2013年12月30日月曜日

《素晴らしき哉、人生!》

『素晴らしき哉、人生!』という本をクリスマスを過ぎた先日、店頭で見つける。もちろん、フランク・キャプラ監督の「素晴らしき哉、人生!」(1946)の関連本で、フォーインという出版社から出ている名作映画完全セリフ音声集/スクリーンプレイ・シリーズの166番目。2013年2月が初版ということで、キャプラ復興の余波はこんなところにもと嬉しくなる。TV放映で視聴した「オリバー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史」での、フランク・キャプラへのクローズアップ(2013/09/05記)に続いてってところだけど。
このスクリーンプレイ本、昔の同種のものに比べると、コラムその他なかなか充実しているなぁとお見受けする。例えば本筋以外のところで、あんまし一般の邦人の気には止まらないだろうなと思われる劇中ソングで聖歌の「ハーク、ザ・ヘラルド・エンジェルズ・シング」(2012/12/22に私見、もう1年も前に!?)や大衆歌謡の「バッファロー・ギャルズ」(2013/08/01に私見)への言及とか、さすがである。とりあえず、一読してみることに。

◆追記◆
コラムには、2010年にニューヨーク州セネカ・フォールズに「イッツ・ア・ワンダフル・ライフ・ミュージアム」が開設されたとのニュースも。キャプラが劇中の街、ベットフォード・フィールズのモデルとしたとの説に基づくプロジェクトで、それも何と、主人公ジョージ・ベイリーの娘・ズズを演じたキャロライン・グライムスの協力によるものだとか。この辺り、少しく詳しく知りたいところだ。

2013年12月29日日曜日

次もジョニー・キャッシュのクリスマス・アルバム

ジョニー・キャッシュ(Johnny Cash)、前作があまりにフィットしたので、ネットでピックアップできたCD『ザ・クラシック・クリスマス・アルバム』へ、11枚目。16のトラック、これはある程度の楽曲クレジット情報が付いているので、1963年、1972年、1980年の各年にリリースされたジョニー・キャッシュの3枚のクリスマス・アルバムからのコンピレーション版であることが分かる。クリスマスらしさ、キャッシュおよびカーターの親しみが募るファミリー版であるとともに。もちろん、「リトル・ドラマー・ボーイ」もあり。ちなみに、ジョニー・キャッシュによるオリジナルのクリスマス・アルバムは4作あるらしいが、これでほぼ、半分程度を聴けることになったわけだ。

2013年12月16日月曜日

ジョニー・キャッシュのクリスマス・アルバム

今シーズンは9枚で打ち止めかと思い込んでいたら、いやいやまだまだ。ジーン・オートリー(Gene Autry)やエヴァリー・ブラザーズ(The Everly Brothers)以上に切望していたジョニー・キャッシュ(Johnny Cash)の『クリスマス・アルバム』が10枚目に。このCDは欧州輸入盤との事前情報があってコンピレーション版と思いきや、聴きながら調べてみるとジョニー晩年にして最後のクリスマス・アルバム『ジョニー・キャッシュ・カントリー・クリスマス』(1991年)をベースにしたものらしい。オリジナル盤13曲にプラスして、冒頭の「ホワイト・クリスマス」、エンディングに「アイル・ビー・ホーム・フォー・クリスマス」があしらわれた仕様で、なるほど、この2曲はカントリー・コンセプトとはちょと違うかと思ったり。
このCDには曲目に関する若干のクレジットはあるが、メーンのジョニー以外のパフォーマーに関する記載がほとんどない廉価盤仕様なのは至極残念。だけど、多くのパフォーマンスはジューン・カーター(June Carter)かつカーター・ファミリー(カーター・シスターズ)とのコラボレーションであることに歓喜!!してしまう。今年はジョニーカーター・ファミリーとも一段と聴いてきたので、まさに締めくくりの感じで。このゴールデン・ファミリー・ユニットにして、それなりに晩年・老成時のものであるかと思わされ感慨もひとしお。「フィギィ・プディン(イチジクのプディング)のクレジットは一般に「ウィー・ウィッシュ・ユー・ア・メリー・クリスマス」として知られる曲で、カーターシスターズ・アレンジが施され、齢を重ねたが快活で茶目っ気のあるジューンのはじけ方とアニタ(Anita)のビューティフルでクリーンなで嫌味のない歌声が楽しめる面白い録音、あらためてアニタ、よいよね。これかなり気に入ってしまった。今季最上級のフェイバリット・パフォーマンスといえるかも。
選曲はクリスマス・クラシックスまたは定番の讃美歌がベースになっているのも気になるような。これまでジョニーのクリスマス・ソングで最も好きだったのは「リトル・ドラマー・ボーイ」であったが、これは未収録。

2013年12月13日金曜日

ジーン・オートリーのクリスマス・アルバム

ジーン・オートリー(Gene Autry)のクリスマス・アルバムってないかなぁと、探してみたら、プライスレス・コレクションという廉価企画CDなのか、見つける。確かオリジナルのシンガーだったと思う「フロスティ・ザ・スノーマン」、「サンタ・クロースがやってくる」、「赤鼻のトナカイ」の3曲を含め17のトラック。なるほど、これらのセレクションとパフォーマンス、現代に続くクリスマス・ソング歌唱の基本的なもの(要素)が入っているなぁと感心してしまう。パフォーマンスの質はカントリーというよりポップだろうか。
今シーズンの封切りアルバムは、これで9枚目。あとは繰り返しとセレクトで聴き込んでいくことに。

