2021年1月11日月曜日
「アメリカ万才」
長い中断を経て再開。トランプ大統領支持派による去る6日に米国・連邦議会議事堂への乱入・占拠が報じられた経過報道で思い起こしたのは、「古き良き映画」カテゴリーに入るのか、「スミス都へ行く」(1939)、「群衆」(1941)、あるいは「オペラハウス」(1936)などのフランク・キャプラ監督作品。政治家と政治屋、踊らされ揺れ動く人々、インターネットインフラではないもののメディアの増幅と、民主主義の意味の卑近な問いかけの構図は、ほぼ描かれている。
また、現在の感覚からは「良き」映画ではないかも知れないものの、ハーバート・ロス監督の「アメリカ万才」(1984)も同様の感。主演のゴールディ・ホーンが演じた、首都ワシントンのホステスのような市民の政治的な覚醒を期待したいところですが。
2015年11月29日日曜日
遅まきながら、『ア・クリスマス・ギフト・フォー・ユー・フロム・フィル・スペクター』
何故に今までコレクションしていなかったのかと、今シーズンになってフィル・スペクター(Phil Spector)のクリスマス・アルバム『ア・クリスマス・ギフト・フォー・ユー・フロム・フィル・スペクター』(1963年)をCDで調達。ロネッツ(The Ronettes)を聴きたかったのが主たる理由、13のトラックのうち、「フロスティ・ザ・スノーマン」、「スライ・ライド」、「ママがサンタにキスをした」の3曲か。そうか、ダーレン・ラヴ(Darlene Love)はモーガン・ネヴィル監督の2013年製作「バックコーラスの歌姫たち」(2014/03/30)でフォーカスが当たっていた主要なボーカリスト。こっちは「ホワイト・クリスマス」など4曲。
前後して、やっぱりドリス・デイ(Doris Day)が聴きたくなって、19曲収載のコンピレーションCDを調達してしまった。この2枚、よき時代のスタンダード中のスタンダードが、時代を経て色褪せないパフォーマンスで歌われているという共通性に気づく。例えばフィル・スペクターのアルバムはジーン・オートリー(Gene Autry)ルーツの3曲「フロスティ・ザ・スノーマン」、「サンタ・クロースがやってくる」、「赤鼻のトナカイ」を網羅しているとかね。それぞれ、さまざまなバージョンを聴いているのに、あらためて感心。
生活に疲弊気味なので、これらを癒しと糧に。
前後して、やっぱりドリス・デイ(Doris Day)が聴きたくなって、19曲収載のコンピレーションCDを調達してしまった。この2枚、よき時代のスタンダード中のスタンダードが、時代を経て色褪せないパフォーマンスで歌われているという共通性に気づく。例えばフィル・スペクターのアルバムはジーン・オートリー(Gene Autry)ルーツの3曲「フロスティ・ザ・スノーマン」、「サンタ・クロースがやってくる」、「赤鼻のトナカイ」を網羅しているとかね。それぞれ、さまざまなバージョンを聴いているのに、あらためて感心。
生活に疲弊気味なので、これらを癒しと糧に。
2015年10月19日月曜日
〈メリダとおそろしの森〉のシンガーは?
ピクサー製作、ディズニー配給の「メリダとおそろしの森」(マーク・アンドリュース&ブレンダ・チャップマン監督、2012)をBS放映の録画ストックから過日の鑑賞。ピクサー作品にしては、わが国では、さして話題にならなかった部類か。中世欧州の童話風ストーリー。ルーツ・ミュージック続きで来ていたので、オープニング・テーマの「タッチ・ザ・スカイ」に反応してしまう。よい感じ(この部分もね、本邦では全く関心がないようで)。エンドロールを見て調べてみるに歌唱は、ゲール語コミュニティで育ったという若手スコティッシュ・フォーク・シンガーのジュリー・ファリウス。もう1曲「イントゥ・ジ・オープン・エア」とうのもあり。この2曲含め、サウンドトラックは、やはりスコットランド出身のパトリック・ドイルの作曲ということらしい。
ジュリー・ファウリス、記憶にとどめておくためのメモ。
ジュリー・ファウリス、記憶にとどめておくためのメモ。
2015年10月11日日曜日
「歌追い人」にインスパイアされたコンピレーション・アルバム
いわゆるサウンドトラック盤といのではなくて、映画の世界をモチーフにした楽曲集ということで、DVD視聴(〈歌追い人〉、2015/08/27)していた「ソングキャッチャー~歌追い人」(マギー・グリーンウォルド監督、2000)のVA参加による16トラックのコンピレーションCD『ソングキャッチャー』(2001年)を、ここのところヘビー・ローテーション。
映画では主としてテーマ楽曲に当てられている「バーバラ・アレン」は出演しているエミー・ロッサム(Emmy Rossum)の歌唱やエンディングのエミルウ・ハリス(Emmylou Harris)のパフォーマンス、あるいは、音楽担当のデヴィッド・マンスフィールド(David Mansfield)のスコア演奏はサウンドトラックに準じて収載。エミーはアカペラ歌唱、エミルウはモダンなアレンジ演奏を施してというコントラストもよい。ロザンヌ・キャッシュ(Rosanne Cash)、パティ・ラブレス(Patty Loveless)、サラ・エヴァンス(Sara Evans)ら、マイ・フェイバリットなカントリー界本流の女流シンガー面々のバラッドとそのリスペクト創作曲の歌唱が聴けるというのだから引き付けられる。あらためて、ドリー・パートン(Dolly Parton)とエミー・ロッサムの「ホエン・ラブ・イズ・ニュー」は秀逸だな。ブラザーズものに限らず、カントリー歌唱の伝統をディオに見たり。ドリーのバランス感覚、うまさが光る。
