い当たる。最もトラディショナル・フォークであり、例によってディランの方もエリック・フォン・シュミット(Eric von Schmidt)とかデイブ・ヴァン・ロンク(Dave van Ronk)とかのアレンジを取り入れていたということらしい。
ということもあり、あらためて調べて返してみると「ベイビー、レット・ミー・テイク・ユー・ホーム」は1964年、アニマルズのデビュー・シングルであった。「ザ・ハウス・オブ・ザ・ライジング・サン(朝日のあたる家)」(1964年)はその次だというから、なかなか面白い。確か、エリック・バードン(Eric Burdon)は「朝日のあたる家」のインスパイアはディランのレコードではないと言っていたように記憶しているが、こっちはどうなんだ?ちなみに、「朝日のあたる家」はメンバーのキーボード奏者アラン・プライス(Alan Price)によるアレンジ、「ベイビー、レット・ミー・テイク・ユー・ホーム」バート・ラッセル(Bert Russell)とウェス・ファレル(Wes Farrell)の共作となっている。2人とも米国人だったか??両曲とも実際のところは???
「ベイビー、レット・ミー・フォローユー・ダウン」、以前記した元歌対比のコンピレーションCDにはブラインド・ボーイ・フラー(Blind Boy Fuller)の「ママ、レット・ミー・レイ・イット・オン・ユー」という結構歴史的な音源が当てられている。このパフォーマンス、かなりイケている。私にとっては十代の終わりに劇場で観た「ラスト・ワルツ」(マーティン・スコセッシ監督、1978)においてのロック・バージョン、リプリーズもあり、インパクトを残した楽曲であるのだが。云々、ディランも結構歌い継いでいるということか。
余談だが、フォーク・ロックの嚆矢であり双璧、アニマルズ「朝日のあたる家」ではアラン・プライスディラン「ライク・ア・ローリング・ストーン」(1965年)ではアル・クーパー(Al Kooper)と、オルガン・パートの妙とパフォーマンスのカッコよさが際立つ。

◆追記◆
「ベイビー、レット・ミー・テイク・ユー・ホーム」「朝日のあたる家」ともにアニマルズ(The Animals)のCDのライナー・ノーツでは、ジョシュ・ホワイト(Josh White)の録音からのインスパイアを示唆している。ジョシュ・ホワイト、初期のレッドベリー(Leadbelly)とかブラインド・レモン・ジェファーソン(Blind Lemon Jefferson)とかと接点があり米国レコード産業勃興期から録音を残している黒人音楽家の一人とは認識されるが、わが国においてはあんまし知られていないのかな。手元に録音ストックもなかったし、この人物とその足跡、新たなリサーチの課題。

◆過去のメモ◆
ディラン、ファースト・アルバムの元歌対比集(2014/06/08)
♪リング・オブ・ファイアーつながりてアニマルズへ(2014/08/20)

2014年9月3日水曜日

「マダム・イン・ニューヨーク」

ついこの前観たインド映画の感想(「めぐり逢わせのお弁当」、2014/08/23)で触れた、「日常会話での英語混ざり」がプロット展開にうまく織り込まれたのが、今回のインド映画「マダム・イン・ニューヨーク」(ガウリ・シンデー監督)。年に何度かは出会いたい、心の糧となる映画。今現在の国内外から報道として伝わる紛争・事件、国家・民族、居住地域や新旧のコミュニティあるいは家族内といった各階層での人間同士の対立を受け止めようとするにつけ、あらためて冷静なモチベーションに立ち返らせてくれる。また、自分史を顧みて母の心情を慮ったり。
インドから一人、姪の結婚式のためニューヨークを来訪するの主人公の女性は、経済成長と近代化の恩恵に浴する富裕ファミリーの主婦であり2児(長女が通うのはカトリック系ミッション・スクールだったかな?)の母。リベラルとコンサバティブの狭間に揺れる心情ドラマを内包したヒューマン・ストーリー仕上げが本作の味わいの深さ。「ジャッジメンタル」がキーワードとなりバランスが取り戻されたのかも。「めぐり逢わせのお弁当」ほどにはシリアスに向かわず、ポップな音楽とダンスがあり、コメディ調のスパイスも的を射ている。「めぐり逢わせのお弁当」で狂言回しを演じた弁当誤配送先の同僚青年に比するポジションとして、ニューヨークでマダムが決意して通うことにした英会話学校で迎えるゲイの講師の明朗な役柄がうまく機能している。
グローバリゼーションを好感的に受け止め多国籍・多民族の相互理解と絆に対する優しい眼差し、「スパニッシュ・アパートメント」(セドリック・クラッピシュ監督、2002)以来の遭遇かな。

「マダム・イン・ニューヨーク」の評価メモ
【自己満足度】=★★★★☆
【お勧め度】=★★★★☆

2014年8月28日木曜日

『時代は変る』のだが、、、

ボブ・ディラン(Bob Dylan)のブートレッグ系を聴きなが、待てよと、十代から『グレイテスト・ヒッツ』とか『傑作』(1978年)などのコンピレーション・アルバムやライブ音盤が中心の鑑賞だったのが、手元にスタジオ録音のオリジナル・アルバムはほとんどなかったと反省。先だって「ノー・ディレクション・ホーム」(マーティン・スコセッシ監督、2005)を観直して、気になっていた「ウィズ・ゴッド・オン・アワ・サイド(神が味方)」「オンリー・ア・ポーン・イン・ゼア・ゲーム(しがない歩兵)」が収載されていることもあり、『時代は変る』(1964年)を調達して聴き入ってしまった。
経時的には間もなく、トピカル・ソングから離れること公言するに至るディランであるが、両曲には自らの思考とは切り離せない詩作の才と立ち位置が見てとれる。50年を経てグローバルから伝わる紛争・事件を前にして、色褪せていないと思った所以。後のパフォーマンス、録音はあっただろうか。ただ、「神が味方」のメロディーは、アイルトランド人のソングライター・作家、ドミニク・ビーハン(Dominic Behan)作の「ザ・パトリオット・ゲーム」の旋律で、その旋律自体、大ブリテン島にルーツがあるという。この辺りのクレジット問題、もっと掘り起こされてよいようにも感じるが。
アルバム表題と同じ「ザ・タイムズ・ゼイ・アー・アチェンジン(時代は変る)」が封切りで、4曲目の「ワン・トゥー・メニ・モーニングス(いつもの朝に)」は基本的に同じ旋律で歌われる。内容と表現スタイルは陰陽をなしているものの。このアルバムはギターとハーモニカの自演、10曲の構成にして思い切りある試みだ。
「時代は変る」ディランが大ブリテン島ルーツに言及していた記憶があってような、さて、「しがない歩兵」の方はどうなのか、ライナー・ノーツなど明確な記述は見当たらなかったなぁ。
音楽曲としては10トラックで構成されたアルバムではあるが、一人称を基本として率直に自分を語り、個人的心象あるいは固有名詞を含む象徴的なイメージもちりばめられた、饒舌で冗長な11番目の詞「アウトラインド・エピタフス(あらましな墓碑銘)」が付帯していたことを、今回、アルバムを手にして初めて知った。これ向き合ってみると、色が付いた副次的な情報よりストレートにディランが理解できてくるような気にはなる。古いサウンド・言葉をつむいでルールにとらわれずに新しい歌を作っているのだとか。

◆参考◆
ドミニク・ビーハンに敬意を!YouTubeから引用、紹介です。神が味方へと連なる系統、ディランは1963年初頭の渡英で得たインスパイアか、あるいはグリニッジ・ヴィレッジにてクランシー・ボーイズ(The Clancy Brothers)経由か。


◆追記◆
29日には、ブートレッグ・シリーズ第11弾の発売決定のお知らせメールが届く。例の1966年に遭遇したバイク事故後の隠遁期、ビッグ・ピンクでのザ・バンド(The Band)とのセッションで『地下室(ザ・ベースメント・テープス)』(1975年)に収載されていない“公式”音源集ということで興味津々であるが、CD6枚+のデラックス・エディションに手が届くか。国内盤は11月中旬の発売予定だそう、よーく考えてみるか。

◆過去のメモ◆
ディランの♪フェアウェル(2014/06/01)
※楽曲「時代は変る」のルーツ関係で、
ボブ・ディランのコンスタント・ソロウ(2014/02/28)
ヒー・ワズ・ア・フレンド・オブ・マイン(2014/07/23)

2014年8月27日水曜日

「プロミスト・ランド」

米国では2012年12月の公開だそうだが、本邦ではやや遅ればせながらの「プロミスト・ランド」(ガス・ヴァン・サント監督)。技術革新により採掘・利用が可能な域に達してきた化石燃料の採掘権取得を巡り、米国中西部にはよくありそうな田舎町を舞台に巨大エネルギー会社のミッション成就に精を出す企業マンを核としたヒューマン・ドラマ。環境負荷ってきちん評価されているの、住民の生業である畜産・農業が直面する現況は厳しく「最後は金目」でほだされて、行く末は、、、と、いわゆる「シェールガス革命」の内実を見詰め直す材料を提供している社会派劇といってもよいが、必ずしも告発といったトーンには至っていない。この系統の映画が普通につくられてしまうことが、やはり米国の凄さか。
わが国ならどんなシュチュエーション?、中間貯蔵施設とか、そうそう、妙に原子力発電所関連を巡る地域事情とその歴史を連想させられてしまった。原発っていう素材じゃなくても、日本ではこんなコンセプトで撮ろうとする映画人はいなくなってしまったのだろうかとも考えてしまった。
田舎町だけにカントリー・ミュージックをもっと期待していたんでけど、演出なんでしょうがフランシス・マクドーマンドの歌唱とかねぇ、残念でした。