2013年12月8日日曜日

『ノエル』

8枚目はジョーン・バエズ(Joan Baez)の『ノエル』。オリジナルは1966年の録音ということで、ずっーと以前から気にかけていて、やっと今回、CDを入手。オリジナルは17トラック、CD盤で6つのボーナストラックが加わり、しかもリマスター版であるというが、正直、音としては満足できなかった。若いバエズではあるけれども。クラシック、トラディショナル中心の選曲だけど、ちょっとレアな曲とか、バエズ得意の多言語を交えてというところが聴きどころか。アルバムタイトルが仏語だし、「アウェイ・イン・ア・メインジャー」は英仏バージョンあり、「オー、ホリー・ナイト」は独語でね。

2013年12月2日月曜日

「すべては君に逢えたから」

しばらく映画館が遠ざかっていたのと、時間潰しの必要ができたので、まさに飛び込みで「すべては君に逢えたから」(本木克英監督)。事前情報なしのスタートで始まってみると、クリスマス・シーズンにありがちな群像劇と分かり、つかみどころのなかった登場人物たちが時間経過とともに若干の絡みをまみえつつ、クリスマスらしい予定調和のドラマとして収束した。群像劇というよりオムニバスかな。ああ、若手の女優陣ってほとんど見覚えないなぁ、邦画って主演格は代替わりしちゃったの???とか思い巡らしているうちに。そうか、小さな洋菓子店でバイト、恋愛独り相撲の女子大生は本田翼だったか、「江ノ島プリズム」(吉田康弘監督)の。そういえば「江ノ島プリズム」を観たのも似たようなシチュエーションからだったね。
少しく感想。東京駅に因んだアイディアは及第点。でも、クリスマス映画としてこの作品が扱っているのは、「クリスマスって何の日?」という視点でのオーソドックス・アプローチのうち一つは満たしている(評価している!エンターテイメントとして、)けど、信心に欠けていて、宗教性というもう一方の要素を満たしてなく、随分と軽い印象は何故と考え込んでしまう。この映画でも児童福祉施設を運営している団体がキリスト教系だという形をなぞったが、宗教的な動機付けは示されない。わが国でクリスマスが描かれた映画一般にいえそうなことであるが。これって、クリスマス・ソング愛聴者としては、邦人ミュージシャンのクリスマス曲パフォーマンスにも同様のモチベーションを類推したり。昨今、無意味に2時間超の冗長な映画が大量生産される中、1時間46分、まあ時間消化映画としてはちょうどよかったのだけれども。

「すべては君に逢えたから」の評価メモ
【自己満足度】=★★★☆☆
【お勧め度】=★★★☆☆

2013年11月30日土曜日

『MFQ クリスマス』

7枚目は『MFQ クリスマス』。ハモーニー続きでモダン・フォーク・カルテット(The Modern Fork Quartet)、このアルバムも仏国ルーツの讃美歌で「イン・エクセルシス・デーオ」」のラテン語の響きが余韻を引く「あら野のはてに(エンジェルズ・ウィー・ハブ・ハード・オン・ハイ)と」などのクリスマス・クラシックス中心の14曲。ヘビーローテンションに耐えるパーフォンス、いいじゃない。エヴァリー・ブラザーズ(The Everly Brothers)のクロース・ハーモニーとはまた違って、いかにもモダンなハーモニー。ウィーバーズ(The Weavers)とも違うし。1990年発売のCDだけど、、、録音はいつかな、復活時のもの?

2013年11月24日日曜日

『クリスマス・ウィズ・ジ・エヴァリー・ブラザーズ』

6枚目はエヴァリー・ブラザーズ(The Everly Brothers)。アルバム・タイトルとしては『クリスマス・ウィズ・ジ・エヴァリー・ブラザーズ・アンド・ザ・ボーイズ・タウン・クワイア』で12曲収載。これがオーソドックな選曲と、これぞボーカル・アルバムというパフォーマンスと録音のバランスのよさで、今シーズン一番のお気に入りになってしまった。といっても1962年の録音、気にはなっていたが今回やっとCD再発盤を入手。フィルドンの地声の質とハーモニーを身近に感じ、妙に最近の私にはフィットしてしている。ハーモニーによってあらためて楽曲のよさも浮かび上がってくるし。合唱団とのジョイントというのも成功してると思う。
選曲の特徴は人口に膾炙され長年歌い継がれてきたクリスマス・クラシックスかつ讃美歌、宗教心に富んだ楽曲であること。シンプルな祝歌であっても、ブラザーズの姿勢に敬虔さがうかがえるのが心地よい。エンディングの「ウィー・ウィッシュ・ユー・ア・メリー・クリスマス」とかね。

