2015年5月2日土曜日

「セッション」

引き続きアカデミー賞がらみで、予告編は観ていたし、デイミアン・チャゼル監督の「セッション」。観るところはあるが、素直に私にはカタルシスが得られなかった顛末。鑑賞日の気分、モチベーションの問題かというと、そうでもないように思え。主人公・学生ドラマーの心情には共鳴できそうだが、怪演のスパルタ教授は邪悪な宇宙人でないかとの疑念に駆られ。クライマックス、見せどころかもしれないが、画と音、パフォーマンスの描写に圧倒されると、映画の趣意が読み解けなくなってしまうようでもあり。

「セッション」の評価メモ
【自己満足度】=★★★☆☆
【お勧め度】=★★★☆☆

2015年4月30日木曜日

ことしの春もローズ・マドックスで、♪トランプ・オン・ザ・ストリート

今春は桜の開花も早い。しばしの沈思を経て、マドックス・ブラザーズ&ローズ(Maddox Brothers & Rose)の廉価盤CD4枚組みから、『コレクション・オブ・スタンダード・セクレッド・ソングス』(1959
年)というゴスペル・アルバムの部分が、少し上向きにセットしたという現在の心持ちにフィットする。「アイル・フライ・アウェイ」とかね。件の「ファーザー・アロング」も収載されている訳だが、アルバム冒頭の「トランプ・オン・ザ・ストリート」の旋律は、「ファーザー・アロング」に重なっていることが気になる。「ファーザー・アロング」はカントリー・ゴスペルとしてスタンダード化しているが、「トランプ・オン・ザ・ストリート」は別の演奏を聞いたことないなぁーと思いを巡らす。さて、どっちがどうなのやらと。

◆追記◆
その後ちょっと調べてみて、「トランプ・オン・ザ・ストリート」、1940年代に活躍したアパラチア系のカントリー・シンガー、モリー・オデイ(Molly O'Day)の持ち歌らしいということは分かった。ベア・ファミリー・レコーズのコンピレーションCD『カントリー・ボーイズ・ドリーム』(2008年)に、モリー・オデイ&ザ・カンバーランド・マウンテン・フォークスによる1947年リリース版が収録されていた。流行歌としては、こちらがオリジナルといっていいのかな。楽曲クレジットは「Cole」のみとなっていて、これもさらにリサーチしてみると、グラディ&ヘイゼル・コール夫妻の共作だという。「ファーザー・アロング」との関連性までは及ばなかったが、ハンク・ウイリアムス(Hank Williams)も歌っているらしいことが分かった(手元のハンク・ディスクには収録なし)。
ちなみに、このコンピ盤には、やはりローズが十八番としているカントリー・ゴスペルの一つ「ダスト・オン・ザ・バイブル」も収録されていた。こちらも1947年でベイレス・ブラザーズ(Bailes Brothers)のパフォーマンス、クレジットを見ると、どうやらライター・チームによるものらしい。(2015/05/19)

◆過去のメモ◆
□この春はローズ・マドックスで、(2014/03/08)

2015年4月23日木曜日

「バードマン」

「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」、アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督作品は2011年に観た「ビューティフル」以来ということで久々の感慨。アカデミー賞の主要な部門を受賞しているので、前評判、いくばくかの予断と刷り込みがあったのが障害となったか。かつてバッドマンを演じたマイケル・キートンを主演に据えたカリカチュアライズが確かに作品コンセプトの肝なのだろう、而して、個人的な鑑賞歴からはマイケル・キートンというと、「ラブ IN ニューヨーク」 (1981、ロン・ハワード監督)での遺体保管所で働く青年のキャラクターとキレた演技から離れられずじまい。というわけで、「バードマン」には素直に移入できなくって、、、
米国映画史では度々製作されてきたショウビジネス業界内幕ものともいえるし、賞狙い企画でもあるし、おいおい、「ブラック・スワン」(2010、ダーレン・アーノフスキー監督)を踏襲かと含ませる死の予感に満ちたプロット展開も用意しているし。鑑賞者へ委ねる度合いの幅を持たせた顛末は及第点といえるが。
レイモンド・カーヴァーの戯曲なのか?劇中劇、対抗役のエドワート・ノートンは、まさしく期待と違わぬ「エドワード・ノートン」らしく、あるいは、特段に親子関係が掘り下げられるというわけでもないものの、存在感を放つ娘役のエマ・スートンら、役者は揃っていて見応えはあり。
レイモンド・カーヴァーはフォローしたい気になって、「ラブ IN ニューヨーク」 も、また観たくなり。