「プロミスト・ランド」の評価メモ
【自己満足度】=★★★☆☆
【お勧め度】=★★★☆☆

2014年8月23日土曜日

「めぐり逢わせのお弁当」

インド映画を観ながらいつも感じるのは、現実日常会話にもこんなに英語が混淆(チャンポン)しているのーってこと。舞台はムンバイ(私世代ではボンベイ)のか、「めぐり逢わせのお弁当」(リテーシュ・バトラ監督)は最近、本邦で公開されるインド映画にしてはめずらしくダンスのない(音楽はあるけど)、近代化あるいは産業社会化(インダストリアリゼーション)の狭間で幸福感を自問せざるをえなくなる、市井を写し撮ったよくできたヒューマン・ドラマであった。カセット・テープで聞く映画音楽の愛好者で、悩めるヒロインの弁当クッキングの指南役である「おばさん」は声のみのキャスト。而して、ヒロインと弁当が誤配送された先の会社勤めから引退間近のやもめ初老男とのシリアス基調の手紙交換を軸に、伏線は彼の後継となるらしい、自称「孤児」でつかみどころのない青年の狂言回しが塩梅至極のスパイス。ほとんど、この3人の描写あるいは掛け合いで構成されたプロットとその演出・編集に妙が見て取れる。
シナリオの法則というか、男女のすれ違い重ねで「切なさへの収斂」が予感される展開は、どこに落ち着くのか?興味はつながれるが、おそらくは鑑賞者のモチベーションに委ねられる。
一般論として、幸福感を見詰め直すようになれるのは社会が成熟を希求し始めた兆しとして好ましく思う。わが国ではどうなんだ。グローバールな経済社会でローカル各地のテイク・オフには、どんなランディングの諸相があるのかと。

「めぐり逢わせのお弁当」の評価メモ
【自己満足度】=★★★★☆
【お勧め度】=★★★★☆

2014年8月20日水曜日

♪リング・オブ・ファイアーつながりてアニマルズへ

ジョニー・キャッシュ(Johnny Cash)の評伝本『Johnny Cash : The Biography』(著作・Michael Streissguth氏)がらみて「リング・オブ・ファイアー」を調べていると、アニマルズ(The Animals)バージョンがあることに気づく。アニマルズ、とりわけエリック・バードン(Eric Burdon)のボーカルに心酔いていた友人の遺品を掘り起こしてみると、1968年の録音で聴くことができた。最近聴いてなかったけど、もともと好みのブリティシュ・インベンションの雄、CD2枚組のコンプリート・コンピレーション盤へと進む。やっぱ、サウンド、クールだね。
「ザ・ハウス・オブ・ザ・ライジング・サン(朝日のあたる家)」は、キーボードのアラン・プライス(Alan Price)となっているなど、やっぱり楽曲のクレジットが気になるなぁ。ボブ・ディラン(Bob Dylan)のファースト・アルバムより2年遅れの1964年の録音で、ちょうど渡英していたディランをかえって鼓舞したロック・テイストたっぷりの味わいが魅力だが、まあ、基本的にはデイブ・ヴァン・ロンク(Dave Van Ronk)の曲調がベースなんでしょうとも。
ほか、「アイム・マッド・アゲイン」ボ・ディドリー(Bo Diddley)の「アイ・アム・ア・マン」が元歌かと思うが、クレジットはジョン・リー・フッカー(John Lee Hooker)とか。マディ・ウォーターズ(Muddy Waters)の「マニッシュ・ボーイ」はじめ派生バージョンやカバーは多々耳にするが、フッカー版は記憶にないような、、、通して、聞き飽きないことに違いはないのだが。

◆過去のメモ◆
♪リング・オブ・ファイアー(2011/12/07)
「インサイド・ルーウィン・デイヴィス」(2014/06/19)

2014年8月7日木曜日

フォルサムからクレセント・シティにもどる

思い立って、ジョニー・キャッシュ(Johnny Cash)の評伝本『Johnny Cash : The Biography』(著作・Michael Streissguth氏)を読み始める。そうか、ジョニー・キャッシュがレコード会社との契約に向けてポイントとなった楽曲「フォルサム・プリズン・ブルースって、ポピュラーなジャズ系アレンジを手がけていたゴードン・ジェンキンス(Gordon Jenkins)作の「クレセント・シティ・ブルース」が元歌だったのか。ゴードン・ジェンキンスの主要なオーケストレーションの仕事は1950年代が中心で、ナット・キング・コール(Nat King Cole)、フランク・シナトラ(Frank Sinatra)など王道ですなぁ。
別にもう少々調べてみると、ゴードン・ジェンキンスが1953年にレコード化したこの楽曲のさらなるルーツは、ブギウギ・ピアノマンのリトル・ブラザー・モンモゴメリー(Little Brother Montgomery)が1930年代に奏でた「クレセント・シティ・ブルース」の旋律にさかのぼることができるという。そこそこのジャズ・スタンダード愛好者でいたつもりであるが、「クレセント・シティ・ブルース」、スタンダードというほどには認知されていないよなぁーとか考えつつ。フォルサムもクレセント・シティもカリフォルニア州にあると思ったが、クレセント・シティはおそらくニューオーリンズの別称なのだろう。この楽曲の変遷も面白すぎ。
評伝本にもどって、列車、監獄、殺人、アウトロー、ブルーな心情など米国バラッドに特徴的に好まれる素材で編まれた「フォルサム・プリズン・ブルース」の歌詞には、ジミー・ロジャース(Jimmie Rodgers)の「ブルー・ヨーデルNo. 1 (T・フォー・テキサス)」を下敷きした部分もあるとも。
ジョニー・キャッシュ、実際にフォルサム刑務所等でのライブを行い、それらの音盤化でキャリアの中興を築くわけだから(カントリー・レジェンド、2013/06/24フォルサム・プリズンのレジェンドといえば、2013/06/26)、この曲のなおさら意義深さに想い入ってしまう。

◆参考◆
「クレセント・シティ・ブルース」、YouTubeから引用、紹介です。


◆余談◆
「クレセント・シティ・ブルース」と同じように意外とスタンダードではない楽曲で思い出したのは、「マレフィセント」(ロバート・ストロンバーグ監督)でエンディング・テーマで採用されていた「ワンス・アポン・ア・ドリーム」。もちろん、アニメーション版「眠れる森の美女」(1959)の主題歌のカバーであるが、例えば、「白雪姫」(1937)の「いつか王子様が」ほどには受け入れられていないよね。「ワンス・アポン・ア・ドリーム」のムーディなオールド・ファッション、私は好きです。作詞・作曲者はそれぞれクレジットされているわけだが、アニメ版はチャイコフスキーのバレエ音楽をベースにしており、この楽曲のその一編をなすワルツ(いわゆる、ガーランド・ワルツ)がモチーフ。「マレフィセント」、特にコメントはないけど、「眠れる森の美女」は見直したくはなる。

2014年8月2日土曜日

♪スペイン革のブーツ、ってバリアントも

♪ヒー・ワズ・ア・フレンド・オブ・マイン(2014/07/23)のタイトル曲、「パス・オブ・ヴィクトリー」の流れできて再会、ボブ・ディラン(Bob Dylan)のブートレッグ・シリーズ第9集は『ザ・ウィットマーク・デモ』(2010年)には、「ガール・フロム・ザ・ノース・カントリー(北国の少女)」「ブーツ・オブ・スパニッシュ・レザー(スペイン革のブーツ)」が続きで収録されており、血縁性がむべに把握できる(ディランの♪フェアウェル、2014/06/01)。
「スペイン革のブーツ」の詩作は、ディランがニューヨークで出会ったミューズであるスージー・ロトロの渡欧というパーソナルなイベントとトラディショナル・フォークの「ブラック・ジャック・デヴィッド(またはデヴィー)」のヒントが化学反応したものであったか。これが本邦においては松本隆氏によって「木綿のハンカチーフ」に編み直されるとは面白すぎ。ディランにバリアント創作のきっかけを与えたマーティン・カーシー(Martin Carthy)版の「スカボロー・フェア」、そろそろ聴いてみるか。

◆参考◆
YouTubeから引用、紹介です。

◆追記◆
11月だったかなBS‐TBSの番組「SONG TO SOUL One piece of  the eternity―永遠の一曲」で取り上げられたサイモン&ガーファンクル(Simon & Garfunkel)の「スカボロー・フェア/詠唱」の回(たぶん再放送)を拝見。マーティン・カーシーもコメントを述べ、「スカボロー・フェア」の演奏も披露していた。マーティンの功績は、伝統のバラッド「エルフィンナイト」のバリアントの一つにギターによる伴奏を付けた旨の解説で、イワン・マッコール(Ewan MacColl)だったか無伴奏のレコードも流されていた。なるほどね。等々、英国でのバラッド研究者らの話は、あまりにも興味深い内容で一言一句、検討してみたくなる。マーティンによると、「北国の少女」ディランによる「アレンジ」の範疇として語っていたようだが、メロディーの由来については語っていなかったと受け止めたが、いかがなものか。(2014/12/02)