2013年11月22日金曜日

ケニー・ロジャースの『クリスマス』

5枚目はケニー・ロジャース(Kenny Rogers)の『クリスマス』(1987年)。一聴の印象は、こんなにもケニーの歌声ってジェントルだった?!というもの。トラック数は10、決まりものに偏らず、例えばカントリー・ミュージックらしい「ケンタッキーのクリスマス」とかが入ってバランスよい感じ。前述の『ブラック・クリスマス』続きでは、「スウィート・リトル・ジーザス・ボーイ」が収載されていた。ちなみに、ロバート・マックギムジー(?)のクレジットがあり、このスピリチュアル探究で手がかりを得る。
あと、「オー・ホリー・ナイト」とか「ホエン・チャイルド・イズ・ボン」なんかよいよね。「オー、ホリー・ナイト」は19世紀中葉の仏国ルーツだそうで、『ジャズ詩大全』の村尾睦男氏によると、普仏戦争(1870年~)の戦場前線で「歌合戦」の皮切りとなったのを契機に「24時間の停戦」が実現された逸話があるとのこと。デジャヴ感が湧き上がってきて、そう「戦場のアリア」(クリスチャン・カリオン監督、2005)のプロットに重なっている。実話ベースの映画との触れ込みであったが、こちらは第一大戦中(1914年)なんだよね。繰り返す歴史に返す言葉はなく、、、ですな。
ケニー・ロジャース、昨シーズンはドリー・パートン(Dolly Parton)とのコラボ・アルバムを聴いていた。こちらも再履修しなくては。

2013年11月21日木曜日

『ブラック・クリスマス』

今季のクリスマス・アルバム4枚目として、『ブラック・クリスマス―黒人霊歌のクリスマス曲集』(1990年録音)。オペラ歌手のトーマス・ヤング(Thomas Young)、ヴァネッサ・アイヤーズ(Vanessa Ayers)らがボーカルのいわばクラシック調。これまでのストックではキャスリーン・バトル(Kathleen Battle)とか、クラシック歌手の黒人霊歌集あるいはクリスマス曲集のどちらかだったなと思い出しつつ、違いを見い出そうと咀嚼しながらの鑑賞に努める。フォークであったはずのニグロ・スピリチャルがチャリティなどの目的を持って普及期にはこのような演奏スタイルがあって受け継がれているということなのかな、、、などと頭をよぎる。一聴、独特の訛りのないきれいな英語を歌っているように聞こえたり。例えば、オデッタ(Odetta)のスピリチュアルとはパフォーマンスが対極にも感じる。
14のトラック、黒人霊歌といっても元歌は讃美歌ルーツ?との疑問も。その辺りで探究してみることに。
で、、、調べてみると、この『ブラック・クリスマス』収載の「ライズ・アップ・シェパード(・アン・フォラー)」と「マリー・ハド・ア・ベイビー」の2曲はキャスリーン・バトルオデッタもラインアップしていた。なるほどね。それ以外は、、、、

2013年11月18日月曜日

エイミー・グラントの『クリスマス・アルバム』

CCM(コンテンポラリー・クリスチャン・ミュージック)というコンセプトで、まず頭に浮かぶのはエイミー・グラント(Amy Grant)。今シーズンに向け3枚目として『クリスマス・アルバム』(1983年、邦盤なので1988年発売)を聴いてみる。トラック数は11、楽曲セレクションの特徴はどうなんだろう。というより、エイミーをアルバムで聴くのは初めてだが、本作が1983年製作ということもあってか、随分と歌声が若くかわいらしく聞こえて、少々、予測をはずされた感あり。この声がCCM的というなら、なるほど、ゴスペルという言葉に染みついた土臭さがないよね。サウンドもあか抜けしてポップで。
これがエイミーにとって最初のクリスマス・アルバムだそう。職業柄、その後もクリスマス・アルバムは何枚か出しているようで、今回、当たりの楽曲を見つけられなかっただけに、もう少し探究してみようかとも。そうか、同世代でもあったし。
ヴィンス・ギル(Vince Gill)がパートナーということで、これぞまさにゴールデン・カップル。音楽のコラボもあるようだし、、、こちらも気に留めておくことに。

2013年11月4日月曜日

『バラッド・クリスマス』

二つ目のクリスマス・アルバムは、つのだひろ『バラッド・クリスマス』(1991年)。10トラックにオリジナルが3曲、ほか「ディス・クリスマス」とか、ソウル系のナンバー、もしくはトータルでソウルフルなアレンジに味わいあり。うーん、でも「ディス・クリスマス」、作詞・作曲クレジットにダニー・ハサウェイ(Donny Hathaway)が入ってないんだけど、何でだろう?
それはそうと、いいいよね、つのだひろ。しばらく聴いていなかかったけど、聴いてみたくなるモチベーションもある。クリスマス・コンセプトで、ライオネル・リッチー(Lionel Brockman)の「エンドレス・ラブ」とか、レオン・ラッセル(Leon Russell)の「ア・ソング・フォー・ユー」などを採用し、うまくはまっているところに面白みを感じたり。そこ、バラッドって、ポピュラー音楽界でいうところのバラードなんだろうな、特に日本で。このコンセプトも曖昧模糊として、分かったようでさっぱり分からないけど。
1980年代の初頭であったか、ジャップス・ギャップスをよく聴いていた。その実力とクオリティのわりに、当時は他に聴いている人を見知ったことがほとんどなかったが。懐かしくもあり。

2013年10月30日水曜日

グロウン・アップした♪クリスマス・リスト

待ちきれずに、デヴィッド・フォスター(David Foster)プロデュース『THE CHRISTMAS ALBUM』(1993年)から聴き始める。私的に、最も歴史が浅いクリスマス・スタンダードと認定している「クリスマス・リスト」の、オリジネーター・コンビによるバージョンが聴きたくてということで。ナタリー・コール(Natalie Cole)のこの曲に限らず、アルバム全体の印象はポップにゴージャス。12のトラックのうちカントリー界から、ワイノナ(Wynonna)が「ブルー・クリスマス」タミー・ウィネット(Tammy Wynette)が「アウェイ・イン・ア・メインジャー」と、カントリー系っぽい楽曲で参加しているが、アレンジは甘口というべきか。
最近の曲と思っていたのに、「クリスマス・リスト」、もう四半世紀も経ったなんて。まだまだ、聴き込みが足りなかったな。911を経て、グロウン・アップしても変わらない、歌詞に込められた願いとともに。