「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」の評価メモ
【自己満足度】=★★★☆☆
【お勧め度】=★★★☆☆

2015年3月24日火曜日

イワン・マッコール&ペギー・シーガー

スコットランド民謡、「マッサン」の流れできて(♪ウォーター・イズ・ワイド、2015/02/14)、イワン・マッコール(Ewan MacColl)の4枚組み廉価盤CD集にたどり着く。何故かボリューム2から聴き始め、シック・クラシック・アルバムと題された『コーラス・フロム・ザ・ガロウズ』(1960年)、『ポピュラー・スコッチ・ソングス』(1960年)、『ソングス・ツー・レベリオンズ、ジャコバイト・ウォーズ1715&1745』(1960年)、『ツー・ウェイ・トリップ』(1961年)、『ブロードサイド・バラッズ第1集&第2集』(1962年)の5件6枚のアルバム群、CDパッケージ等に表記はないけど、これらは何と、トラディショナル・フォーク界のゴールデン・カップル、妻のペギー・シーガー(Peggy Seeger)とのコラボレーションものだったので、思わぬ感激。とりわけ『ツー・ウェイ・トリップ』は、ペギーが前面に出ているし。
バラッド歌唱の神髄というか、あくまでも歌、ボーカルが中心の録音になっていて、これにもまたフィットしてしまう。確かに、アメリカン・フォークの原メロディーと思われる曲は多々あって、また、聴き込んで探り当てていくという課題が増える。「ザ・ウォーター・イズ・ワイド」の源流とされる「ウォーリー、ウォーリー(ウェイル、ウェイル)」は素直に元歌として認識できないバージョンだったなぁ。旋律も違っていてねぇ。
その後の探究でチャイルド・バラッドの204番「ジェイミー・ダグラス」が「ウォーター・イズ・ワイド」の源流に位置するバリアントであるなど、相当数の派生曲があることを知る。これらの録音も探してみることに。

◆追記◆
イワン・マッコール(Ewan MacColl)の4枚組み廉価盤CD集の第1集のほうには、確かにペギー・シーガー(Peggy Seeger)のクレジットが記載されていた。『ソングス・オブ・ロバート・バーンズ』(1959年)、『クラシック・スコッツ・バラッズ』(1959年)、『ストリーツ・オブ・ソング』(1959年)、『ブロー、ボーイズ、ブロー』(1960年)、『ニュー・ブリテン・ガゼット第1集&第2集』(1960年、1962年)の6枚のクラシックアルバム集。とりわけ、『ニュー・ブリテン・ガゼット第1集&第2集』では『ツー・ウェイ・トリップ』同様にペギーの歌声とプレイに引き付けられる。『ニュー・ブリテン・ガゼット第1集』収載の「ファイアマンズ・ノット・フォー・ミー」という曲、「ワイルドウッド・フラワー」の源流かと比定される旋律であり。
『ストリーツ・オブ・ソング』はドミニク・ビーハン(Dominic Behan)、『ブロー、ボーイズ、ブロー』はアルバート・ランカスター・ロイド(Albert Lancaster Lloyd)とのコラボレーション、これまた感激の遭遇である。

2015年3月18日水曜日

「悼む人」よりは「おみおくりの作法」だったね。

構えなく鑑賞して、「悼む人」(堤幸彦監督)よりは「おみおくりの作法」(ウベルト・パゾリーニ監督)の方がすんなり入ってきて、映画作品として完成度が高いものになっていたね。天秤にかけてみたのは、双方、死者のありし人生に想いを寄せ、弔う姿勢を描くことに現代社会のありようにあらがう提起を潜ませていると受け止めているから。個人的な見解ながら、尺数も「おみおくりの作法」はドンピシャ。ハリウッド映画、そして、最近の日本映画は品質とイメージを低下させる2時間超えの踏襲から脱却してほしいとの願いもあり。
「悼む人」は原作の小説に基づいた企画とのことだが、意味づけされた登場人物の多さと、その彼・彼女らキラクター設定、縦横な伏線が埋まっているかに見えるプロット等々が作りもの染みて、意図されたハーモニーに聞こえなかった。椎名桔平と井浦新とかキャスティングは妙にはまっていて芝居は見られるのだけれど。
一方で、「おみおくりの作法」の公私ともに孤独な自治体公務員を通して描出した主演男優劇の静謐なシンプルさにフィットしてしまう。プロットのヒントは「おくりびと」(滝田洋二郎監督、2008年)とか「生きる」(黒澤明監督、1952年)とか、言えなくはないのだけれども。ここでも自らを顧みてシングルライフの行く末に思いを馳せないわけにはいかないのだし。