◆追記◆
『ソングキャッチャーⅡ』(2002年)は、ルーツミュージックを録音した先達の面々によるコンピレーションCD。17のトラック、土着的で地味ともいえるが、これがまた心に染み入ってしまう。例えば、「オー・ブラザー!」(ジョエル・コーエン監督、2000)で掘り起こされた感のある、「オー、デス」は、ドック・ボッグス(Dog Boggs)の熟成度。アルメダ・リドル(Almeda Riddle)、ドク・ワトソン(Doc Watoson)、カズン・エミー(Cousin Emmy)、ロスコー・ホーコム(Roscoe Holcomb)、クラレンス・アシュレイ(Clarence Ashley)、メイベル・カーター(Maybelle Catrer)ら重鎮のパフォーマンスに引き付けられる。
楽曲でいくと、「クックー・バード」はⅠでも採用されていた。ドク・ワトソンは3曲あり、「朝日のあたる家」の元歌ともいわれ、まさにブリテン諸島ルーツの「マティ・グローブス」も。「マン・オブ・コンスタント・ソロウ」の女性パフォーマンス版「ガール・オブ・コンスタント・ソロウ」は初めて聴いたかな。この旋律の装いも最近よく聴いていた、どれとも違った耳ざわり。演者はサラ・オーガン・ガニング(Sarah Ogan Gunning)のクレジット。
映画では主としてテーマ楽曲に当てられている「バーバラ・アレン」は出演しているエミー・ロッサム(Emmy Rossum)の歌唱やエンディングのエミルウ・ハリス(Emmylou Harris)のパフォーマンス、あるいは、音楽担当のデヴィッド・マンスフィールド(David Mansfield)のスコア演奏はサウンドトラックに準じて収載。エミーはアカペラ歌唱、エミルウはモダンなアレンジ演奏を施してというコントラストもよい。ロザンヌ・キャッシュ(Rosanne Cash)、パティ・ラブレス(Patty Loveless)、サラ・エヴァンス(Sara Evans)ら、マイ・フェイバリットなカントリー界本流の女流シンガー面々のバラッドとそのリスペクト創作曲の歌唱が聴けるというのだから引き付けられる。あらためて、ドリー・パートン(Dolly Parton)とエミー・ロッサムの「ホエン・ラブ・イズ・ニュー」は秀逸だな。ブラザーズものに限らず、カントリー歌唱の伝統をディオに見たり。ドリーのバランス感覚、うまさが光る。
◆追記◆
『ソングキャッチャーⅡ』(2002年)は、ルーツミュージックを録音した先達の面々によるコンピレーションCD。17のトラック、土着的で地味ともいえるが、これがまた心に染み入ってしまう。例えば、「オー・ブラザー!」(ジョエル・コーエン監督、2000)で掘り起こされた感のある、「オー、デス」は、ドック・ボッグス(Dog Boggs)の熟成度。アルメダ・リドル(Almeda Riddle)、ドク・ワトソン(Doc Watoson)、カズン・エミー(Cousin Emmy)、ロスコー・ホーコム(Roscoe Holcomb)、クラレンス・アシュレイ(Clarence Ashley)、メイベル・カーター(Maybelle Catrer)ら重鎮のパフォーマンスに引き付けられる。
楽曲でいくと、「クックー・バード」はⅠでも採用されていた。ドク・ワトソンは3曲あり、「朝日のあたる家」の元歌ともいわれ、まさにブリテン諸島ルーツの「マティ・グローブス」も。「マン・オブ・コンスタント・ソロウ」の女性パフォーマンス版「ガール・オブ・コンスタント・ソロウ」は初めて聴いたかな。この旋律の装いも最近よく聴いていた、どれとも違った耳ざわり。演者はサラ・オーガン・ガニング(Sarah Ogan Gunning)のクレジット。
2015年9月12日土曜日
「ラブ&マーシー 終わらないメロディー」
スタジオ志向の音楽家?、実はそんなに詳しく知らなかったブライアン・ウィルソン。こんなことになっていたの、と教えてくれた、ビル・ポーラッド監督の「ラブ&マーシー 終わらないメロディー」。わが道の製作を邁進する1960年代をポール・ダノ、不審な医療監視生活を過ごす1980年代をジョン・キューザックが演じた二つの時制のプロット構成、トラウマというかコンプレックスというか精神世界の揺らぎからアプローチ、映像で見せる解題は映画ならではのテイスト。音楽映画・ミュージカルには共通性があり「ジャージー・ボーイズ」(クリント・イーストウッド監督、2014)なんかも、この部分がうまく描けるかが、出来を左右しているのだろう。ハリウッドならではの音楽パフォーマンス・シーンの再現力も優れ、及第点だと思う。
それにしても、音楽オタクとしてのポール・ダノ、快演なのか、はまっているね。
「ラブ&マーシー 終わらないメロディー」の評価メモ
【自己満足度】=★★★★☆
【お勧め度】=★★★☆☆
それにしても、音楽オタクとしてのポール・ダノ、快演なのか、はまっているね。
「ラブ&マーシー 終わらないメロディー」の評価メモ
【自己満足度】=★★★★☆
【お勧め度】=★★★☆☆
2015年8月30日日曜日
「日本のいちばん長い日」