2013年10月25日金曜日

〈コールド・マウンテン〉も聴いてみる

マウンテンつながりで、「コールド・マウンテン」(アンソニー・ミンゲラ監督、2003)のサントラCDも調達して聴いているところ。「オー・ブラザー!」(2000)に同じくT=ボーン・バーネットがプロデュース、同じつながりでアリソン・クラウスがエルヴィス・コステロとスティングが提供した2曲を歌っている。たぶん特徴的なのは、ジャック・ホワイトの5曲とオリジナル・スコア提供のガブリエル・ヤレドによる純粋映画音楽。一通り聴いてみて、トラディショナルが処々にと思うも、定かにつかめず。ライナー・ノーツをなぞりつつ、反芻していくことに。
個人的には、この映画もスター・キャストの割に、後引きが薄かった。音楽を契機にまた機会があれば再鑑賞でも。

◆追記◆
T=ボーン・バーネットつながり(2014/07/08)

2013年10月22日火曜日

ニュー・ロスト・シティ・ランブラーズに耳を傾ける

これまでまとめて聴いていなかったニュー・ロスト・シティ・ランブラーズ(The New Lost City Ramblers)。アルバムCD『OLD TIME MUSIC』が入手できたので、流し始める。ニューポート・フォーク・フェスティバル、1963~1965年からの編集盤で、ジャケット表面にはないけど裏面には「& FRIENDS」の記載があって、31トラック中、メイベル・カーター(Maybelle Cater)が5トラック、カズン・エミー(Cousin Emmy)が9トラック、あと、フィドラーのエック・ロバートソン(Eck Robertson)、バンジョー弾き語りのロスコー・ホーコム(Roscoe Holcomb)ら、共演または客演者パフォーマンスが多く収められているのが特色といえる。都会のオールド・タイム信奉者と生粋のバナキュラー・パフォーマーのジョイントといった、フォーク・リバイバルの感触が伝わってきて、なるほどとうなずく。ホスト=ゲストの構成、ライブとしてもアルバムとしても妙である。
そういえば、カズン・エミーって、30~40年代か、若い時の随分とハジけた表情が強烈なインパクトを放つレコード・ジャケットがあったね。パフォーマンスも豪放系。
複数の楽器を奏でるのがニュー・ロスト・シティ・ランブラーズのパフォーマー個々の特徴といえると思うけど、オリジナル・メンバーからトム・ペイリー(Tom Paley)が抜けて、トレイシー・シュワルツ(Tracy Schwartz)に代わっているというのも、よく聴いてみたいところ。オールド・タイムの御大たちのシブめの演奏と好バランスというか、マイク・シーガー(Mike Seeger)の、お兄ちゃん然としたボーカルと語り口に親しみを感じてきた。

2013年10月15日火曜日

クリスマスがコンセプトのアルバムを探る

世代の変わり目なのか、最近とみに定盤セレクトとかいったディスク・ガイド出版物が多いような気がする。「アルバム」という音楽の流通方式は、おそらくは、クラシック音楽・ベートーベンの楽曲が一つのコンセプトを規定したといわれるLPレコードからCDという記録媒体が技術・経済的に優位であった時代の華であった。
1年ほど前に発行された前述ジャンルに相当する、音楽誌増刊号の巻頭で編集者が記した「アルバムというスタイルが今後どこまで主流であり続けるか分からない時代」との現状認識に、他のさまざまな分野同様に先行きへそこはかとない不安の増幅を感じつつ、でもまだ、アルバムが享受でている現在に楽しみを見い出し、われに帰る。
ポピュラー音楽界ではビートルズが創作的な「コンセプト・アルバム」というコンセプトを創出したとする通説もあるようだが、たぶん、ゴスペルとかクリスマスとかの民俗的コンセプトに限定して追っていくと、もっとさかのぼれるのかなと、考えを巡らす。クリスマス・ソングの愛好者なので、キリスト教色を曖昧にした「ホリディ・アルバム」も含め、そのバリエーションや黎明のころの形などを、探ってみたいものだ。基本的にカントリー・ミュージック系統たどりが、ここ何年かの趣向なんだけど。
ちょっと早いけど、クリスマス・アルバムは聴く時期が限られる。今シーズンはどのくらい聴けるか。CD封切り予定でジーン・オートリージョニー・キャッシュに、セコハン収集からデヴィッド・フォスターエイミー・グラントつのだひろ、そして、『黒人霊歌のクリスマス曲集』の6点まで集め、お楽しみのスタンバイを整えつつ、さて、さて、いつから聴き始めようか。もう少々、ラインアップを図り。