2014年7月26日土曜日

「私の男」

海外映画祭で受賞したからという話題性はあったものの、道内ロケーションを肝として熊切和嘉監督であるという動機で観てみた「私の男」。正直、文字の方が分かりやすいのだろうとの感想。おそらく、プロットは映画仕様に再構成されているのだう。画像・映像的に不満はないが、描こうとしたドラマと情念に共鳴するところがなかったのが分からなさの原因。映画話法には敢えて不足気味に語ることでの心象効果という手法があるが、多分に不足し過ぎではとも。
背中に引っ掻き傷?あったよね。
ドラマツルギーの成否の一方で、モチーフ旋律のドボルザーク引用は通俗すぎると受け取ったし。

「私の男」の評価メモ
【自己満足度】=★★★☆☆
【お勧め度】=★★☆☆☆

2014年7月23日水曜日

♪ヒー・ワズ・ア・フレンド・オブ・マイン

いまさらながら、これほどにはと、ボブ・ディラン(Bob Dylan)にのめり込んでしまい、ブートレッグ・シリーズの一部へと食指を伸ばしてしまい聴き始めるはめに。CD3枚組みの1枚め第1集(1991年)は、初期のアルバム・アウトテイクや出版登録用のデモが主で、ピアノ弾き語りがあったりのシンプルなサウンドと楽曲群は今現在の私の嗜好にフィットするもので大満足。「ブロークバック・マウンテン」(アン・リー監督、2005)で書き留めた「ヒー・ワズ・ア・フレンド・オブ・マイン」のディラン・バージョンを通して聴けたわけだし(〈ブロークバック・マウンテン〉を聴いてみる、2013/10/06)。ディラン自身はこの曲の元歌はブラインド・アーベラ・グレイ(Blind Arvrella Gray)というシカゴのストリート・ミュージシャンに教わったと言ってるそうだが。確かに、レッドベリー(Leadbelly)の「ショーティ・ジョージ」からは飛躍がある意義深きバージョン、パフォーマンスだと思う。
由緒ある、これぞトラッド「ハウス・カーペンター」があり、メロディ・ラインが「風に吹かれて」に援用された、オデッタ(Odetta)のスピリチュアル歌唱にならったであろう、「ノー・モア・オークション・ブロック」もしみじみ聴けた。ピアノ+ハーモニカを自ら奏でる「パス・オブ・ヴィクトリー」は、どこかハンク・ウィリアムス(Hank Williams)の「アイ・ソー・ザ・ライト」を思い起こさせる印象が強い。さて、ルーツ?は、、、
と、、、「パス・オブ・ヴィクトリー」、このタイトルに限ってはCD付帯のブックレットには示唆が乏しく、しばし思い出して、DVD「ダウン・ザ・トラックス:ザ・ミュージック・ザット・インフルエンスド・ボブ・ディラン」(スティーヴ・ガモンド監督、2008・英)によると、元歌はカーター・ファミリー「ウェイウォーン・トラベラー」だと指摘、さらなる発展形が「時代は変る」だとの説にも言及していた。

◆追記◆
ブートレッグ・シリーズ第9集は『ザ・ウィットマーク・デモ』(2010年)という、デモ・パフォーマンスの集成でCD2枚セット。かなりの楽曲が第1集と共通していて聴き比べるのが楽しい。「パス・オブ・ヴィクトリー」、こちらはギター&ハーモニカ伴奏だぞ。押し並べて音質がこもっているのが惜しいかな。
第9集のブックレットは音楽著作権ビジネスの実際、例示として幾ばくかの疑問には答えてくれた。惜しむらくは、私の関心度合いの高い楽曲の発生とバージョンの妙へのフォーカスが不足であったこと。(2014/07/27)

◆参考◆
たまたまの配信にあり、「ヒー・ワズ・ア・フレンド・オブ・マイン」、YouTubeからデイヴ・ヴァン・ロンク(Dave Van Ronk)歌唱の引用、紹介です。

2014年7月8日火曜日

T=ボーン・バーネットつながり

ボブ・ディラン(Bob Dylan)のルーツ・ミュージックと初期の楽曲パフォーマンスに思いのほか、のめり込んでしまい、、、渉猟しているうちに、1970年代半ばの特異なツアー「ローリング・サンダー・レヴュー」への随行はT=ボーン・バーネット(T-Bone Burnett)の初期のキャリアになっていることに気づく。なるほど、なるほど。残念なことに「ローリング・サンダー・レヴュー」のライブ音盤化は手元にストックしていなかった。
あと、このツアーは言われるように1975年が米国の建国200年である節目に際して、ミンストレル風の興業っていうモチーフがディランにはあったんだろうな。ここは日本人感覚では及びづらいところ。ディランはミンストレルをどうとらえていたかとか、なかなか興味は尽きない。
T=ボーン・バーネットの映画音楽での仕事、「インサイド・ルーウィン・デイヴィス」(2014/06/19)〈コールド・マウンテン〉も聴いてみる(2013/10/25)「オー・ブラザー!」を聴き直す(2013/05/10)〈クレイジー・ハート〉(2012/06/10)――で言及していた。
そのほかでも、「アメリカ、家族のいる風景」(ヴィム・ヴェンダース監督、2005)、「ウォーク・ザ・ライン/君につづく道 」(ジェームズ・マンゴールド監督、2005)の音楽プロデュースと作曲で、とてもよい仕事をしている。調べてみると、「ハンガー・ゲーム」 (ゲイリー・ロス監督、2012) ではエグゼクティブ音楽プロデューサーであった。こっちも観ているけど音楽の印象が思い出せない。ちなみに、「コールドマウンテン」(アンソニー・ミンゲラ監督、2004)ではサウンドトラックのプロデューサー?だったか。映画音楽の作者が別のクレジットでもサントラ系、エグゼクティブ音楽プロデューサーでの業績はまだまだありそう。この辺りの再リサーチしてみるか。

◆追記◆
T=ボーン・バーネットは、マーティン・スコセッシ総指揮によるブルース・プロジェクトの連作映画の一つ「ソウル・オブ・マン」(ヴィム・ヴェンダース監督、2003)ではミュージシャンとして出演し、J・B・ルノアー(J. B. Lenoir)の「ドント・ドッグ・ユア・ウーマン」を演奏していた。それにしてもアルバム、音盤のプロデューサーとしてのキャリアは傑出しているなぁ。ギリアン・ウェルチ(Gillian Welch)からエルヴィス・コステロ(Elvis Costello)、カントリー、ブルーグラスやブルース界の御大たち等々と、確かに嗜好がフィットする。
リサーチして分かったのでは、矢野顕子やディランの子息も手がけていたとは。
さらに、
「貧者ラザロ」で、たどってみる(2014/11/26)

2014年6月27日金曜日

♪ジョン・ブラウン、って誰だ?

『THE SPIRIT OF RADIO』のCDシリーズの『STUDS TERKEL'S WAX MUSEUM』でライブ演奏されている(ディランの♪フェアウェル、2014/06/01)、ボブ・ディラン(Bob Dylan)のスタジオ・アルバム未収載曲の一つ「ジョン・ブラウン」。戦争に送り出した息子が不具に変わり果てて帰還するプロットで構成されたアイリッシュ・フォークの「ミセス・マクグラス」のコンセプトを援用した作詞ということであるらしい。
反戦・厭戦歌であり、アイリッシュがオリジナルって「バターミルク・ヒル」、「シューラルー」「ジョニー、アイ・ハードリー・ニュー・イェー」の系譜が生まれた精神性とも関係しているのかな(♪ジョニーは戦場に行った、なの?、2014/03/02)。
類推でいくと「ジョニー」がフィットするとも思えるが、では、何故にディランは「ジョン・ブラウン」という人名をあてたのか。われわれ日本人にはあまり知られていない米国史の一角に、「リパブリック讃歌」の系譜に位置する「ジョン・ブラウンズ・ボディ」のバリアント(もしくは原型?)があることを思い出す。ジョン・ブラウンは南北戦争勃発以前のラジカルな奴隷解放運動家、タイトルにある「ボディ」は蜂起扇動に失敗したジョン・ブラウンが北部の連邦政府にって反逆罪で絞首刑とされた、彼の「屍」を意味するものであった。「ボディ」が「ベビー」に置き換えられたバリアント、日本語版の遊戯歌といった派生のありようにも驚く。人物の評価が一様には収まらず、歌世界では「ボディ」を想起せずにはいられない、この人名を冠したディラン歌唱、なかなか米国人が聞くようには聞こえていないだろうなぁと、ここでも痛感。

2014年6月22日日曜日

「スイートプールサイド」

とりあえず観てみた「スイートプールサイド」(松居大悟監督)。いかほどかプロットが進んでも、いや遂に終映まで心の落ち着き所がなかった映画である。笑う、照れる、期待する、蔑む、慮る、自戒する??原作は漫画ジャンルであろうとは容易に想像されたが。「青春剃毛映画」???品位を欠いた下ネタ・ギャグとは世界観が異なる。フェティシズムへの寛容を試されているかのごとく。この少女俳優の発話トーンと台詞語りは演出なんだろうか、そこは気になった。最近は製作委員会ものラッシュだけに、何故に歴史ある大手映画会社の企画・製作であったかも。漫画、オリジナルのテイストはどんなふう、、、という比較の鑑賞もあるだろうが、、、
サブカル臭、恐らくは意図されたのであろう居心地悪い感が最大の特色、カタルシスがないだけに、素直に「この映画が好き」と言うには難がある。