終戦後70年を経た夏でもあるし8月のうちにと心して、原田眞人監督・脚本の「日本のいちばん長い日」。これはね、海軍出身の鈴木貫太郎・内閣総理大臣と阿南惟幾・陸軍大臣、それにクーデターを謀る畑中健二・陸軍少佐の主として3人に焦点を当てたプロット構成で、特に前の2者は家族の生活を描くきキャラクターを際立たせる演出によるヒロイズムの語り口で、一定程度、幅広い客層に媚びたエンターテイメント性を確保している。実際、山﨑勉、役所広司の両優も快演である。ヒロイズといえば、当然、そこに昭和天皇を加えてた観方も成り立つ。映画作品の出来として、それがよかったのか、悪かったのかは、まだ、判断できていない。ただ、やっぱり、自分より若い戦後世代には「つかみ」として、観ていただきたい映画であるとは思った。昭和天皇による8月15日の玉音放送は録音盤によって行われた、ポツダム宣言・終戦受諾を容易に受け入れない軍部の動きが多々あった、実際に玉音盤奪取の危機もあった――などは、「教科書に書いてない歴史」で、55歳の私も実は岡本喜八監督版の「日本のいちばん長い日」(1967)を観て認識した。初見は30代、そこそこ遅かったのだが。
雑誌のコメンテーターの映画寸評の中に「オリジナルを見直したくなった」みたいのがあったが、そもそも史実に取材、証言を集めた半藤―利氏のドキュメンタリーが原作なんで、「岡本監督版のリメイク」との余念はバイアスではと思ったり。
あと、将校ら日本軍の論理の諸相、あるいは「国体護持」の如何、これも冷静な議論を聞いてみたくもあり。
「日本のいちばん長い日」の評価メモ
【自己満足度】=★★★★☆
【お勧め度】=★★★★★
※たぶん、「自己満足度」より「お勧め度」の★が多くなったの本作が初めて。
雑誌のコメンテーターの映画寸評の中に「オリジナルを見直したくなった」みたいのがあったが、そもそも史実に取材、証言を集めた半藤―利氏のドキュメンタリーが原作なんで、「岡本監督版のリメイク」との余念はバイアスではと思ったり。
あと、将校ら日本軍の論理の諸相、あるいは「国体護持」の如何、これも冷静な議論を聞いてみたくもあり。
「日本のいちばん長い日」の評価メモ
【自己満足度】=★★★★☆
【お勧め度】=★★★★★
※たぶん、「自己満足度」より「お勧め度」の★が多くなったの本作が初めて。
2015年8月27日木曜日
〈歌追い人〉
DVDにて待望の「ソングキャッチャー~歌追い人」(マギー・グリーンウォルド監督、2000)を拝見。通俗なエンターテイメントというよりは、私らルーツ・ミュージックに興味を抱くものの関心度合いをくすぐるテーマ性を据えた、女流監督の脚本による作家性の色濃い作品であった。
1907年の時代設定で、旧態依然であった当時の大学アカデミズムの世界では活躍の場が限られていた女性の音楽研究者が、ノースカロライナ州のアパラチア山中での村暮らしへと転じる。ブリテン諸島から移植され、都会に顕著な社会の近代化の影で歌い継がれてきたバラッドの数々に出会い、録音、楽譜起こしと収集を始めるわけだ。主人公モデルの有無や同定はともかく、それらの行為は確かに営まれて現在につながってきた面は否めない。
録音といっても初期の手法で機材も大がかり、レコード盤=蓄音機あるいはラジオといった音楽ビジネスの技術革新と大躍進への端緒が間もなくといった時代設定も絶妙。ムラ意識の強い土地柄と荒っぽく粗野な男性、その対局で悲哀ある女性たちの山の暮らしぶりが描かれる。
主人公の女性研究者のバラッド収集、採譜、出版へもといった活動は、暮らしの中で歌い継いできた人々の目線からは「音楽を盗む」行為ではないかという疑義が、プロットに織り込まれている。ストーリー・テリングとしてもうまいアヤ、この視線、忘れるべからずだな。
視聴前にミュージシャンの出演とパフォーマンスの予備知識はなかったもももの、ブラック系のタージ・マハールはやや取って付けた感じ、アイリス・デメントとの遭遇はラッキー感があり、まずまずと受け止めた。
バラッドはエンドロールを見ると、18曲くらい使われていて、エンディング・テーマでエミルウ・ハリス歌唱のものなど、最も象徴的なのは「バーバラ・アレン」。ストーリーの柱には、こうして現在、記録されているもの以外に、「失われたしまった」楽曲も多々あろうという哀歓もにじませる。
調べてみると市販のサウンドトラック盤は、映画音源というよりは、「インスパイア」もののVAアーティストで、これはこれで興味を持ってしまった。調達しようか。
DVDなんで、スタッフ、キャストのインタビューを流し観ると、この映画の世界観やルーツ・ミュージックに関する認識は、米国社会でも確立しているとはいえないらしい。
「ソングキャッチャー~歌追い人」の評価メモ
【自己満足度】=★★★★☆
【お勧め度】=★★★☆☆
◆追記◆
□「歌追い人」にインスパイアされたコンピレーション・アルバム(2015/10/11)
1907年の時代設定で、旧態依然であった当時の大学アカデミズムの世界では活躍の場が限られていた女性の音楽研究者が、ノースカロライナ州のアパラチア山中での村暮らしへと転じる。ブリテン諸島から移植され、都会に顕著な社会の近代化の影で歌い継がれてきたバラッドの数々に出会い、録音、楽譜起こしと収集を始めるわけだ。主人公モデルの有無や同定はともかく、それらの行為は確かに営まれて現在につながってきた面は否めない。
録音といっても初期の手法で機材も大がかり、レコード盤=蓄音機あるいはラジオといった音楽ビジネスの技術革新と大躍進への端緒が間もなくといった時代設定も絶妙。ムラ意識の強い土地柄と荒っぽく粗野な男性、その対局で悲哀ある女性たちの山の暮らしぶりが描かれる。
主人公の女性研究者のバラッド収集、採譜、出版へもといった活動は、暮らしの中で歌い継いできた人々の目線からは「音楽を盗む」行為ではないかという疑義が、プロットに織り込まれている。ストーリー・テリングとしてもうまいアヤ、この視線、忘れるべからずだな。
視聴前にミュージシャンの出演とパフォーマンスの予備知識はなかったもももの、ブラック系のタージ・マハールはやや取って付けた感じ、アイリス・デメントとの遭遇はラッキー感があり、まずまずと受け止めた。