「悼む人」の評価メモ
【自己満足度】=★★★☆☆
【お勧め度】=★★☆☆☆

「おみおくりの作法」の評価メモ
【自己満足度】=★★★★☆
【お勧め度】=★★★★☆

2015年3月15日日曜日

「幕が上がる」から「くちびるに歌を」へ、

これは、幕が上がるところでエンディングだなとは、ドラマに着いていく過程で予測された悪くない予定調和。「ももいろクローバーZ」がなんたるかとか、とりわけ興味はなく、平田オリザの原作、舞台系への目配りがある本広克行監督であるということ、ここ数年、NHKのEテレで「青春舞台」はフォローしていたのを主因に、少々の期待感とともに「幕が上がる」の上映館へと足を運ぶ。
ボーイ・ミーツ・ガールのプロットではないものの、思春期の揺れ動く心を持つ高校生たちが演劇に打ち込む、いわば定番の青春ストーリー。富士山を臨む富士宮市なのか、地方都市の高校生活と空気感、彼女たちの夢・将来は見えてないけど、とにかく伸びしろとエネルギーがある、成長する年ごろである。振り返って自分にも、そんなライフステージがあったのではとのノスタルジーと、今現在、あんな瞬発力は残っていないなぁと、少々の悔しさ。
そうだよね、演劇を志して東京に集う人材群は確かにエネルギッシュ、まあ、音楽や映画なんかも同系でしょうが、ライブの身体勝負、必ずしもビッグマネーを目指していないであろう、演劇界の独特の魅力に、いまだに憧憬を抱いていることを自覚し、登場の女子高校生目線に重ねてしまう。

「幕が上がる」の評価メモ
【自己満足度】=★★★★☆
【お勧め度】=★★★☆☆

◆追記◆
若さに希望、成長への共感という意味では、「くちびるに歌を」(三木孝浩監督)も同系列か。自分ではコントロールできない境遇に悩み「生きていくことの意味」を反芻するテーマとプロットはプログラム・ピクチャーの平均水準、演出や出来上がりに特段の冴えはないものの、合唱部・中学生たちのキャスティングにこそ、この映画の魅力はある。単純にこの年代のかわいさというのと、やっぱり伸びしろだね。もちろん、この企画のベーシックなモーチフになっているアンジェラ・アキの「手紙 ~拝啓 十五の君へ~」という楽曲は活かされいたし。
余談だけど、長崎・五島列島というと、私の世代ではユーミンが荒井由実時代の「瞳を閉じて」を思い出してしまう。確かに海はきれい。(2015/03/20)

「くちびるに歌を」の評価メモ
【自己満足度】=★★★☆☆
【お勧め度】=★★★☆☆

2015年2月26日木曜日

「リトル・フォレスト 冬・春」

4部作の後編なので上映終了が気になったりもしたが(縮小っぽい回転数であったし)、なんらかの期待を抱きつつ、森淳一監督の「リトル・フォレスト 冬・春」を鑑賞。トータルで、これらの映画がつくられる日本映画界は、まだまだ見限るものではない――と自省してとりなすことができたのが成果であり、評価であった。夏・秋編で播かれた、橋本愛が演じる主人公の若い女性と失踪した母との関係の推移や彼女の都会生活での挫折らしき経験といった含みの深層は、必ずしも解き明かされていない。農の営みから糧を得て仕込み、調理し、食する生活を積み重ね、人間の距離感が保たれた孤独な思索に貫かれている。現在進行形、いまどきの産業化と競争力強化から語られる農業では、暮らしとしての本質、生きる力が見失われてしまうとの危惧も感じつつ。
プロットの終局、この回帰は希望と受け止めた。オチてはいないけど、わだかまりも残らず。

「リトル・フォレスト 冬・春」の評価メモ
【自己満足度】=★★★★☆
【お勧め度】=★★★★☆

◆過去のメモ◆
□「リトル・フォレスト 夏・秋」(2014/09/20)