「スイートプールサイド」の評価メモ
【自己満足度】=★★★☆☆
【お勧め度】=★★☆☆☆

2014年6月19日木曜日

「インサイド・ルーウィン・デイヴィス」

あやうく見逃すところだった。ジョエル&イーサン・コーエン監督の新作、モデルにしたのはデイヴ・ヴァン・ロンクだっんだね。「インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌」、ちょうどボブ・ディランの初期の楽曲を聴き重ねていた私にとってセレンディピティな幸せ。まさにエンディング、グリニッジ・ヴィレッジのカフェで主演者の演奏と入れ替わりでディランとおぼしきパフォーマーが「フェアウェル」ディランの♪フェアウェル、2014/06/01)を歌い出しエンドロールにつながっていく(サウンドトラックはディラン)!!!
現在進行形でお気に入りのキャリー・マリガンが出ているもの多幸感が膨らむ。白い美しい肌、ルーウィン・デイヴィスとの悪態のやりとりでは演技の幅に感心しつつ。
ニューヨークという大都会の1961年、文化人やインテリゲンチャの関心の高まりがあってか、音楽ジャンルの中でもフォークは「金になりそう」な風向きの予感がただよい始めたころ、海員上がりで好きな音楽で生計を立てようと奮闘する男の生活のありさま、彼のガールフレンドや大学教授ら交友関係のキャラクター、この都会においてアパラチアの音楽と演奏者に対するアンビヴァレントなリアクション、、、コーエン兄弟が描出した映像はどれにも興味を引き付けられた。特に、私見では民衆音楽としてのフォークと、過度に商業化した音楽の大量消費時代突入の分かれ目のエピソードとしての意味合いにおいて。わが国と対比してみると見えてくるものもあったり。
「フェアウェル」、航海で旅立つ惜別ソングということでシンクロ効果もあり。しかし日本語表記としては「フェリウェル」というの方が適当か(そう聞こえる)。
映画のタイトルはデイブ・ヴァン・ロンク自身のアルバム・タイトルにちなんでっていう感じか?まあ、設定とプロットはリセットし直した創作としても、デイブ・ヴァン・ロンクディランの師匠筋だと思っていたのだが、マーティン・スコセッシの映画やロンクディランそれぞれの自伝で、また、2人の関係をたどりたくなった。例の「ヒー・ワズ・ア・フレンド・オブ・マイン」(〈ブロークバック・マウンテン〉を聴いてみる、2013/10/06とかも含めてね。
音楽は「オー・ブラザー!」(2000)でルーツ・ミュージックの新たなリバイバルをもたらした、T=ボーン・バーネットのプロデュースで(「オー・ブラザー!」を聴き直す、2013/05/10)、今回も相性のよさが発揮されている。ここにも聴き解く楽しみがあり。サントラ盤、どうしようか。

インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌」の評価メモ
【自己満足度】=★★★★☆
【お勧め度】=★★★☆☆

◆追記◆
ディスクをっ引っ張り出して、「ノー・ディレクション・ホーム」(マーティン・スコセッシ監督、2005)を観直してみる。インタビュイーらの立ち位置と発言内容、シチュエーションへの理解が進んできたと思う。この映画自体、多大なドキュメンタリー映画等の映像で再構成されているので、「アイム・ノット・ゼア」(トッド・ヘインズ監督、2007)を観た時に感じるデジャヴの誘因と思い当たる。デイブ・ヴァン・ロンクのインタビューはそこそこの分量が採用されているが、やはり、面白かったのは、ロンクが持ち歌としていた「朝日のあたる家」の我流コードを、ディランが初めてのレコード録音の際、借用を申し入れたものの断った、云々という件。収集・評論家からのレコード持ち出し事件といい、ディラン、そんなに忌み嫌われ憎まれているわけでもない。「ヒー・ワズ・ア・フレンド・オブ・マイン」ロンク・パフォーマンスの映像引用があったが、楽曲とディランの演奏についての言及はなかった。
同じく直接の説明はないけど、「アイラ・ヘイズのバラッド」♪アイラ・ヘイズのバラッド、2013/08/28)が作者のピーター・ラファージ自身による演奏のさわり映像も収録されていた。あらためて調べてみると、この楽曲のディラン版は1973年リリースのアルバム『ディラン』収載で録音は1970年ころらしい。「はげしい雨が降る」を巡るやりとりは、スタッズ・ターケルのラジオ番組に同じ。(2014/06/20)

2014年6月17日火曜日

「ぼくたちの家族」

石井裕也監督の新作で「ぼくたちの家族」。男の2人兄弟の子育てが終わりかけたかに見える郊外に住居を構える夫婦、「難病+ファミリードラマ」ジャンルということになるが、粗くくすみがちな映像トーンは何を表現しようとしているのか。開始早々の不安が増幅していく展開。そうだよなぁ、映画や近代文学の歴史って、「崩壊家族」の諸相だよぁ、、、リアル自分の立ち位置を顧みつつ低いモチベーションのままドラマは進んでいく。
而して、石井監督が描いた終結は、希望をつなぐ「家族再生」!??
映像トーンといい、車の凹み一つといい、監督の演出は行き届いている。であれば、この最初から崩壊していたと思われる家族に救いを与えたかに見える創作意図は何であったのか。長男の会社の上司であるとか、次男がセンカド・オピニオンを求め巡り会った医者であるとか、プロットの要所に人情味が顔を出すものの、例えば山田洋次監督の「東京家族」(2012年)といったふうに社会・コミュニティの不安定化が強調されいる訳でもなく、この家族が崩壊している深層も明朗には語られない。咀嚼することで味わいが出る仕上がりにはなっている。

「ぼくたちの家族」の評価メモ
【自己満足度】=★★★★☆
【お勧め度】=★★★★☆

2014年6月8日日曜日

ディラン、ファースト・アルバムの元歌対比集

ボブ・ディラン(Bob Dylan)のルーツ・ミュージック続きで、ファースト・アルバム『ボブ・ディラン』(1962年)の13曲に交互に想定される元歌を織り込んだ、総計26トラックのコンピレーションCDに巡り会ってしまった。収録ナンバーの多くは私にとって馴染あるとは言い難く、自分で探し編集し直すとなると手間がかかることを考えると、スムーズな聴き比べができ、ありそうでなかった好企画に感激するとともに、目からウロコのマイ発見もいくつか体験できた。クレジット上では、「トーキン・ニュー・ヨーク」「ソング・トゥ・ウディ(ウディに捧げる歌)」の2曲がデイラン作となっていたのかな、況やあらためて、若きディランの琴線に触れた元歌、ルーツ・ミュージックの香りにひたることができ、ディラン・パフォーマンスの特徴も際立って受け止められた。
そう、「イン・マイ・タイム・オブ・ダイイン(死にかけて)」ブラインド・ウィリー・ジョンソン(Blind Willie Johnson)の「ジーザス・メイク・アップ・マイ・ダイイング・ベッド」、元歌はニグロ・スピリチュアルだったんだ。思い当たって、フレッド・マクダウェル(Fred McDowll)のバージョンを手持ちのアルバムで2件(ひとつはインスト)確認することができた。ちなみにタイトルは「ジーザス・ゴナ・メイク・アップ・マイダイイング・ベッド」と、また少し異なるものの。ダミ声というか、しゃがれた歌声の意図も分かったようになったり。同じような感じで、「ゴスペル・プラウ」オデッタ(Odetta)の「ホールド・オン」だったのね。これもたどるとスピリチュアルなんだろうね。そうか、『フリーホイーリン』(1963年)の「風に吹かれて」では、やはりオデッタが歌っていたスピリチュアル「ノー・モア・オークション・ブロック」の、リフレインにフィットする旋律が参考とされているようだしね。ライブ盤『オデッタ・アット・カーネギー・ホール』(1960年)では両曲が続きになっていた。
してみると、ディランオデッタ好きがよく分かり、後々、ゴスペルを歌う姿に意外さはないなぁ。

◆追記◆
♪1913年の大虐殺(2014/01/17)

