2014年9月28日日曜日

『アンソロジー・オブ・アメリカン・フォーク・ミュージック』

アメリカン・ルーツ・ミュージックの渉歴で、このタイミングでハリー・スミス(Harry Smith)氏編纂の『アンソロジー・オブ・アメリカン・フォーク・ミュージック』に取り組むことに。このコンピレーション・アルバム、LPレコードでのオリジナルは1952年リリースだそうだが、CD6枚組みの版の新しいもので。開封しての感心はブックレット・資料集の充実度、情報源の注釈や楽曲については別レコーディングを提示してくれてありがたく、これだけでもお値打ち。録音が可能になって間もなくのバラッド、ソーシャル、ソングの大枠3分野で編まれた音源集、一抹の懸念はあったものの、意外とすんなり入って行けたのは、最近聴いていたアーティストたちのルーツがまさにそこにあるから。
例えば、クラレンス・アシュレイ(Clarence Ashley)は「ハウス・カーペンター」「クー・クー・バード」、それにカロライナ・ター・ヒールズ(The Carolina Tar Heels)のユニット名で「ペグ・アンド・オール」などを収載。コンピレーションCDで1960年代初頭のドク・ワトソン(Doc Watson)とのジョイント・ワークを聴いていたので感激。30年ほど前の録音ということで、アシュレイのライフ・ステージでは1960年代はまさしくリバイバルだったんだね。ボブ・ディラン(Bob Dylan)なら「スィ-・ザット・マイ・グレイヴ・イズ・ケプト・クリーン」などブラインド・レモン・ジェファーソン(Blind Lemon Jefferson)が3曲も。黒人霊歌、ゴスペルの変遷に関心を抱きつつ傾聴していた「ウィル・ザ・サークル・ビー・アンブロークン」の兄弟曲関連では「シンス・アイ・レイド・マ・バーデン・ダウン」のタイトルが収載、エドワーズ・マッキントッシュ・アンド・エドワーズ・サンクティファイド・シンガーズ(The Elders McIntorsh and Edwards' Sanctified Singers)のクレジットで1928年の録音となっている。第2巻ソーシャル・ミュージックの後半はゴスペル系でとりわけ心が動いてしまった。
あと、第1巻バラッドの先鋒「ヘンリー・リー」、云々、チャイルド・バラッド収載のマーダー・バラッドか?バリアント、バリエーションで耳に馴染んだものがあるようような、、、。調べてみると、確かににチャイルド・バラッドの46番「ヤング・ハンティング」との情報も。第1巻10番目のトラックはリチャード・バーネット(Richard Burnett)の「ウィリー・ムーア」、13番目はブラインド・フィドラーのG・B・グレイソン(G.B.Grayson)の「オーミー・ワイズ」などは、東理夫氏が著書『アメリカは歌う。歌に秘められた、アメリカの謎』の「アパラチア生まれのマーダー・バラッド」の章で言及・読解していた。後者は「オハイオ川の岸辺で(ザ・バンクス・オブ・ジ・オハイオ)」の元歌であり、その最も初期の録音だとか(マーダー・バラッドに秘められた謎、2011/12/04)。
この間の旅の総括として、ブックレットを読み解き、さらにこれらの音に親しみを深めねば。

◆追記◆
ブックレットにはリチャード・バーネットことディック・バーネットによる1913年のバラッド「フェアウェル・ソング」はよく知られたフォークソング「ア・マン・オブ・コンスタント・ソロウ」となったとある。録音もバーネットのものが最も古いらしい。とか、ブラインド・レモン・ジェファーソン(Blind Lemon Jefferson)の「スィー・ザット・マイ・グレイヴ・イズ・ケプト・クリーン」は、ミシシッピ・フレッド・マクダウェル(Mississippi Fred McDowell)のバージョンでは「シックス・ホワイト・ホーセス」のタイトルだとか、これもなるほど。また、G・B・グレイソンの相棒,、ヘンリー・ウィッター(Henry Whitter)はウディ・ガスリー(Woody Guthrie)、ボブ・ディランへとつながるギター&首かけハーモニカ・スタイルを取り入れていたとか。という具合で興味は尽きず。

◆過去のメモ◆
♪マン・オブ・コンスタント・ソロウ(2013/07/25)