バラッドはエンドロールを見ると、18曲くらい使われていて、エンディング・テーマでエミルウ・ハリス歌唱のものなど、最も象徴的なのは「バーバラ・アレン」。ストーリーの柱には、こうして現在、記録されているもの以外に、「失われたしまった」楽曲も多々あろうという哀歓もにじませる。
調べてみると市販のサウンドトラック盤は、映画音源というよりは、「インスパイア」もののVAアーティストで、これはこれで興味を持ってしまった。調達しようか。
DVDなんで、スタッフ、キャストのインタビューを流し観ると、この映画の世界観やルーツ・ミュージックに関する認識は、米国社会でも確立しているとはいえないらしい。
「ソングキャッチャー~歌追い人」の評価メモ
【自己満足度】=★★★★☆
【お勧め度】=★★★☆☆
◆追記◆
□「歌追い人」にインスパイアされたコンピレーション・アルバム(2015/10/11)
2015年7月15日水曜日
「きみはいい子」
商業ベースではなくて映画らしい映画、まずまず、納得してしまった呉美保監督の「きみはいい子」。原作となった小説があるとのことだが、ロケーションと自然光を重視したドキュメンタリー調の画調とオムニバス・プロットの群像劇は確かに終盤にかけて集約していく。尾野真千子が演じる子ども虐待母、高良健吾の児童らに翻弄される若い教師が主たる軸ではあるが、自閉症児童と認知症の老女のプロットもうまく編み込まれている。「宿題」としてだけならどうかと思うが、それぞれが希望の光を手繰り寄せる「抱擁」のしかけは有効に機能していたと思う。少子化の現代の実相にちょっと踏み込んでのぞき見たような文学的主題。総じて答えはないのだけど、一人の生徒の消息が明かされないこのエンディングもいいじゃない。
「きみはいい子」」の評価メモ
【自己満足度】=★★★★☆
【お勧め度】=★★★☆☆
「きみはいい子」」の評価メモ
【自己満足度】=★★★★☆
【お勧め度】=★★★☆☆
2015年6月11日木曜日
「国際市場で逢いましょう」
ポツダム宣言を受け入れて戦後70年の節目という表現をよく耳にするようになった。而して朝鮮半島では日本の統治から解き放たれて朝鮮戦争という悲劇を経験、かりそめの休戦協定が1953年なのだというから、韓国の「戦後」はハンディキャップもあり随分と、わが国とは異なる歩みであったことだろうと認識し直す。
ユン・ジェギュン監督の「国際市場で逢いましょう」。確か、かつて日系の一大化学肥料工場などで工業都市として栄えた、日本海に面した現在の北朝鮮の支配地から戦火に追われ釜山まで逃げてきた男の一代記、時系列を行き来する目線を通した大河ドラマ仕立ての現代史と言っていい。戦乱に伴う家族離散の悲劇、西独の炭鉱へと多くの韓国人が出稼ぎに渡った事情、韓国のベトナム戦争への参画、「家族探し」はどのようになど、その実相は容易に思いもつかないのだが、韓国的な家族愛・家長像が投影されていたり、相応世代にはコモンセンスがあるのだろう。その意味で、国外マーケットを意識した大概の韓流映画とはトーンが違い、コメディ風味など韓国ナショナル志向の演出となっている。であるから、より一層、興味を引き付けられ、彼らのコモンセンスを解き明かし読み解いてみたくなる。
「国際市場で逢いましょう」の評価メモ
【自己満足度】=★★★★☆
【お勧め度】=★★★★☆
ユン・ジェギュン監督の「国際市場で逢いましょう」。確か、かつて日系の一大化学肥料工場などで工業都市として栄えた、日本海に面した現在の北朝鮮の支配地から戦火に追われ釜山まで逃げてきた男の一代記、時系列を行き来する目線を通した大河ドラマ仕立ての現代史と言っていい。戦乱に伴う家族離散の悲劇、西独の炭鉱へと多くの韓国人が出稼ぎに渡った事情、韓国のベトナム戦争への参画、「家族探し」はどのようになど、その実相は容易に思いもつかないのだが、韓国的な家族愛・家長像が投影されていたり、相応世代にはコモンセンスがあるのだろう。その意味で、国外マーケットを意識した大概の韓流映画とはトーンが違い、コメディ風味など韓国ナショナル志向の演出となっている。であるから、より一層、興味を引き付けられ、彼らのコモンセンスを解き明かし読み解いてみたくなる。
「国際市場で逢いましょう」の評価メモ
【自己満足度】=★★★★☆
【お勧め度】=★★★★☆
2015年6月1日月曜日
「駆込み女と駆出し男」
チャンバラ・アクションに特化するといった、ありがちな方向ではないという意味で時代劇の復興に曙光を感じた「駆込み女と駆出し男」。脚本も手がけた原田眞人監督の職人作品としては分かりづらさもあったけど、トータルでは及第かな。駆け出し男役の大泉洋は想像の範囲で適切なキャスティング、にも増して満島ひかりと戸田恵梨香は予想外の時代ものの世俗な役柄をあてがわれた新境地のパフォーマンスで見どころとも言える。
法による統治が浸透した現代においても、男女間トラブルの解決で社会資源としてシェルターが必要とされるケースもあるのだろうが、機能において、そのルーツに比肩。網野善彦氏が歴史学の概念として着目した「アージル」の代表例としての聖域・縁切寺がドラマの舞台として浮き彫りになったのは、確かに面白かった。原作者・井上ひさしの眼力か。
しかし、縁切寺、江戸期においては、確かに幕府の意図をもって制度の枠内で設置・存続してきたわけである。その聖性なるものの如何、歴史的なアジールの実像についての関心がおおいに喚起されたこともあり。
「駆込み女と駆出し男」の評価メモ
【自己満足度】=★★★☆☆
【お勧め度】=★★★☆☆