2014年6月1日日曜日

ディランの♪フェアウェル

アニタ・カーター(Anita Carter)のCDアルバム『RING OF FIRE』収載の「フェアウェル」(1964年録音)という楽曲はボブ・ディラン(Bob Dylan)クレジットになっていて、ディランの当時の公式盤には収録されていなく、いわゆる海賊盤の音源があり、近年の”公式”のブートレッグ盤シリーズにも収録されたという経緯であるらしいが、やっと、『THE SPIRIT OF RADIO』のCDシリーズ、『STUDS TERKEL'S WAX MUSEUM』ディラン本人のパフォーマンス(1963年)を聴くことができた。ラブ・ソングの範疇なんだろうが、ディラン・パフォーマンスはアニタとは別物、ワクワク感を醸すというかストロークがフォーク・リバイバルの鼓動を、歌声はチャレンジャーを体現している。
ライナー・ノーツによると、何と、「北国の少女」と同様に渡英時のマーティン・カーシー(Martin Carthy)らとの交流による感化が起点、イングリッシュ・フォーク「リビング・オブ・リバプール」(?)が元歌であるという。手持ちのトラディショナル・フォークのディスクを探ってみる。『ベスト・アイリッシュ・ソングズ』というコンピレーションCD集にローズ・マリー(Rose Marie)の歌唱版「ザ・リーヴィング・オブ・リバプール」が収録されていた。なるほどね、確かに、と興味惹起。云、でもイングリッシュ?、アイリッシュ?
ディラン・ソングのルーツ面白すぎだな。「北国の少女」再び、♪北国の少女、2014/04/29)といい、「ヒー・ワズ・ア・フレンド・オブ・マイン」〈ブロークバック・マウンテン〉を聴いてみる、2013/10/06)といい。そう、ウディー・ガスリー方式でトピカル・ソングに仕上げた「戦争の親玉(マスター・オブ・ウォー)」にメロディーを借用したという、ジーン・リッチー(Jean Ritchie)のアパラチアン・マウンテンズ・フォーク「ノッタムン・タウン」も最近、別のコンピ盤で聴くことができた。ノッチンガム(ノッチンガムシャー)辺りの地名なのかね、英国本家バージョンってあるのだろうか?あと、『Johnny Cash At San Quentin』(legacy edition)の「ウォンテッド・マン」が未解明(再び、ボブ・ディランとジョニー・キャッシュ、2013/07/14)だったね。

◆参考◆
YouTubeから引用、紹介です。「ザ・リーヴィング・オブ・リバプール」、グリニッジ・ヴィレッジの先輩格、クランシー・ボーイズ(The Clancy Brothers)のパフォーマンスで。

◆追記◆
『STUDS TERKEL'S WAX MUSEUM』を聴き進めると、1963年初頭の渡英でマーティン・カーシーに教わったバラッドが元歌の楽曲がさらにもう一つ。「ボブ・ディランの夢」は、「ロード・フランクリン」、または「レディ・フランクリンズ・ラメント」とか「ザ・セイラーズ・ドリーム」のタイトル知られている歌なのだそう。素直に、この曲への意識は薄かった、元歌系のバージョンを探してみいたが、今のところ行き当たらず。「北国の少女」とも1963年5月にリリースされた『フリーホイーリン』収載、スタッズ・ターケルのラジオ番組でのライブは同年4月26日となっているのも面白いところ。一番は、スタッズ・ターケルによるインタビューの聞き取りであるだが、、、
ライナー・ノーツに目を移してみて、さらにさらに、「ブーツ・オブ・スパニッシュ・レザー(スペイン革のブーツ)」マーティン・カーシーの影響下にあり「北国の少女」と兄弟曲を構成していることに、またまた驚く。こちらは1964年リリースのアルバム『時代は変る(ザ・タイムズ・ゼイ・アー・アチェンジン)』収載。この曲もマークしていなかった(『時代は変る』のだが、、、2014/08/28)。詩作としては、カーター・ファミリーはじめ米国でも広く歌われているブリテッシュ起源のバラッド、「ブラック・ジャック・デヴィッド(またはデヴィー)」にインスパイアということらしいが、この聴きたどり・検証は、また、あらためて。
『STUDS TERKEL'S WAX MUSEUM』の収載は以下の7曲(※印は公式スタジオ・アルバムでのリリースなし)。演奏の間にスタッズ・ターケルとの会話が挟まれている。ブロードサイド・バラッドやトピカル・ソングを昇華した詩作でボブ・ディランがフォークいわれる所以、あらためてであるがのめり込んでしまう。
 ①フェアウェル(※)⇒(「インサイド・ルーウィン・デイヴィス」、2014/06/19
 ②はげしい雨が降る
 ③ボブ・ディランの夢
 ④スペイン革のブーツ⇒(♪スペイン革のブーツ、ってバリアントも、2014/08/02
 ⑤ジョン・ブラウン(※)⇒(♪ジョン・ブラウン、って誰だ?、2014/06/27
 ⑥フー・キルド・デヴィー・ムーア?(※)
 ⑦風に吹かれて⇒(ディラン、ファースト・アルバムの元歌対比集、2014/06/08

2014年5月15日木曜日

「ブルージャスミン」

ウディ・アレン監督の新作で「ブルージャスミン」(2013)。ブルーはブルース(ブルーズ)のブルー、憂鬱の象徴であった。といっても、ウディ・アレンのことだからテーマ曲に据えたのはリチャード・ロジャース&ロレンツ・ハートによるスタンダード中のスタンダード、「ブルー・ムーン」。歴史的に受け入れられているという豊かな含みを有するだけに、この楽曲の選択は確かに適切だった。会話劇の面白みはいつも通り、過去のアレン映画になかったわけではないが、おちゃらかしいコメディに終始しないシリアスな主題が潜む。笑って終わらないリアリティって感じ、まあ、セレブリティ生活の経験はないのだけど。告発口調というのではなしに、金融投資で稼ぐ行為は詐欺と表裏一体と語っているよう。精神安定剤に依存せざるを得ない心の乱れ。ジャスミン、ジンジャー姉妹のネーミングと、彼女とも里親に育てられた血縁(遺伝子つながり)のない姉妹、という設定も妙に現代的で受け入れてしまった。
「ブルー・ムーン」は1934年の作品だそうで、多くのジャズ・ミュージシャンによって取り上げられ、映画ではロジャース&ハートの伝記ものの「ワーズ・アンド・ミュージック」(ノーマン・タウログ監督、1948)が皮切りだそう。エルヴィス・プレスリーの歌唱も知られている。個人的には、『セルフポートレイト』(1970年)でのボブ・ディランの歌声に驚き、「ニューヨーク・ニューヨーク」(マーティン・スコセッシ監督、1977)での使われ方が印象に残っているな。
あと、ビリー・ホリディとかW・C・ハンディのブルーなサウンドトラックもあったね。ビリー・ホリディが歌ったの何っていう曲だったか。

「ブルージャスミン」の評価メモ
【自己満足度】=★★★☆☆
【お勧め度】=★★★☆☆

2014年5月13日火曜日

「それでも夜は明ける」と、、、

久々に真っ当そうな鑑賞として、「それでも夜は明ける」(スティーヴ・マクィーン監督、2013)と、、、ウェルズ恵子氏の著作『魂をゆさぶる歌に出会う アメリカ黒人文化のルーツへ』(2014・02)に対峙。
「それでも夜は明ける」は。正直どうして今?と心情的に気が進まなかったものの、始ってみると、この間の音楽嗜好とかみ合った、まさにルーツをたどるフォーク、ワーク・ソングやゴスペルの彩りで助けられて感慨を持続しつつ見通すことができた。カタルシスには至らなかったが。感慨をもたらした情景のメモのいくつか、①黒人奴隷をキリスト教の福音をもって教化する比較的マシな部類の農場主②黒人奴隷と同様の労働に従事するまでに落ちぶれた白人によるその境遇を招いた虐げる側にあった心因の吐露③妻にも伍して黒人女を性奴隷としても支配する農場主④サトウキビやコット・フィールズでの農作業、リンチを含め過剰に残酷な奴隷の扱い(描写)、、、等々。
サッカー・バナナ事件のルーツ?、ナイジェリアで現在起こっていること、いわんや、わが国や世界の国のここかしこで拭えていない人間社会の歪み、自虐的であっても歴史は顧みなければという思いに戻しつつ、この上ないタイミングで『魂をゆさぶる歌に出会う』を読み通してしまった。ウェルズ恵子氏にはかなりの部分の関心事が重なるので興味深く読めたが、この岩波ジュニア新書、文字通りジュニア向けで文章表現は平易だけど、歌詞の解釈とか内容は難しい、奥深いねーぇ。
同書で触れている「ラン、ニガー、ラン」って、農場の監督役のポール・ダノが挑発的に歌っていた曲かな??これは、さすがに商業的なサントラ盤には収録していないだろうな。
ハンマーソングのコンセプト解説では「ロスト・ジョン」を例示し、そのパフォーマーとしてブラインド・ミュージシャンのサニー・テリーやそのカバー系統でウディ・ガスリーを紹介していた。あっそうだね、ボブ・ディランが「ウディに捧げる歌」で敬意を示した3人うちのひとりがサニーだったね。

「それでも夜は明ける」の評価メモ
【自己満足度】=★★★☆☆
【お勧め度】=★★★☆☆

『魂をゆさぶる歌に出会う アメリカ黒人文化のルーツへ』の評価メモ
【自己満足度】=★★★☆☆
【お勧め度】=★★★☆☆

2014年5月4日日曜日

『ジーン・リッチー and ドク・ワトソン at フォーク・シティ』

気になって調達した、CDで『ジーン・リッチー and ドク・ワトソン at フォーク・シティ』をしばし聞き流す。アルバム・リリースとしては1963年か。受け止めた感じとしてはヒルビリーとかカントリーというのでもなく、ソフィストケイテッドな都会のフォーク・リバイバルのパフォーマンスとは対極にある静謐なジョイント、なるほどフォークである。ホワイト・ゴスペルとしての「アメイジング・グレイス」は素朴でさえある。そういえばドク・ワトソン(Doc Watson)は、ニッティ・グリッティ・ダート・バンド(NGDB、Nitty Gritty Dirt Band)の『永遠の絆(ウィル・ザ・サークル・ビー・アンブロークン)』(1972年)ではインストゥルメンタル版に参加していた「ワバッシュ・キャノンボール」のボーカルが聴かれたのも収穫。17のトラック、吟味を要する。