2014年9月20日土曜日

「リトル・フォレスト 夏・秋」

オリジナルはコミックなんだろうは知りつつ、「リトル・フォレスト 夏・秋」(森淳一監督)。そこそこ大人になってからの生活のサイクルでは直接、マンガに接する機会がなくなってしましい、こうして映画などで間接的に遭遇するパターンが多くなっている。素直な感想は意外にもある意味、ヘンリー・デヴィッド・ソローの『森の生活』を想起させる思索の日々と受け止める。原作は読まずに観たので、そもそも何故に橋本愛が演じる若い女性が東北の寒村(“小森”なんだろうね)でスローな食を組み上げる自給生活にとどまっている(カットバックで一度の都会生活を経ての出戻りと分かるが)のかという、興味で引っ張られる。20世紀の末のエコロジー・ムーブメントの延長にあるのか、それだけではなくて、21世紀的な心象も潜んでいるよう。分校の後輩で同じく出戻りの男性をはじめこの集落にはリアル日本にはあえりえないと思われるほど若者が居たり、彼による全体のトーンとは異なる社会認識を語る強い台詞が挟まれたりはするものの、夏・秋編という前段からは明かされなかった。
こんな表現がマンガ発であるところが、また現在の日本。文字と言語による形而上学・評論が同様に活発であった方がよりよいと思うのだが。命を頂戴するあたまりまえの食生活は、都市化・分業化の極みか疎外関係に埋もれてしまはざるを得ない。イワナは頑張って映したが、アイガモのシーンはさすがに割愛したよう。「ブタがいた教室」(前田哲監督、2008)とも共通する食にまつわる根本テーマ。
それで、家の庭のトマトも収穫が盛りを過ぎたのでホールトマトで保存することにしました。あそう、岩手県・早池峰山で撮られたドキュメンタリー「タイマグラばあちゃん」(澄川嘉彦監督、2004)も思い出す。こちらは昭和の延長上。関心のある方は合わせて鑑賞されることをお勧めします。

「リトル・フォレスト 夏・秋」の評価メモ
【自己満足度】=★★★★☆
【お勧め度】=★★★★☆

2014年9月16日火曜日

個人的なディラン・リバイバル~♪船が入ってくるとき

今年は予想外のボブ・ディラン(Bob Dylan)への再傾倒の音楽探訪となっているが、個人的な再興・再認識といえるのがスタジオ録音では3枚目の『時代は変る』(1964年)収載の「ホエン・ザ・シップ・カムズ・イン(船が入ってくるとき)。それにつけ2014年の9月11日は、朝日新聞の社長が2件の「誤報」を認め記者会見した記憶にとどめ置かれるべきメモリアル・デー、何か社会の空気が不穏でモチベーションも陰る今日このごろ。ディラン「船が入ってくるとき」は旧約聖書的ファンタジックな世界を描きつつとても糾弾ともいえる攻撃的かつドラスティックな物語り歌唱だ。マーティン・スコセッシ監督の「ノー・ディレクシション・ホーム」(2005)では確かにジョーン・バエズ(Joan Baez)がディランの怒りを誘発した直接な出来事・ホテルでの門前払いの件を証言していた。こうした歌唱姿勢、「ライク・ア・ローリング・ストーン」1965年)の先駆けであったのか。攻撃的であるととともに、その実、自分を鼓舞するようなパフォーマンスが魅力だなぁーと、現在の自分に妙にフィットするのはそんな解釈でリフレクション。歌詞から意味をくみ取るというよりは、ディランがまま言うように「絵画のように楽曲を受け止める」感じで。テイクによって攻撃度は濃淡があるのだがブートレッグ・シリーズにはピアノ弾き語りがあったり、30周年記念コンサートではクランシー・ボーイズ(The Clancy Brothers)が歌っていたりと、とにかく最近引き付けられている。

◆追記◆
預言者語りの歌の系譜では、「船が入ってくるとき」「ライク・ア・ローリング・ストーン」ときて、「雨の日の女(レイニー・デイ・ウーマン#12&35)」(1966年)。「ライク・ア・ローリング・ストーン」では「ハウ・ダズ・イット・フィール」、「雨の日の女」では「エブリバディ・マスト・ゲット・ストーンド」の各リフレーンのインパクトとその言葉を吐く立ち位置が預言者の様。前者については漫画家の浦沢直樹氏もその刷り込み体験を某TV番組で語っていた。今回の再認識としては特に後者、「みんな、石で打たれるべき」!!!倒錯をはじめ性規範等への罪に対する礫刑が想起され、やっぱり深層は聖書世界かなぁ。云々、「#12&35」は何だったけ?