法による統治が浸透した現代においても、男女間トラブルの解決で社会資源としてシェルターが必要とされるケースもあるのだろうが、機能において、そのルーツに比肩。網野善彦氏が歴史学の概念として着目した「アージル」の代表例としての聖域・縁切寺がドラマの舞台として浮き彫りになったのは、確かに面白かった。原作者・井上ひさしの眼力か。
しかし、縁切寺、江戸期においては、確かに幕府の意図をもって制度の枠内で設置・存続してきたわけである。その聖性なるものの如何、歴史的なアジールの実像についての関心がおおいに喚起されたこともあり。
「駆込み女と駆出し男」の評価メモ
【自己満足度】=★★★☆☆
【お勧め度】=★★★☆☆
2015年5月2日土曜日
「セッション」
引き続きアカデミー賞がらみで、予告編は観ていたし、デイミアン・チャゼル監督の「セッション」。観るところはあるが、素直に私にはカタルシスが得られなかった顛末。鑑賞日の気分、モチベーションの問題かというと、そうでもないように思え。主人公・学生ドラマーの心情には共鳴できそうだが、怪演のスパルタ教授は邪悪な宇宙人でないかとの疑念に駆られ。クライマックス、見せどころかもしれないが、画と音、パフォーマンスの描写に圧倒されると、映画の趣意が読み解けなくなってしまうようでもあり。
「セッション」の評価メモ
【自己満足度】=★★★☆☆
【お勧め度】=★★★☆☆
「セッション」の評価メモ
【自己満足度】=★★★☆☆
【お勧め度】=★★★☆☆
2015年4月23日木曜日
「バードマン」
「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」、アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督作品は2011年に観た「ビューティフル」以来ということで久々の感慨。アカデミー賞の主要な部門を受賞しているので、前評判、いくばくかの予断と刷り込みがあったのが障害となったか。かつてバッドマンを演じたマイケル・キートンを主演に据えたカリカチュアライズが確かに作品コンセプトの肝なのだろう、而して、個人的な鑑賞歴からはマイケル・キートンというと、「ラブ IN ニューヨーク」 (1981、ロン・ハワード監督)での遺体保管所で働く青年のキャラクターとキレた演技から離れられずじまい。というわけで、「バードマン」には素直に移入できなくって、、、
米国映画史では度々製作されてきたショウビジネス業界内幕ものともいえるし、賞狙い企画でもあるし、おいおい、「ブラック・スワン」(2010、ダーレン・アーノフスキー監督)を踏襲かと含ませる死の予感に満ちたプロット展開も用意しているし。鑑賞者へ委ねる度合いの幅を持たせた顛末は及第点といえるが。
レイモンド・カーヴァーの戯曲なのか?劇中劇、対抗役のエドワート・ノートンは、まさしく期待と違わぬ「エドワード・ノートン」らしく、あるいは、特段に親子関係が掘り下げられるというわけでもないものの、存在感を放つ娘役のエマ・スートンら、役者は揃っていて見応えはあり。
レイモンド・カーヴァーはフォローしたい気になって、「ラブ IN ニューヨーク」 も、また観たくなり。
「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」の評価メモ
【自己満足度】=★★★☆☆
【お勧め度】=★★★☆☆
米国映画史では度々製作されてきたショウビジネス業界内幕ものともいえるし、賞狙い企画でもあるし、おいおい、「ブラック・スワン」(2010、ダーレン・アーノフスキー監督)を踏襲かと含ませる死の予感に満ちたプロット展開も用意しているし。鑑賞者へ委ねる度合いの幅を持たせた顛末は及第点といえるが。
レイモンド・カーヴァーの戯曲なのか?劇中劇、対抗役のエドワート・ノートンは、まさしく期待と違わぬ「エドワード・ノートン」らしく、あるいは、特段に親子関係が掘り下げられるというわけでもないものの、存在感を放つ娘役のエマ・スートンら、役者は揃っていて見応えはあり。
レイモンド・カーヴァーはフォローしたい気になって、「ラブ IN ニューヨーク」 も、また観たくなり。
「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」の評価メモ
【自己満足度】=★★★☆☆
【お勧め度】=★★★☆☆
2015年3月18日水曜日
「悼む人」よりは「おみおくりの作法」だったね。
構えなく鑑賞して、「悼む人」(堤幸彦監督)よりは「おみおくりの作法」(ウベルト・パゾリーニ監督)の方がすんなり入ってきて、映画作品として完成度が高いものになっていたね。天秤にかけてみたのは、双方、死者のありし人生に想いを寄せ、弔う姿勢を描くことに現代社会のありようにあらがう提起を潜ませていると受け止めているから。個人的な見解ながら、尺数も「おみおくりの作法」はドンピシャ。ハリウッド映画、そして、最近の日本映画は品質とイメージを低下させる2時間超えの踏襲から脱却してほしいとの願いもあり。
「悼む人」は原作の小説に基づいた企画とのことだが、意味づけされた登場人物の多さと、その彼・彼女らキラクター設定、縦横な伏線が埋まっているかに見えるプロット等々が作りもの染みて、意図されたハーモニーに聞こえなかった。椎名桔平と井浦新とかキャスティングは妙にはまっていて芝居は見られるのだけれど。
一方で、「おみおくりの作法」の公私ともに孤独な自治体公務員を通して描出した主演男優劇の静謐なシンプルさにフィットしてしまう。プロットのヒントは「おくりびと」(滝田洋二郎監督、2008年)とか「生きる」(黒澤明監督、1952年)とか、言えなくはないのだけれども。ここでも自らを顧みてシングルライフの行く末に思いを馳せないわけにはいかないのだし。