2014年4月29日火曜日

再び、♪北国の少女

ボブ・ディラン(Bob Dylan)の「北国の少女」(1963年の『フリーホイーリン・ボブ・ディラン』収載)とサイモン&ガーファンクル(Simon & Garfunkel)の「スカボロー・フェア/詠唱」(1966年の『パセリ・セージ・ローズマリー・アンド・タイム』収載)は同工異曲で、1965年のアルバム・リリースで巷に知られることとなったイングランドのミュージシャン、マーティン・カーシー(Martin Carthy)版「スカボロー・フェア」を経過し、チャイルド・バラッド2番の「エルフィンナイト」とそのバリアント群までさかのぼることができるという話。「北国の少女」と「スカボロー・フェア」の旋律の違いは?、何故に、、、フランシス・ジェームズ・チャイルド氏が19世紀に収集・整理したバラッド集は、テクニカル面での時代の制約からか『梁塵秘抄』同様にメロディを記録しきれていないので、明朗ではないもののバリアントの範疇ではあるのだろう。この辺り、ウェブサイト「世界の民謡・童謡」収載の「スカボローフェアの謎」に詳しい(関心のある方は検索をお勧めします)。ディランもポール・サイモン(Paul Simon)もマーティン・カーシーに直接の面識と交渉があるという指摘が参考になった。この3人1941年生まれという共通点もあり。
に、しても、茂木健氏が『バラッドの世界/ブリティシュ・トラッドの系譜』(新装増補版、2005・08)で提起していたように著作権の登録とクレジットの問題が残るのだが。茂木氏はポール・サイモンに焦点を当てた指摘をしているが、ポール・サイモンの労としては、この時代を反映した「詠唱(Canticle)」を重ねたアレンジがミソか。云々、この英単語、気になってきた。一方、カーター・ファミリー、ウディ・ガスリーの延長上にいるディランの方も、この曲に限らずとうこともあり。

◆追記◆
ディランの♪フェアウェル(2014/06/01)

2014年4月17日木曜日

〈アイム・ノット・ゼア〉

ボブ・ディランの日本ツアーを記念して、録画ストックからトッド・ヘインズ監督の「アイム・ノット・ゼア」(2007)を再見、六層六様のボブ・ディランとしてパロディ表現を含んだ伝記語り、封切り時にも観たのだが、それ以降も読み解きの素養としては蓄積が進んでおらず、ほととんど新たな発見と感慨はなかったというのが率直なところ。フェイクの関係者インタビューなんかを含めて、ケイト・ブランシェット、ヒース・レジャー、クリスチャン・ベイル、リチャード・ギアら豪華なキャスティングと彼・彼女ら(ジュリアン・ムーア、シャルロット・ゲンズブール、ミシェル・ウィリアムズも)の演技に面白みがあり、ディランの音楽は使われているが、やはり読解の焦点は描出されたその時代と人物像の諸相である。

◆追記◆
「インサイド・ルーウィン・デイヴィス」(2014/06/19~20)

2014年3月30日日曜日

「バックコーラスの歌姫たち」

しばらく、スクリーン通いが薄くなっていたけど、やっとメモっておきたい作品に遭遇できたのが「バックコーラスの歌姫たち」(モーガン・ネヴィル監督、2013)。その名前がクレジットされることは稀だけど、彼女たちのパフォーマンスがなかったらポピュラー・ミュージックは何と味気ないものになっていたことだろうか。黒人系の牧師の娘が多いという個人史の音楽ルーツと、ロックを中心としたポピュラー・ミュージックの隆盛にはR&Bおよびゴスペルが培った音楽的背景があるアメリカン・ルーツ・ミュージックの成り立ちが重なりよく分かる。
アルバム『レット・イット・ブリード』(1969年)収載され、ツイン・ボーカルで傑出さに磨きがかかるローリング・ストーンズの「ギミー・シュエルター」、確かにメリー・クレイトンがクールだ。ドキュメンター映画の「ギミー・シェルター」(1970)も見直してみたくなった。そういえば、最近観たTV放映版「ボブ・ディランの30周年記念コンサート」(1992年)のハナで、ジョン・クーガー・メレンキャンプの「ライク・ア・ローリング・ストーン」は、似たようなボーカル編成だけど、女性シンガーのクレジットなかったよね?
「バックコーラスの歌姫たち」、米国ドキュメンターのつくりでありがちな、登場人物(発言者)と情報量が多くて受け止め方に惑う構成になっているだけに、もう何度か観て読解を進めたいというのが現在の感想である。

「バックコーラスの歌姫たち」の評価メモ
【自己満足度】=★★★★☆
【お勧め度】=★★★★☆

2014年3月26日水曜日

♪ジェシー・ジェームズ

録画ストックから、ウォルター・ヒル監督の「ロング・ライダーズ」(1980)を観る。音楽はライ・クーダーでシブくてよい感じ。何とタイミングよく、というべきか、ピート・シーガーもよく歌っていたバラッドの「ジェシー・ジェームズ」ストーリーだった。西部劇によく出てくるビリー・ザ・キッドとかワイアット・アープ、ドク・ホリディと同様にジェシー・ジェームズは、一般の日本人とって、映画の中の(悪漢)ヒーロー・キャラクターとしては知っているものの、実在の人物像や史実に関する認識は薄くって、宮本武蔵とか清水次郎長みたいな位置にある。最近の映画で「ジェシー・ジェームズの暗殺」(アンドリュー・ドミニク監督、2007)もあったけど、こちらは出来栄えもあってか、バラッドとの関係その他、心に響いて残るものはなかったな。
「ロング・ ライダーズ」ではウォルター・ヒルらしさがにじむ映像と演出に満足。強盗団の構成に史実をなぞって、キーチ、キャロダイン、クエイドの3組の兄弟による8人を充てたキャスティングもフィットしていて面白かった。
エンディング、ブロードサイド・バラッドでありマーダー・バラッドの範疇ともいえるこのバラッドが流れるが、歌っているのはライ・クーダー?、ロールに表示はなかったなぁ。楽曲のバージョンはピート・シーガーなんかが歌っている系統だと思うけど、そういえば、ウディ・ガスリーのって、別な楽曲に聞こえるけど、どうなんだろう、、、いくつか探ってみて、レッドベリーが歌っているのはタイトルが違っているね。「ホエン・ザ・ボーイズ・ワー・アウト・ザ・ウエスタン・プレーンズ」
バージョンの吟味と、ジェシー・ジェームズものの映画の視聴歴も見直してみなければと、たくさん課題ができてしまった。

2014年3月20日木曜日

ボブ・ディランの30周年記念コンサート、を拝見

1992年にニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで行われたボブ・ディラン(Bob Dylan)の30周年記念コンサートがNHK‐BSで放映され、まず、パート1を拝見。アルバムもビデオも持っていなかっただけにに嬉しい限り。やっぱり、だれがどの曲をどんな風に歌っているのかというのが、トリビュートものの楽しみかな。ん、しかし、もう20年以上も前の出来事だったんだ。ニール・ヤング(Neil Young)がすっきり若く見える。音だけでなく動き付きで観るならニール・ヤングのパフォーマンスが好き。ジューン・カーター・キャッシュ(June Carter Cash)とジョニー・キャッシュ(Johnny Cash)の「悲しきベイブ」は画的に貴重にも思えたり、クリス・クリストファーソン(Kris Kristofferson)のMCは意外でもあり、ディランとジョニー・キャッシュの出会いは1964年って言った?、、、印象的なパフォーマンスとしてはこの前半までではジョニー・ウィンター(Johnny Winter)の「追憶のハイウェイ61」かな。まもなくのパート2が楽しみ。

◆追記◆
パート2はというと、ロザンヌ・キャッシュ(Rosanne Cash)、メアリー・チェイピン・カーペンター(Mary Chapin Carpenter)、ショーン・コルヴィン(Shawn Colvin)の当時若手の面々による「ユー・エイント・ゴーイング・ノーホエア(どこにも行けない)」はカントリー・テイストが活きていた。終盤、コアな面子のジョイントによる「マイ・バック・ページズ」が、このコンサートの象徴かな。結構はまりそう。たぶん、初めて聴いたのは十代のころで『グレーテスト・ヒット第2集』(1971年)、初出は4枚目のアルバム『アナザー・サイド・オブ・ボブ・ディラン』(1964年)であったか。30年を経て、このコンサートのためにつくられたかのような含蓄に引き付けられる。一方でディランのソロ・パフォーマンスは素直に初視聴ではフィットしないと思いつつ、どう受け止めてよいのかと。
みうらじゅん氏が、エンディングでのディランとニール・ヤングの握手の意味に着目していたが、トム・ペティ(Tom Petty)も「雨の日の女」の歌詞にニール・ヤングを歌い込んでいたな。これはディランのオリジナルか?