2013年10月6日日曜日

〈ブロークバック・マウンテン〉を聴いてみる

最近はめっきり縮小と見えていた、CDショップ店頭のサントラ盤コーナー、期間限定999円という邦盤企画で100を超えるタイトルが再発売されていて、目にとまったのが「ブロークバック・マウンテン」(アン・リー監督、2005)のそれ。アン・リー監督作品は大概好みに仕上がっているが、この映画は封切り時に見たっきり、個々のシークエンスと使われた楽曲は全くのおぼろというのが正直なところ。ウィリー・ネルソン「ヒー・ワズ・ア・フレンド・オブ・マイン」(エンディングのテーマ)、エミルウ・ハリス「ア・ラブ・ザット・ウィル・ネバー・グロウ・オールド」(主題歌だった?)、リンダ・ロンシュタット「イッツ・ソー・イージー」―の3点が収録されていることを頼りに購入してしまった。
しばし聴き流して、ライナーノーツも読み始めたところだが、「ヒー・ワズ・ア・フレンド・オブ・マイン」ボブ・ディラン作との論述があり?、英文クレジットも同様??、映画のエンドロール表記もそうだったのか???と気になってきた。ちょっと調べてみた限り、ディランにはブートレッグ版の録音しかないようだが、、、どうなんだろう。ディランというよりは、作者未詳のトラディショナル・フォークだと思われるこの楽曲、手持ち音源を含めて、ほかのバージョンを探したくもなってきた。
リンダ・ロンシュタットのは劇中場面で挿入だったと思うけど、「イッツ・ソー・イージー」は1977年のリリースで、このころ、ラジオの洋楽ヒットチャート番組などを聴いていた個人史に照らして、素直に反応してしまうサウンドと歌唱。
その後、1980年代後半から1990年代は、ジャズ・ボーカルやスタンダード・ソングをよく聴いていたけど、ここでもリンダがかぶっていた。「イッツ・ソー・イージー」のオリジナルはバディ・ホリー。ここでまた、リンダの初期の録音を見かえしてみると、「デスペラード」&イーグルスといったキーワードにも増して、アメリカン・ルーツ・ミュージックを継承する歌い手としての一面が見えてくる。この辺りもあらためて散歩してみたいもの。ブロークバック・マウンテンってワイオミングだった?土地柄も思い起してね。
ちなみに「ブロークバック・マウンテン」で、エミルウ歌唱の上述を含め主だったオリジナル楽曲を書き下ろしたグスタボ・サンタオラヤが、サントラ盤でもプロデューサーを務める。この方に強い印象は感じてなかったが映画畑では、アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥとかウォルター・サレスの監督作品とかで、ラテン系コラボレーションとしてよい仕事をしてきたようには見えた。本作品では、映画音楽としては至極好ましいといえる大人しい旋律が裏目、、、というのが、今現在の感想である。

◆追記◆
「ヒー・ワズ・ア・フレンド・オブ・マイン」ボブ・ディランの関係の疑問、解に近づく示唆を、マーティン・スコセッシ監督「ノー・ディレクション・ホーム」(2005)の日本語公式サイト内に見つける。デイヴ・ヴァン・ロンク(Dave Van Ronk)のアルバムにディラン作のクレジットがあるとのこと。ディランがデビュー盤用に録音したトラディショナル調の、ロンク・バージョンであるという。ここでも何故にという疑問は残るのだが、、、。デイヴ・ヴァン・ロンクのパフォーマンスは「ノー・ディレクション・ホーム」に収録とのことだが、語りのイメージのみ強く演奏の記憶がいまひとつ。サントラ盤かつブートレッグの第7集のCDには入っていないので、映像を流してみようか、、、(2013/10/12)。
元歌ということでは、カントリー・ブルース系の「ショーティ・ジョージ」との論説があるが。

「インサイド・ルーウィン・デイヴィス」(2014/06/19~20)

2013年10月3日木曜日

「そして父になる」

カンヌ映画祭で評判を得たという、是枝裕和監督の最新作「そして父になる」。その審査員賞とかの受賞で、本邦公開前に是枝監督らのマスメディア露出が増え、予断を形成する雑多な情報が鑑賞前に入り込んだのが私にとって、普通に楽しめなかった原因となった。カンヌ出品を意識してなのか理想的と思われるスターキャストも私にはフィットせず。
それは置いておいても、是枝監督にしては完成度も及第点に達していないよね。二組の夫婦とそれぞれの子どもたちといった主要な登場人物、あるいは彼らの家族や職場などの取り巻きら、それぞれの状況の受け入れと感情の振幅、諸々の判断が、場面場面について回りそうなドラマを設定したが、いくつかの台詞への投影のほかは上滑りしていく。そして父になる、、、タイトル通り、一方の父親側に視点があり、だれもがその時代を過ごしたであろう「子ども」の感情からは遠く離れ、作り物じみた語り口となってしまっている。期待が大きかった分、ミスマッチの指摘が多くなってしまった。

「そして父になる」の評価メモ
【自己満足度】=★★☆☆
【お勧め度】=★★★☆☆

2013年9月30日月曜日

♪コットン・フィールズに帰る

トレイン・ソングがらみで、レッドベリー(Leadbelly)、オデッタ(Odetta)、ピートー・シーガー(Pete Seeger)とウィーバーズ(The Weavers)等々に、ジョニー・キャッシュ(Johnny Cash)と聴いてきて、レッドベリーが原点と思われる「コットン・フィールズ」ジョニー・キャッシュも1962年のアルバムに「イン・ゼム・オールド・コットン・フィールズ・バック・ホーム」のタイトルで録音していたことに気づく。この曲では大のお気に入りのクリーデンス・クリアウォーター・リバイバル(Creedence Clearwater Revival、CCR)は1960年代の末のはずで、とすると、このキャッシュ・バージョンへの興味がことさら増す。W・S・ホランドのドラムスが固定される前のテネシー・ツー+αのシンプルなサウンド、女性コーラス付きはカーター・ファミリーかな、ここは要確認。
CCRと同時期、ビーチ・ボーイズ(The Beach Boys)版もあったよね。けど、やっぱり、CCRはジョン・フォガティ(John Fogerty)の歌声に象徴され、今聴いてもワクワク感が蘇る気がする。バンドの活動期間が短かったというインパクトもあるのか。個人史としてはここらが起点、、、との回顧はさておき、ルーツたどりの味をしめてレッドベリーにパフォーマンスが味わえるようになってきた。もう少しバリエーションを探ってみる。