「悼む人」の評価メモ
【自己満足度】=★★★☆☆
【お勧め度】=★★☆☆☆
「おみおくりの作法」の評価メモ
【自己満足度】=★★★★☆
【お勧め度】=★★★★☆
「悼む人」は原作の小説に基づいた企画とのことだが、意味づけされた登場人物の多さと、その彼・彼女らキラクター設定、縦横な伏線が埋まっているかに見えるプロット等々が作りもの染みて、意図されたハーモニーに聞こえなかった。椎名桔平と井浦新とかキャスティングは妙にはまっていて芝居は見られるのだけれど。
一方で、「おみおくりの作法」の公私ともに孤独な自治体公務員を通して描出した主演男優劇の静謐なシンプルさにフィットしてしまう。プロットのヒントは「おくりびと」(滝田洋二郎監督、2008年)とか「生きる」(黒澤明監督、1952年)とか、言えなくはないのだけれども。ここでも自らを顧みてシングルライフの行く末に思いを馳せないわけにはいかないのだし。
「悼む人」の評価メモ
【自己満足度】=★★★☆☆
【お勧め度】=★★☆☆☆
「おみおくりの作法」の評価メモ
【自己満足度】=★★★★☆
【お勧め度】=★★★★☆
2015年3月15日日曜日
「幕が上がる」から「くちびるに歌を」へ、
これは、幕が上がるところでエンディングだなとは、ドラマに着いていく過程で予測された悪くない予定調和。「ももいろクローバーZ」がなんたるかとか、とりわけ興味はなく、平田オリザの原作、舞台系への目配りがある本広克行監督であるということ、ここ数年、NHKのEテレで「青春舞台」はフォローしていたのを主因に、少々の期待感とともに「幕が上がる」の上映館へと足を運ぶ。
ボーイ・ミーツ・ガールのプロットではないものの、思春期の揺れ動く心を持つ高校生たちが演劇に打ち込む、いわば定番の青春ストーリー。富士山を臨む富士宮市なのか、地方都市の高校生活と空気感、彼女たちの夢・将来は見えてないけど、とにかく伸びしろとエネルギーがある、成長する年ごろである。振り返って自分にも、そんなライフステージがあったのではとのノスタルジーと、今現在、あんな瞬発力は残っていないなぁと、少々の悔しさ。
そうだよね、演劇を志して東京に集う人材群は確かにエネルギッシュ、まあ、音楽や映画なんかも同系でしょうが、ライブの身体勝負、必ずしもビッグマネーを目指していないであろう、演劇界の独特の魅力に、いまだに憧憬を抱いていることを自覚し、登場の女子高校生目線に重ねてしまう。
「幕が上がる」の評価メモ
【自己満足度】=★★★★☆
【お勧め度】=★★★☆☆
◆追記◆
若さに希望、成長への共感という意味では、「くちびるに歌を」(三木孝浩監督)も同系列か。自分ではコントロールできない境遇に悩み「生きていくことの意味」を反芻するテーマとプロットはプログラム・ピクチャーの平均水準、演出や出来上がりに特段の冴えはないものの、合唱部・中学生たちのキャスティングにこそ、この映画の魅力はある。単純にこの年代のかわいさというのと、やっぱり伸びしろだね。もちろん、この企画のベーシックなモーチフになっているアンジェラ・アキの「手紙 ~拝啓 十五の君へ~」という楽曲は活かされいたし。
余談だけど、長崎・五島列島というと、私の世代ではユーミンが荒井由実時代の「瞳を閉じて」を思い出してしまう。確かに海はきれい。(2015/03/20)
「くちびるに歌を」の評価メモ
【自己満足度】=★★★☆☆
【お勧め度】=★★★☆☆
ボーイ・ミーツ・ガールのプロットではないものの、思春期の揺れ動く心を持つ高校生たちが演劇に打ち込む、いわば定番の青春ストーリー。富士山を臨む富士宮市なのか、地方都市の高校生活と空気感、彼女たちの夢・将来は見えてないけど、とにかく伸びしろとエネルギーがある、成長する年ごろである。振り返って自分にも、そんなライフステージがあったのではとのノスタルジーと、今現在、あんな瞬発力は残っていないなぁと、少々の悔しさ。
そうだよね、演劇を志して東京に集う人材群は確かにエネルギッシュ、まあ、音楽や映画なんかも同系でしょうが、ライブの身体勝負、必ずしもビッグマネーを目指していないであろう、演劇界の独特の魅力に、いまだに憧憬を抱いていることを自覚し、登場の女子高校生目線に重ねてしまう。
「幕が上がる」の評価メモ
【自己満足度】=★★★★☆
【お勧め度】=★★★☆☆
◆追記◆
若さに希望、成長への共感という意味では、「くちびるに歌を」(三木孝浩監督)も同系列か。自分ではコントロールできない境遇に悩み「生きていくことの意味」を反芻するテーマとプロットはプログラム・ピクチャーの平均水準、演出や出来上がりに特段の冴えはないものの、合唱部・中学生たちのキャスティングにこそ、この映画の魅力はある。単純にこの年代のかわいさというのと、やっぱり伸びしろだね。もちろん、この企画のベーシックなモーチフになっているアンジェラ・アキの「手紙 ~拝啓 十五の君へ~」という楽曲は活かされいたし。
余談だけど、長崎・五島列島というと、私の世代ではユーミンが荒井由実時代の「瞳を閉じて」を思い出してしまう。確かに海はきれい。(2015/03/20)
「くちびるに歌を」の評価メモ
【自己満足度】=★★★☆☆
【お勧め度】=★★★☆☆
2015年2月26日木曜日
「リトル・フォレスト 冬・春」