2014年3月8日土曜日

この春はローズ・マドックスで、

廉価盤のCD4枚組シリーズでマドックス・ブラザース・アンド・ローズ(Maddox Brothers & Rose)を見つけてしまう。これはおお買い得だね。後半の2枚はローズ・マドックスのソロ・クレジット4枚を収載、これまで入手できていなかった『シングズ・ブルーグラス』(1962年)も入っていて嬉しい限り。「コットン・フィールズ」も歌っていたんだね。レッドベリー(Leadbelly)に近いサウンド解釈かな。
このファミリー・バンド、ヒルビリーからカントリー・ミュージックの王道を体現した明朗な大衆音楽なんだけど、ローズのボーカルには妙に引かれる。ガール・ネクスト・ドア的な親しみやすさと明るさに、ちょっと縮れた感じの声質あるいは生活の柄からにじむものなのか、心に響く(日本人が好きそうな)哀愁が潜んでいる。私にとっては元気が出る歌声。
一気に4枚聴いてしまう。3枚目にはローズ『グローリー・バウンド・トレイン』(1960年)ってアルバムもあるしゴスペル多いね。「グレート・スペックルド・バード(大きなまだらの鳥)」は初めて聴いた収穫、もちろん、「ウィル・ザ・サークル・ビー・アンブロークン」も。朗々と歌詞を歌うのが味わいかな。

2014年3月2日日曜日

♪ジョニーは戦場に行った、なの?

ウィーバーズ(The Weavers)のCD4枚組廉価盤は、4枚目の『アット・カーネギー・ホール第2集』(1960年)までたどり着いて、第6トラックの「バターミルク・ヒル」に聴き当たる。ロニー・ギルバート(Ronnie Gilbert)がリード、しっくりと「ジョニー・ハズ・ゴーン・フォー・ア・ソルジャー」と歌っている。
この「バターミルク・ヒル(ジョニー・ハズ・ゴーン・フォー・ア・ソルジャー)ピーター、ポール&マリー(Peter Paul & Mary)の「虹と共に消えた恋(ゴーン・ザ・レインボー)」に直結するバージョンだねぇと考えつつ、ここで前に、ミルト・オークン(Milt Okun)とPPMのモダン・フォーク化の功績として、アイリッシュ系フォークが元歌の「悲惨な戦争(クーエル・ウォー)をメモしたことも思い出す。同一ルーツ?、たぶん、「バターミルク・ヒル」をベースにオークンPPMチームはこの2つモダン・アレンジ、姉妹曲を創作したという理解でよいのだろう。
アイルランドのルーツ・ソングとしては、コーラスに残っている「シューラルー」というタイトルで呼ばれることが多いよう。英語なら「スロリー・ラン」かな??英語歌唱でない、よりオリジナルに近いものの聴いてみたくなる。ところで、バターミルク・ヒルって何?、どこ?、イメージわかなかった。
あと、何故に戦場に行くのはジョニーなのか?という課題も。ドルトン・トランボ監督の映画「ジョニーは戦場に行った」(1971年)の原題は「ジョニー・ゲット・ヒズ・ガン」で、オリジナルは自身が1939年に発表した同タイトルの小説という。そして、このタイトルの文言は第一次大戦中によく歌われた米国製軍歌に由来しているととも。さらに、アイルランド・ルーツの「ジョニー、アイ・ハードリー・ニュー・イェー」から南北戦争時代の帰還兵凱旋マーチにアレンジされたホエン・ジョニー・カムズ・マーチング・ホーム(ジョニーが凱旋するとき)っていうのもあるし。「バターミルク・ヒル」と「シューラルー」、「ジョニー、アイ・ハードリー・ニュー・イェー」、そして映画の「ジョニー・ゲット・ヒズ・ガン」の三つの系譜、直接的な関連はこそは今のところ見えてこないが底流にある厭戦・反戦のモチーフは受け止められる。

◆過去のメモ◆
アニタ・カーターとドクター・ストレンジラブ(2012/09/28)

2014年2月28日金曜日

ボブ・ディランのコンスタント・ソロウ

ボブ・ディラン(Bob Dylan)の「Constant Sorrow」というブックレット&DVD集をストックしていたのだけれど、ちょっと仕事で立て込んだのと録画ストックがたまり込んでいたので、なかなか着手できなかった。フォーク・フォーカスのルーツ探索なのかな。
このタイトルの取り方、当然、ディランが1961年録音のデビュー・アルバムに収載した「ザ・マン・オブ・コンスタント・ソロウ」に掛けていると思われるのだが。そろそろ、週末に読解したいと考えているが、、、。
その前に、DVD「ダウン・ザ・トラックス:ザ・ミュージック・ザット・インフルエンスド・ボブ・ディラン」(スティーヴ・ガモンド監督、2008・英)があった。分かりやすい読み解きかというと、そうではない。しかし、確かにボブ・ディランはアメリカン・ルーツ・ミュージックの揺籃で育ったという内容になっている。バラッドの多様なバージョンの有り様、ウディ・ガスリー(Woody Guthrie)が示しているように、旋律の借用やコンセプトの再構築による創作という手法に接近できている。
1962年のデビューアルバム収載、ブラインド・レモン・ジェファーソン(Blind Lemon Jefferson)の「スィー・ザット・マイ・グレイヴ・イズ・ケプト・クリーン」をはじめ、いくつかの楽曲への着目から示唆を得る。カーター・ファミリーの系譜もこんなにあるのだという感じ。「ウェイウォーン・トラベラー」から「時代は変る」説もあるんだって!?
レッドベリー(Leadbelly)は、自身の生涯が1976年に同名のタイトルで映画化されているそうで、発掘の功績者とされるジョン・ローマックス(John A. Lomax)との関係の部分が引用されナレーション内容とあわせてシニカルなトーンに興味を抱いた。「レッドベリー」、本邦未公開かな、これはこれで通して観てみたなぁ。
あと、英国人フォーク・シンガー、マーティン・カーシー(Martin Carthy)がディランに教えた曲の一つが「スカボロー・フェア」で、その焼き直しが「北国の少女」だとの指摘も。マイク・ニコルズ監督の映画「卒業」(1967)で馴染みが深いサイモン&ガーファンクル(Simon & Garfunkel)の「スカボロー・フェア」の源泉について多くの日本人は関心が薄いのだが、ディランつながりもあるのかと。
ん、でも、このDVDでは「ザ・マン・オブ・コンスタント・ソロウ」への言及はなかったな。

◆追記◆
「Constant Sorrow」はインタビュー集だったので、結果、ブックレットを参照した方が分かりやすいのかと。アルバムでいうと、『ボブ・ディラン』(1962年)から『ナッシュビル・スカイライン』(1969年)までの読み解き。

再び、♪北国の少女(2014/04/29)

2014年2月25日火曜日

アニタ・カーターとハンク・ウィリアムス

ちょと前、YouTubeからの配信メールにハンク・ウィリアムス(Hank Williams)とアニタ・カーター(Anita Carter)のジョイントがあったので紹介します。「I Can't Help It」、私は初めて見ました。アニタ・ファンにとっては嬉しい限り。とても貴重だと思うのだけど、このカップリング、他のパフォーマンス映像もあるのかしら、もっと観てみたい。
カーター・ファミリーの評伝でこの二人の関係を記述していたことも思い出す。読み返してみなければ。


◆追記◆ ハンク・スノウ(Hank Snow)とのカップリングもありました。これもYouTubeからの配信より。(2014/09/09)

2014年2月21日金曜日

ウィーバーズまで戻って、♪バリー・ミー

ピート・シーガー(Pete Seeger)追悼鑑賞シリーズで、ウィーバーズ(The Weavers)まで戻ってしまう。CD4枚組のシックス・クラシック・アルバムという廉価盤。『アット・カーネギー・ホール』(1957年)から始まっている。1枚目の20トラック分、これは以前ストックしていた別の廉価盤に断片的に収録されているなぁ。正直、十代に音楽を聴き始めたころ世代的なものなのか、ピーター、ポール&マリー(Peter Paul & Mary)は聴いていたけど、ウィーバーズには及ばなかったなぁ。PPMはモダン・フォークだけど、ロニー・ギルバート(Ronnie Gilbert)の紅バランスの妙などスタイルの原型はやっぱりウィーバーズ。でもウィーバーズの魅力は源流と言っていい楽曲群にあって味わいが違う。「シックスティーン・トンズ」って、マール・トラヴィス(Merle Travis)の炭鉱ソングか?
2枚目まで聴いてきて、カーター・ファミリー・クラシックスが2曲あったり。古色がゆかしい「アイ・ネバー・ウィル・マリー」「バリー・ミー」とクレジットされているのは「バリー・ミー・アンダー(ビニース)・ザ・ウィロー」だね。この曲、素直な歌詞の印象は陰だけど、パフォーマンスは意外と陽なものが多い気がする。例えば、ファミリー直系のアニタ・カーター(Anita Carter)版は邪気がなく爽やか。スタンリー・ブラザーズ(The Stanley Brothers)のはカーター・ファミリー版から派生したであろうブルーグラスならではの演奏スタイルに興味が引かれる。歌詞通りのサウンドを奏でているのは、ロザンヌ・キャッシュ(Rosanne Cash)かなと思う。これらの解釈の違い、意味合いはいかなるものか、、、ウィーバーズもしかり、陽を装うというバランスに意味を見い出せそう。
「バリー・ミー」の次のトラックに収録されているのは「オールモスト・ダン」、、、っつて、聴いたことあるなと考えて、ジョニー・キャッシュ(Johnny Cash)の『アット・フォルサム・プリズン』レガシー・エディション盤(2008年リリース)に収載されていた監獄ソング「アイ・ガット・ストライプス」の元歌なのーぉ(?)と思い当たる。ウィーバーズ歌唱は1959年のアルバム『ジ・ウィーバーズ・アット・ホーム』から、調べてみるとジョニーも同年にシングル盤でリリースしていたことを知った。そうそう、ジョージ・ジョーンズ(George Jones)歌唱もよかったね(2013/08/25記)。
全編、じっくりと聴いていかねば。