◆過去のメモ◆
♪ヒー・ワズ・ア・フレンド・オブ・マイン(2014/07/23)
♪連れてってよ(2014/09/13)

2014年9月13日土曜日

♪連れてってよ

ジ・アニマルズ(The Animals)のCD2枚組コンプリート・コンピレーション盤を聴きながら、「ベイビー、レット・ミー・テイク・ユー・ホーム」の元歌って、ボブ・ディラン(Bob Dylan)のファースト・アルバム(1962年)収載の「ベイビー、レット・ミー・フォローユー・ダウン」だなと思い当たる。最もトラディショナル・フォークであり、例によってディランの方もエリック・フォン・シュミット(Eric von Schmidt)とかデイブ・ヴァン・ロンク(Dave van Ronk)とかのアレンジを取り入れていたということらしい。
ということもあり、あらためて調べて返してみると「ベイビー、レット・ミー・テイク・ユー・ホーム」は1964年、アニマルズのデビュー・シングルであった。「ザ・ハウス・オブ・ザ・ライジング・サン(朝日のあたる家)」(1964年)はその次だというから、なかなか面白い。確か、エリック・バードン(Eric Burdon)は「朝日のあたる家」のインスパイアはディランのレコードではないと言っていたように記憶しているが、こっちはどうなんだ?ちなみに、「朝日のあたる家」はメンバーのキーボード奏者アラン・プライス(Alan Price)によるアレンジ、「ベイビー、レット・ミー・テイク・ユー・ホーム」バート・ラッセル(Bert Russell)とウェス・ファレル(Wes Farrell)の共作となっている。2人とも米国人だったか??両曲とも実際のところは???
「ベイビー、レット・ミー・フォローユー・ダウン」、以前記した元歌対比のコンピレーションCDにはブラインド・ボーイ・フラー(Blind Boy Fuller)の「ママ、レット・ミー・レイ・イット・オン・ユー」という結構歴史的な音源が当てられている。このパフォーマンス、かなりイケている。私にとっては十代の終わりに劇場で観た「ラスト・ワルツ」(マーティン・スコセッシ監督、1978)においてのロック・バージョン、リプリーズもあり、インパクトを残した楽曲であるのだが。云々、ディランも結構歌い継いでいるということか。
余談だが、フォーク・ロックの嚆矢であり双璧、アニマルズ「朝日のあたる家」ではアラン・プライスディラン「ライク・ア・ローリング・ストーン」(1965年)ではアル・クーパー(Al Kooper)と、オルガン・パートの妙とパフォーマンスのカッコよさが際立つ。

◆追記◆
「ベイビー、レット・ミー・テイク・ユー・ホーム」「朝日のあたる家」ともにアニマルズ(The Animals)のCDのライナー・ノーツでは、ジョシュ・ホワイト(Josh White)の録音からのインスパイアを示唆している。ジョシュ・ホワイト、初期のレッドベリー(Leadbelly)とかブラインド・レモン・ジェファーソン(Blind Lemon Jefferson)とかと接点があり米国レコード産業勃興期から録音を残している黒人音楽家の一人とは認識されるが、わが国においてはあんまし知られていないのかな。手元に録音ストックもなかったし、この人物とその足跡、新たなリサーチの課題。

◆過去のメモ◆
ディラン、ファースト・アルバムの元歌対比集(2014/06/08)
♪リング・オブ・ファイアーつながりてアニマルズへ(2014/08/20)

2014年9月3日水曜日

「マダム・イン・ニューヨーク」

ついこの前観たインド映画の感想(「めぐり逢わせのお弁当」、2014/08/23)で触れた、「日常会話での英語混ざり」がプロット展開にうまく織り込まれたのが、今回のインド映画「マダム・イン・ニューヨーク」(ガウリ・シンデー監督)。年に何度かは出会いたい、心の糧となる映画。今現在の国内外から報道として伝わる紛争・事件、国家・民族、居住地域や新旧のコミュニティあるいは家族内といった各階層での人間同士の対立を受け止めようとするにつけ、あらためて冷静なモチベーションに立ち返らせてくれる。また、自分史を顧みて母の心情を慮ったり。
インドから一人、姪の結婚式のためニューヨークを来訪するの主人公の女性は、経済成長と近代化の恩恵に浴する富裕ファミリーの主婦であり2児(長女が通うのはカトリック系ミッション・スクールだったかな?)の母。リベラルとコンサバティブの狭間に揺れる心情ドラマを内包したヒューマン・ストーリー仕上げが本作の味わいの深さ。「ジャッジメンタル」がキーワードとなりバランスが取り戻されたのかも。「めぐり逢わせのお弁当」ほどにはシリアスに向かわず、ポップな音楽とダンスがあり、コメディ調のスパイスも的を射ている。「めぐり逢わせのお弁当」で狂言回しを演じた弁当誤配送先の同僚青年に比するポジションとして、ニューヨークでマダムが決意して通うことにした英会話学校で迎えるゲイの講師の明朗な役柄がうまく機能している。
グローバリゼーションを好感的に受け止め多国籍・多民族の相互理解と絆に対する優しい眼差し、「スパニッシュ・アパートメント」(セドリック・クラッピシュ監督、2002)以来の遭遇かな。

「マダム・イン・ニューヨーク」の評価メモ
【自己満足度】=★★★★☆
【お勧め度】=★★★★☆