4部作の後編なので上映終了が気になったりもしたが(縮小っぽい回転数であったし)、なんらかの期待を抱きつつ、森淳一監督の「リトル・フォレスト 冬・春」を鑑賞。トータルで、これらの映画がつくられる日本映画界は、まだまだ見限るものではない――と自省してとりなすことができたのが成果であり、評価であった。夏・秋編で播かれた、橋本愛が演じる主人公の若い女性と失踪した母との関係の推移や彼女の都会生活での挫折らしき経験といった含みの深層は、必ずしも解き明かされていない。農の営みから糧を得て仕込み、調理し、食する生活を積み重ね、人間の距離感が保たれた孤独な思索に貫かれている。現在進行形、いまどきの産業化と競争力強化から語られる農業では、暮らしとしての本質、生きる力が見失われてしまうとの危惧も感じつつ。
プロットの終局、この回帰は希望と受け止めた。オチてはいないけど、わだかまりも残らず。
「リトル・フォレスト 冬・春」の評価メモ
【自己満足度】=★★★★☆
【お勧め度】=★★★★☆
◆過去のメモ◆
□「リトル・フォレスト 夏・秋」(2014/09/20)
プロットの終局、この回帰は希望と受け止めた。オチてはいないけど、わだかまりも残らず。
「リトル・フォレスト 冬・春」の評価メモ
【自己満足度】=★★★★☆
【お勧め度】=★★★★☆
◆過去のメモ◆
□「リトル・フォレスト 夏・秋」(2014/09/20)
2015年2月6日金曜日
「ジミー、野を駆ける伝説」
当たりがないな、ちょっと遠ざかり気味だった映画鑑賞。やっぱり、ケン・ローチでしょ。アイルランドものは、いくつかあったが、この「ジミー、野を駆ける伝説」。1930年代、ジミー・グラルトンが働くことと暮らしの享受を語るスピーチは、ケン・ローチのメッセージそのものなのだろう。確かにその通りなだが、現実を顧みて、おそらくは素直に受け取れない思考の病弊が現代のわが邦に宿っているのではとの懸念もよぎる。アイルランドの歴史的・社会的背景の理解に必要な知識をそれほど多くは持ち合わせていないものの、一つのエスタブリッシュメント、コンサバティブの体現としてもカトリック教区神父の心境と態度の変容の兆しに、何かを感じる。
それはそれとして、象徴たるテーマ曲、これが「シューラルー」の正調??!この部分でも反芻して染みてしまう。関連楽曲、もうちょと探索、整理してみたい。
「ジミー、野を駆ける伝説」の評価メモ
【自己満足度】=★★★★☆
【お勧め度】=★★★★☆
◆過去のメモ◆
□♪ジョニーは戦場に行った、なの?(2014/03/02)
それはそれとして、象徴たるテーマ曲、これが「シューラルー」の正調??!この部分でも反芻して染みてしまう。関連楽曲、もうちょと探索、整理してみたい。
「ジミー、野を駆ける伝説」の評価メモ
【自己満足度】=★★★★☆
【お勧め度】=★★★★☆
◆過去のメモ◆
□♪ジョニーは戦場に行った、なの?(2014/03/02)
2015年2月1日日曜日
「ビッグ・アイズ」
1月は仕事のようなものに忙殺され、劇場で映画を観たのは2回で、31日にはティム・バートン監督の「ビッグ・アイズ」。いちおう土曜の昼なのだが、何とこの札幌郊外のシネコンにて1人貸し切り状態で臨むはめに。ティム・バートン作品にしてこの様、わが邦の現況、同胞らの映画鑑賞姿勢の有り体をあらためて知った気になったことをメモしておく。
昨年はわが邦のアート界でも「私は共犯です」発言が耳目を集めただけに、重ねてこのベイスド・オン・トルー・イベンツのプロット展開にのっかてしまう。まあ、お気に入りのエイミー・アダムスが主演ということで足を運んだのだけど。役柄の面では、全くの当たり。このポップアートは好きか否かは別にしても、ティム・バートン組お得意の色彩設計が存分に発揮できる企画であったことも奏功しているね。エンディング間近、法廷シーンは滑稽すぎるぞ。娯楽喜劇といって過言なし。
キーン夫妻ねぇ、ほとんど知識・記憶はなかったなぁ。
「ビッグ・アイズ」の評価メモ
【自己満足度】=★★★☆☆
【お勧め度】=★★★☆☆
昨年はわが邦のアート界でも「私は共犯です」発言が耳目を集めただけに、重ねてこのベイスド・オン・トルー・イベンツのプロット展開にのっかてしまう。まあ、お気に入りのエイミー・アダムスが主演ということで足を運んだのだけど。役柄の面では、全くの当たり。このポップアートは好きか否かは別にしても、ティム・バートン組お得意の色彩設計が存分に発揮できる企画であったことも奏功しているね。エンディング間近、法廷シーンは滑稽すぎるぞ。娯楽喜劇といって過言なし。
キーン夫妻ねぇ、ほとんど知識・記憶はなかったなぁ。
「ビッグ・アイズ」の評価メモ
【自己満足度】=★★★☆☆
【お勧め度】=★★★☆☆
2014年12月25日木曜日
「ストックホルムでワルツを」
ジャズ・ボーカルの歌姫として紹介されることの多い、スウェーデンのモニカ・ゼータルンドの歩みをなぞった「ストックホルムでワルツを」(ペール・フライ監督)。まさに美貌といい、モニカを彷彿とする主演女優の歌唱と、製作陣が描きたかったであろうモニカ本人の生き様を際立たせたのは、色彩設計とファンション・メイクを含む美術力であった。劇場で観る価値ありである。
ここ10年くらいはめったに聞かなくなったジャズ。よく聴いていたころは、そんなに人となりに関する情報は多くなかったように思う。映画で明らかになったのは、アップダウンありのドラマ人生、こんな奴いるよねという「イヤな女」系であったりして。お国の言葉でジャズを歌う、モニカの音楽の価値がいかにしてスウェーデンという国で育まれたのかが分かったのはよかった。モニカの音楽、やっぱりクールだな。ワールドワイドな成功のきっかけ、日本語版のタイトルにかけてあるビル・エヴァンスとのジョイント・ワルツ曲も秀逸だが、昔から「イット・クッド・ハプン・トゥ・ユー」好きだったなぁー、さっそく『ワルツ・フォー・デビー』のCD取り出してかけ流してみる。
「ストックホルムでワルツを」の評価メモ