2013年9月24日火曜日

♪ロック・アイランド・ライン、、、も、トレイン・ソング

大荒れのJR北海道。事故・不祥事の噴出は、コンプライアンス、ガンナンス、社内風土等々の掛け算の解と見えてくるが、かねて報道でいくつか語られてきたものの、民営化の光と影の実像?これほどまでの状態に至った経緯が明朗に言い当てられていないことと、正すには何を成すべきかが論じられていないことにストレスが募る昨今である。本道の鉄道輸送網は存続しえないのでは、という暗澹たる気分を引きずりつつ、米国にはトレイン・ソングをジャンルとして認識できるほど鉄道への関心と愛着があるな、と思い起こす。
『ジョニー・キャッシュ・ミュージック・フェスティバル2011』(2013/08/25)のところで記した、同DVD収載、ジョン・カーター・キャッシュ(John Carter Cash)が披露した曲の一つも、その典型といえる「ロック・アイランド・ライン」。フェスティバルの趣旨からして、もちろんジョニー・キャッシュ(Johnny Cash)のレパートリーではあるが、トラディショナルとして原点に近いのはレッドベリー(Leadbelly)の録音だろう。
実は私自身これまで、鉄道の歌という意識では聴いてはいなくて、タイトルの掛詞イメージとその曲調か、ロックン・ロールの源流の一つ?といった思い込みが強かった。実際、最近のリンゴ・スター(Ringo Starr)をはじめロック・ミュージシャンのカバーも多いようだし。今回は少し探究してみて、イリノイ州内で19世紀半ばに開通したシカゴからロック・アイランドを結ぶ鉄道のことで、これによってミシシッピ川と接続し人と物の流れに画期をもたらしたのだという。

◆追記◆
レッドベリー発のトレイン・ソングなら、「ミッドナイト・スペシャル」もお馴染み。そう、ジョニー・キャッシュトレイン・ソングに縁の深い歌手だね。「ヘイ・ポーター」、「フォルサム・プリズン・ブルース」、「トレイン・オブ・ラブ」など自作に、今回の「ロック・アイランド・ライン」と「オレンジ・ブロッサム・スペシャル」、「レック・オブ・ジ・オールド97」らのルーツ・ミュージック・クラッシクスも。旅、さすらい、流浪というコンセプトまで広げると、まだまだ。
ルーツ・ミュージック・クラッシクスということなら、鉄路建設人夫として「ジョン・ヘンリー」といった伝承歌、さらに、利用者としてのホーボー・ソングも同系のジャンルだね。

2013年9月22日日曜日

〈白鳥の歌〉~♪アイ・ソー・ザ・ライト

ジョニー・キャッシュ(Johnny Cash)が出演の映画は多々あるが、おそらくわが国で最もポピュラーなのはTVシリーズの一編「刑事コロンボ 白鳥の歌」(ニコラス・コラサント監督、1974)。ノーカット&ハイビジョン・リマスター版がNHK‐BSで放映されていたので思い出して、、そのやっと再放送で、何十年ぶりかの再鑑賞ができた。初見は70年代、NHKで最初の放送サイクルだったかな。その時は、この「カントリー歌手」がリアルでも大物と意識していなかったのは確か。
劇中でカントリー歌手を演じるキャッシュは、「サンデー・モーニング・カミング・ダウン」などオリジナルとは、ちょっと違ったニュアンスのパフォーマンスを見せているが、やはり肝の楽曲は、事件の標的となる妻が傾倒する教団のチャリティーでテーマ的に歌う「アイ・ソー・ザ・ライト」。いかにものカントリー調を沸き立てる、このハンク・ウィリアムス流のゴスペル、冒頭のコンサート・シーンに続き、ドラマのサブ・テーマのように要所に顔を出す。レコード版とライブ録音のコーラス・アレンジの相違を聴き分けたコロンボが、得意の心理戦で相手を追い詰める会話ネタも使っている。そして、オチもまた、カントリー歌手による同曲のパフォーマンスを評して、「人を殺せる人間ではない」、「私が捕まえなくとも自首したはず」などと、見透かして諭す台詞で決まる。
今回の再鑑賞の収穫、ジョニー・キャッシュをより身近に見知った上で観れたこと。加えて、「白鳥の歌」と付したタイトル、ギリシャの哲学者・プラトンの『パイドン』かな、、、とにかく、辞書的には、白鳥は死ぬ前に最も美しい歌を歌うというモチーフ。最初にTVで観た時は、タイトルの由来については考えなかった、無知だったな。それぞれ、齢を重ね相応に知見が、というところか。

2013年9月17日火曜日

♪ハッシュ、リトル・ベイビー、、、なのか?