2014年2月15日土曜日

ザ・ソングズ・オブ・ピート・シーガーの続きで、

追悼鑑賞、ザ・ソングズ・オブ・ピート・シーガーは第1集「ホエア・ハブ・オール・ザ・フラワーズ・ザ・ゴーン」(1998年)から第2集『イフ・アイ・ハド・ア・ソング』(2001年)へと移行。邦人にとっては馴染みが薄い面々と、なかなかバックグラウンドまでには思いが至らない楽曲多々のトリビュート・パフォーマンスという点では第1集に共通しているもの、16トラックの皮切りは、ジャクソン・ブラウン(Jackson Browne)とジョーン・バエズ(Joan Baez)のキューバ音楽「ガンタナメラ」だ。第1集ではブルース・スプリングスティーン(Bruce Springsteen)の「ウィー・シャル・オーバーカム」があったが。、、「ガンタナメラ」、これは結構ポピュラーに知られた曲、グアンタナモの女って意味?、、、2001・9・11以降、少々フォーカスが当たった、21世紀にして米国がハイパー軍事租界を運営するかの地であろうとは、、、ここにも感慨。
ピート自身とアロー・ガスリー(Arlo Guthrie)のジョイントが2曲あるのも特徴。その一つが「66ハイウェイ・ブルース」、ウディ=ピート・ラインの曲らしいが、オリジナルは聞いていたか?気になるところ。これもピートが参加しているが、ウィーバーズ(The Weavers)時代の活動で知られた「トーキング・ユニオン」はラップというかヒップ・ホップ調に仕上がっている。いわゆるトーキング・ブルースをはじめ、歌詞の表現スタイルから派生した音楽文化、ルーツ・ミュージックの意味をあらためて噛み締める。こちらは、パーフォーマーの探究。やはり、ウィーバーズ時代からの「イフ・アイ・ハド・ア・ハンマー」は、第1集と第2集ともに異なる演者で収録、とりあえず、前者、ナンシー・グリフィス(Nanci Griffith)のパフォーマンスは好きになってしまった。

◆参考◆
YouTubeからの引用、紹介です。

2014年1月31日金曜日

『トラディショナル・クリスマス・キャロルズ』

ピート・シーガー(Pete Seeger)追悼の鑑賞で、『トラディショナル・クリスマス・キャロルズ』(1989年リリースのCD、オリジナルは1967年)に戻ってかけてみる。これあんまり、聴いていなかったなぁ。13のトラック、たぶん日本人に知られた曲は「ファースト・ノエル」、「ホワット・チャイルド・イズ・ディス?」くらいで、最初に聴いた時は、確かにフォークといった随分と地味な印象であった。本日は寒気がつのる雪ということもあってか、随分とモチベーションがフィットしてしまう。楽曲にのめるというよりは、バンジョー弾き語りのパフォーマンスが面白い。

2014年1月29日水曜日

ピート・シーガーを悼む日に、

昨日、ネット上で知ったのだけれど、本日朝刊にピート・シーガー(Pete Seeger)の訃報が掲載、94歳であったとのこと。実に、ピート・シーガーの足跡とパフォーマンスって知っているようで、ほんの一部しか見えていなかったと思う。記事中で紹介されている曲は、特に本邦においてはカバーバージョンがヒットして認知されているもの多いし。
ここのところのフォークとルーツソング探訪で見えてきた、アラン・ローマックス(Alan Lomax)のつながりとか、マイク(Mike)やペギー(Peggy)はじめ音楽一族の系譜、夫人が日系人という経緯といった辺りを、もう少し知ってみたい。訃報記事にはストレートには表現されていないけど(わが国の言論状況を反映しているのか)、ピートはレフトサイドの人生を実直(?)に歩んだ。そこのところ、米国とその音楽界ではどう受け取られているのか、また、気になるところだ。
ということで、本日からピート・シーガーの手持ちCDを聴いていくことに。コンピレーション版で『クリアウォーター・クラシックス』(1993年)、クリアウォーターはハドソン川か?、エコロジーの象徴・先駆けであったり。ライブのパフォーマンスよいね。
「漕げよマイケル」とか。子どものころから知っている歌で、何とはなしにニグロ・スピリチュアルだとも記憶しているが、いわゆるゴスペルとして歌われたものは聴いたことがないな。成り立ちが気になるところ。

◆追記◆
4日付の朝日新聞には、なぎら健壱氏の追悼文と投稿欄には読者の声が掲載されていた。確かに共鳴しつつ、やはり日本人には見えていなかったところの方が大きいのではとの思いが募る。追悼鑑賞はトリビュート盤CDへ、第1集『ホエア・ハブ・オール・ザ・フラワーズ・ザ・ゴーン ザ・ソングズ・オブ・ピート・シーガー』(1998年)。
これも今さらながら、このアルバムはタイトル通り、ピート・シーガーがつくった(作詞した)楽曲を軸に編まれている。参加ミュージシャンはそれぞれ持ち味のパフォーマンスをこなしているものの邦人にとっては縁遠い面々が多い。トラディショナル・クレジットのナンバーが少ない分、元歌(?)とパフォーマーへの理解を深めたいと思いつつ。

『トラディショナル・クリスマス・キャロルズ』(2014/01/31)
ザ・ソングズ・オブ・ピート・シーガーの続きで、(2014/02/15)
ウィーバーズまで戻って、♪バリー・ミー(2014/02/21)

2014年1月27日月曜日

《エルヴィス・プレスリー》を読んでいると、

地上波で放映された「依頼人」(ジョエル・シューマッカー監督、1994)を流して見ると、エルヴィス・プレスリー記念病院というのがロケーション舞台の一つとして映し出された。移り気で集中していなかったせいか、吹き替えかつ放映用編集が施されていためか、映画の面白さに加えて、この病院引用の意味が十分に理解できなかった。といって、録画をもう一度回してみても同じ結果のような。ジョン・グリシャム原作だし、ちょうど、東理夫氏の『エルヴィス・プレスリー』(1999年)を読み始めたところだし、ひっかかりはあるな。簡易に検索で調べた範囲では、メンフィスにおいてファンクラブの基金で運営されている病院とのことだが、、、。読み進めつつ思い起してみることに。
映画は、躓きの石を踏んで後、再起に歩み出そうという弁護士役のスーザン・サランドンは当たりに見えたが、連邦検事役の トミー・リー・ジョーンズはどうだろう、スーツを着た映画の記憶はなかったなぁ。

2014年1月17日金曜日

♪1913年の大虐殺

コンピレーションCD『アメリカン・マーダー・バラッズ』の2枚では、今さらながら、「1913 マスエカー」が耳に留まる。旋律と曲調はボブ・ディラン(Bob Dylan)のファースト・アルバムに収載された「ウディに捧げる歌」のままといっていい。歌っているのは、ランブリング・ジャック・エリオット(Ramblin' Jack Elliot)。もっとも「1913 マスエカー」のオリジナルはウディ・ガスリー(Woody Guthrie)なので、ディランの録音については、その歌詞とともに、元歌のメロディを昇華して時事を語るに長けていたウディの手法を踏襲した創作という意味でも味わい深かった功績だと思う。
「1913 マスエカー」、これも日本人には縁遠い事件なんだろうな。マーダー・バラッドというよりはトピカル・ソングと受け取れるが、これまで日本語で解説されたものに巡りあった記憶がないような、、、ミシガン州の銅山労働者のストライキにまつわる事件らしいが、なかなか歌声からだけでは全体像と背景が分からない。気になってきた。

◆追記◆
ディラン、ファースト・アルバムの元歌対比集(2014/06/08)

2014年1月11日土曜日

本年、最初のテーマはマーダー・バラッド

新年明けてクリスマス・アルバムから離れて、最初に封を切ったCDが最近よく店頭で目にする輸入盤コンピレーションものの1点で『アメリカン・マーダー・バラッズ』という2枚組50曲。まだ、1枚目から先に進んでいないけど、昨年も「コカイン・ブルース」「フランキー・アンド・ジョニー」「フォルサム・プリズン・ブルース」などを聴いてきただけに、これがなかなかフィットしてまった。ここまで気になったのは「ジョン・ヘンリー」。これマーダー・バラッドの分類でいいんだろうか?レッドベリー(Leadbelly)が歌う「ホエア・ディド・ユー・スリープ・ラスト・ナイト?」「朝日のあたる家」の旋律だな?この関連はいかに?本年の探究はこの辺りから進めていくことに。
楽曲のよさにが分かるVA盤ならではの多彩なパフォーマーにも興味津々。結構、初聴のクレジット・ネームも見えて。ギター・プレイもかなり聴き応えあり。

◆追記◆
マーダー・バラッドに秘められた謎(2011/12/04)
♪コカイン・ブルースって、、、(2013/08/02)
♪1913年の大虐殺(2014/01/17)
♪ジェシー・ジェームズ(2014/03/26)