【自己満足度】=★★★★☆
【お勧め度】=★★★★☆
「ストックホルムでワルツを」の評価メモ
【自己満足度】=★★★★☆
【お勧め度】=★★★★☆
2014年12月1日月曜日
「紙の月」は、、、ペーパー・ムーンなのにね。
予告編とかで宮沢りえに魅かれて、吉田大八監督の新作「紙の月」。妙齢は超えたりえちゃん、確かにエロさはあるなぁー。それだけでよいかもしれないが、情事と逸脱の進行にカットバックで織り込まれたミッション・スクール時代の募金をめぐるトラウマ事件が、全くシンクロしていなくて心に響かないのが最も惜しまれる。主人公の女性の心理に接近できないということ。これは映画としての仕上がりの問題なのか、そもそものドラマ(原作?)の問題なのか。プロットの積み上げが作り物じみて、、、机上の、いや紙の上でのドラマツルギーにとどまってしまったのではとも。
「紙の月」の評価メモ
【自己満足度】=★★☆☆☆
【お勧め度】=★★★☆☆
「紙の月」の評価メモ
【自己満足度】=★★☆☆☆
【お勧め度】=★★★☆☆
2014年11月26日水曜日
「♪貧者ラザロ」で、たどってみる
ボブ・ディラン(Bob Dylan)&ザ・バンド(The Band)の『ザ・ベースメント・テープス』コンプリート版の最初のCD1、20番目のトラックは2000年の映画「オー・ブラザー!」(ジョエル・コーエン監督)で、多分に本邦でも認識が進んだ楽曲の一つである「ポ・ラザルス」。映画ではアラン・ローマックス(Alan Lomax)が1959年にミシシッピ州の刑務所で採録した受刑者らのワークソング調のバラッド歌唱が援用されたが、ディランはギター伴奏で歌っている。フォーク・シンガー、ディランとしてのレパートリーであったことは今回初めて知る。
「オー・ブラザー!」の音楽プロデュサーは、1970年代半ばのディランのプロジェクト・ツアー「ローリング・サンダー・レヴュー」に参加していたT=ボーン・バーネット(T-Bone Burnett)、継承と言える関連性はあるか気になるところ。
もっとも、ローマックスが最初にこのトラディショナル楽曲の系統をコレクションしたのは1930年代後期らしく各種のフォークソング・アンソロジー本にも収載されていたようで、ディランがどうした経緯で持ち歌としたかとの興味も。
余談だが、「ポ・ラザルス」をはじめとした巷のフォークソングをローマックス父子らがこれほどまでに収集し、文化財として継承できているのは、彼らの才覚とともに米国の議会図書館や公共事業促進局(WPA)が後押しした政策的な成果の色合いが濃いようにも思われる。1929年に始まった大恐慌に際して、フランクリン・ルーズベルト大統領の下、ジョン・メイナード・ケインズ流の経済思想を投影したとされるニュー・ディール政策の中に位置付いた「公共事業」の一部を成している。わが国では公共事業というと、道路や鉄道などハード構築のインフラ整備にとらわれた発想からいまだ抜け出せずにいる。フォークソングやブルースの収集・保存といった米国の例にならった日本であったなら、、、と考えずにはいられない。米国の事例についてもっと詳しく知りたいとも思うのだが、日本人研究者による解明はどの程度進んでいるのであろうか。
◆追記◆
「ポ・ラザルス」のディラン・パフォーマンス、1961年7月のニューヨーク・リバーサイド教会でのフーテナニー・イベントのラジオ音源に巡り会った。他の演目は「ハンサム・モーリー」、「オーミー・ワイズ」とコアなトラッド。
◆過去のメモ◆
□「オー・ブラザー!」を聴き直す(2013/05/10)
□T=ボーン・バーネットつながり(2014/07/08)
「オー・ブラザー!」の音楽プロデュサーは、1970年代半ばのディランのプロジェクト・ツアー「ローリング・サンダー・レヴュー」に参加していたT=ボーン・バーネット(T-Bone Burnett)、継承と言える関連性はあるか気になるところ。
もっとも、ローマックスが最初にこのトラディショナル楽曲の系統をコレクションしたのは1930年代後期らしく各種のフォークソング・アンソロジー本にも収載されていたようで、ディランがどうした経緯で持ち歌としたかとの興味も。
余談だが、「ポ・ラザルス」をはじめとした巷のフォークソングをローマックス父子らがこれほどまでに収集し、文化財として継承できているのは、彼らの才覚とともに米国の議会図書館や公共事業促進局(WPA)が後押しした政策的な成果の色合いが濃いようにも思われる。1929年に始まった大恐慌に際して、フランクリン・ルーズベルト大統領の下、ジョン・メイナード・ケインズ流の経済思想を投影したとされるニュー・ディール政策の中に位置付いた「公共事業」の一部を成している。わが国では公共事業というと、道路や鉄道などハード構築のインフラ整備にとらわれた発想からいまだ抜け出せずにいる。フォークソングやブルースの収集・保存といった米国の例にならった日本であったなら、、、と考えずにはいられない。米国の事例についてもっと詳しく知りたいとも思うのだが、日本人研究者による解明はどの程度進んでいるのであろうか。
◆追記◆
「ポ・ラザルス」のディラン・パフォーマンス、1961年7月のニューヨーク・リバーサイド教会でのフーテナニー・イベントのラジオ音源に巡り会った。他の演目は「ハンサム・モーリー」、「オーミー・ワイズ」とコアなトラッド。
◆過去のメモ◆
□「オー・ブラザー!」を聴き直す(2013/05/10)
□T=ボーン・バーネットつながり(2014/07/08)
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