「フォルサム・プリズンのレジェンドといえば、」(2013/06/26)のところで、「グレイストーン・チャペル」の旋律は、カウボーイ・ソングの「オールド・ペイント」が元と追記したように、最近傾倒している楽曲の探訪欲に駆られて思い当たる度に、聞き流して溜まったマイ・ライブラリーから、フォーク・リバイバルのころのウィーバーズ(The Weavers)、ピート・シーガー(Pete Seeger)、ニュー・ロスト・シティ・ランブラーズ(The New Lost City Ramblers)、あるいはボブ・ディラン(Bob Dylan)等々を引っ張り出したり、新たに廉価盤でコレクションしたりで傾聴、ハッと再認識することが増えてきた。今回の例はジョーン・バエズ(Joan Baez)のデビュー・アルバム(1960年)CD廉価盤のボーナス・トラックに収載された「ハッシュ、リトル・ベイビー」。日本人には馴染みが薄いようで妙に懐かしい子守歌、、、ジョニー・キャッシュ(Johnny Cash)の一連の子供時代ソングの一つ、「ピッキン・タイム」のオリジナル・メロディーだよね。
ちょっと調べた範囲では明確な指摘は見つけられなかったものの、「ハッシュ、リトル・ベイビー」の詩的センスはボ・ディドリー(Bo Diddley)の、名刺代わり?に名前を付したデビュー曲「ボ・ディドリー」の歌詞反映されているという説に遭遇。この曲の深みも探索過程。

2013年9月15日日曜日

「許されざる者」×2

クリント・イーストウッド監督の西部劇(1992年)を、明治当初の北海道へと翻案したリメイク版ということで、封切り初日に鑑賞した「許されざる者」(李相日監督)。やっぱり冗長だったな。物語に入り込めなかった。道民である私にも、これが北海道ってロケーションは、よく見えたが。
クリント・イーストウッドが監督した映画は大概好みのテイストに仕上がっているが、このオリジナルに限っては、以前観た時も感度が低かったというのが正直なところ。今回ちょうどTV放映(相当の短縮編集版)があったの見比べてみると、プロットとセリフは丁寧に置き換えられていることが分かり、日本版の製作陣の意欲はうかがえた。
オリジナルには悪名を馳せた元ガンマンの復帰、腐れ縁の仲間との絆、賞金稼ぎ、鼻っ柱が強い若僧、パターナリズムの権化である強権的な街の仕切り屋―といった、西部劇に特徴的なシチュエーションは、ほとんどそろっている。取っつき難さの原因は、このガンマンの人間像への移入がスムーズではないこと、「娼婦に傷を負わせた仇」としての懸賞私刑遂行という、動機付けプロットが理解できないことにあると思う。これら点は日本版も共通する。後者の動機付けプロットの部分、文化的な深層があるのか、米国人はどうとらえているのか?、気になるところだ。

「許されざる者」(日本版)の評価メモ
【自己満足度】=★★☆☆☆
【お勧め度】=★★★☆☆

2013年9月12日木曜日

♪フレッシュ・アンド・ブラッド~アイ・ウォーク・ザ・ライン

ジョニー・キャッシュ(Johnny Cash)のトリビュート企画で、1999年のニューヨーク、ハーマスタイン・ボールルームでのライブをアルバム『キンドリッド・スピリッツ』(2002年)ではスタジオで再現した、メアリー・チェイピン・カーペンター(Mary Chapin Carpenter)、シェリル・クロウ(Sheryl Crow)、エミルウ・ハリス(Emmyiou Harris)+マーティ・スチュアート(Marty Stuart)のコラボ・パフォーマンス「フレシュ・アンド・ブラッド」、だんだん気に入ってきて、出自を調べてみると、何と、ジョニー・キャッシュがジョン・フランケンハイマー監督の映画「アイ・ウォーク・ザ・ライン」(1971)用にに書き下ろした挿入歌だった。この映画、ジョニーのヒット曲「アイ・ウォーク・ザ・ライン」(1956年)をモーチフにグレゴリー・ペックが主演した西部劇らしいが、調べた範囲では本邦未公開。作家性があるので、わが国にもファンが多いと思われるフランケンハイマー、公開遅れや未公開作品多いよね。グレゴリー・ペックだし、この作品も観てみたい。
そう、「オリバー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史」でも、数えはしなかったけど相当のフランケンハイマー作品が引用されていたね。
ジョニー・キャッシュのトリビュートでは、最も大きなインパクトがあったと思われるジェームズ・マンゴールド監督の映画「ウォーク・ザ・ライン/君につづく道」( 2005)のフォローとしてか、1969~1971年の2年弱、ABCネットワークで放映された音源を基に日本版も発売されたCD『ベスト・オブ・ジョニー・キャッシュTVショー』(2007年)。宇田和弘氏のライナー・ノーツによると、同盤収載のTVライブ「フレッシュ・アンド・ブラッド(邦題:生きる者)」はレコーディング前にして、初演であろうという。

2013年9月9日月曜日

「嘆きのピエタ」

人間社会あるいは、そのコアでとなる男女や家族の関係性を、例えば性愛といった表層にとどまらないモチーフで描き、普遍性のあるコンテンポラリー寓話として読み解きを鑑賞者に迫る作風の韓国きっての映画作家、キム・ギドク。わが国の映画芸術ファン自称者なら、たぶん8割方は注目しているのではと思う。「嘆きのピエタ」(2012)も、らしい出来栄えであった。清渓川??、そこってソウル?、他の韓国映画では、ほとんど出会う機会のない街景とその質感。「サマリア」(2004)などとともに、そのモチーフ、世界観はスコラ哲学と格闘しているようでもあり。
観ながら分かる、限りなく低予算であることにも驚き。あらためて映画の出来・質と、製作費は比例しないことを再認識する。偶発的な役者のパフォーマンスに頼らず、シークエンスがチープに流れないのが監督の力量だね。観終えた後、雑誌のインタビューで知ったが、「衝撃」重ねのラスト・シーン、路上を連綿とする痕跡はCGではないそう。
「アリラン」(2011)、見逃していて惜しいところ。

