2014年9月20日土曜日

「リトル・フォレスト 夏・秋」

オリジナルはコミックなんだろうは知りつつ、「リトル・フォレスト 夏・秋」(森淳一監督)。そこそこ大人になってからの生活のサイクルでは直接、マンガに接する機会がなくなってしましい、こうして映画などで間接的に遭遇するパターンが多くなっている。素直な感想は意外にもある意味、ヘンリー・デヴィッド・ソローの『森の生活』を想起させる思索の日々と受け止める。原作は読まずに観たので、そもそも何故に橋本愛が演じる若い女性が東北の寒村(“小森”なんだろうね)でスローな食を組み上げる自給生活にとどまっている(カットバックで一度の都会生活を経ての出戻りと分かるが)のかという、興味で引っ張られる。20世紀の末のエコロジー・ムーブメントの延長にあるのか、それだけではなくて、21世紀的な心象も潜んでいるよう。分校の後輩で同じく出戻りの男性をはじめこの集落にはリアル日本にはあえりえないと思われるほど若者が居たり、彼による全体のトーンとは異なる社会認識を語る強い台詞が挟まれたりはするものの、夏・秋編という前段からは明かされなかった。
こんな表現がマンガ発であるところが、また現在の日本。文字と言語による形而上学・評論が同様に活発であった方がよりよいと思うのだが。命を頂戴するあたまりまえの食生活は、都市化・分業化の極みか疎外関係に埋もれてしまはざるを得ない。イワナは頑張って映したが、アイガモのシーンはさすがに割愛したよう。「ブタがいた教室」(前田哲監督、2008)とも共通する食にまつわる根本テーマ。
それで、家の庭のトマトも収穫が盛りを過ぎたのでホールトマトで保存することにしました。あそう、岩手県・早池峰山で撮られたドキュメンタリー「タイマグラばあちゃん」(澄川嘉彦監督、2004)も思い出す。こちらは昭和の延長上。関心のある方は合わせて鑑賞されることをお勧めします。

「リトル・フォレスト 夏・秋」の評価メモ
【自己満足度】=★★★★☆
【お勧め度】=★★★★☆

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