「嘆きのピエタ」の評価メモ
【自己満足度】=★★★★☆
【お勧め度】=★★★☆☆

2013年9月5日木曜日

「もうひとつのアメリカ史」

原爆投下の日に前後して、オリバー・ストーン氏が来日、再放映ではあったが、アメリカン大学で歴史を教えているというピーター・カズニック准教授とのコラボ・ドキュメンタリーオリバー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史」第1~10回と関連の番組をようやく見通すことができた。フランクリン・ルーズベルの下で副大統領であった、ヘンリー・ウォレスね。確かに興味をそそられる人物。NHKの番組内でも指摘されていたように、このアメリカ史は、ハリウッドを中心とした多くの劇映画、さらに言うと劇映画だけでなく、当時のニュース映画やドキュメンタリー、の引用を多用、コラージュ的なモーション・ピクチャーともいえる手法で、間を置かずエモーションをかき立てるつくり。マイケル・ムーアとか、米国産の「主張があるドキュメンタリー」(?)は、同じようなつくり方だよね。
それはそうと、このヘンリー・ウォレス、「スミス都へ行く」(1939)でジェームズ・スチュワートが演じた、若くして政治家となり国会で孤軍奮闘する純粋無垢な理想家に比定した演出がなされていた。経済苦境の時代、失職してホーボー生活をおくる元野球選手役のゲイリー・クーパーが大衆の代弁者としてヒーローに祭り上げれる策謀内幕を描いた「群衆」(1941)が、出てきた回もあったし。どうやら、オリバー・ストーンはフランク・キャプラ作品への評価・感心の程度が高いと見受けた。
私個人としても、キャプラが第2次大戦中、軍に志願して、「ホワイ・ウィー・ファイト?」として一連のドキュメンタリー、戦意高揚のためのプロパガンダ映画を製作したとか、理想主義と人情喜劇でバランスを取っていたキャプラ調の盛衰とか、「素晴らしき哉、人生!」(1946)を巡る神話(いかに受け入れられたか)など、映画作品とあわせてその人物像にも、かねがね興味を抱いていた。オリバー・ストーン監督には、フランク・キャプラに焦点を当てた作品を是非つくっていただきたいと頭をかすめたのだが。

「オリバー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史」の評価メモ
【自己満足度】=★★★☆☆
【お勧め度】=★★★★☆
※僭越ながら、私を含めて戦後世代には必修との思いが。

◆追記◆
「素晴らしき哉、人生!」の本邦初公開は1954年ということだが、「スミス都へ行く」は何と!、対米宣戦布告前の1941年。以前メモった(2011/11/23)『素晴らしき哉、フランク・キャプラ』(著作・井上篤夫氏)の前談で山田洋次監督が、1970年代、「男はつらいよ」シリーズに客演した故・宇野重吉氏から、軍国主義の世相と新劇運動に対する侵食を悲嘆していた当時、たまたま観たこの映画で自殺を思い止まったと伝え聞いたエピソードを紹介している。開戦前の映画公開とその時代のキャプラ評価、さらに山田監督がフランク・キャプラを意識するようになったのは宇野氏の話を聞いて以降ということと合わせ、興味深いところである。

2013年9月1日日曜日

「風立ちぬ」

「風立ちぬ」(宮崎駿監督)は、予想外(?)のヒットで興業収入は100億円を超える見込みという。1か月ほど前に鑑賞済みで、可もなく不可もなくながら、老境感覚が際立つ作家性の強い映画というのが感想。とりわけ、巷で話題になった喫煙表現の多用は、確かに記憶に刻まれ、いやが応でも、その意図を考えさせされる。喫煙場面の描出は確信的表現と思われるのが、ネットなど、見かけてた範囲で製作側から、この点について特にコメントがないのも気になっていたところ、半藤一利氏との対談本『腰ぬけ愛国談義』が出版されたのをみつけ通読してしまった。
解決されたわけではないが、半藤氏は脱煙の成功者、宮崎氏は依然スモーカーであることは分かった。あと、何よりもその生い立ち、家業が関連製造業であったことなど、宮崎氏が国産軍用機の製造という今回の筋立てを採用した背景も。それにしても、宮崎氏も、半藤氏も、元祖オタクだな。日本人らしさの一面。
両氏とも、考えていること、訴えていることは分かる反面、やっぱり、老々談義にとどまっていてよいのかという疑問ももたげる。映画はヒットしているものの、この清談は、やはり浮世離れと受け止められるであろうことが、わが国の現在ってことか。
映画で次に気になったのが、アラスカという菓子。こちらの謎解きのヒントは未収穫のままであった。
2日、ベネチア国際映画祭発で、宮崎監督の引退意向報道が。まあ、以上の理由で驚かないけどね。スタジオジプリの戦略??6日に都内で会見するとのことだが、喫煙描出とアラスカ、聞きただしてくれる記者がいるかが気がかり。

「風立ちぬ」の評価メモ
【自己満足度】=★★★☆☆
※大ヒット作なので自己満足度のみで

◆追記◆
主題歌、荒井由実の「ひこうき雲」は私の世代にとって、格別に思い入れのある曲。アナログ音源だそう。自身、レコードを買えるようになったころでもあったし。さて、世代の異なる方々はいかに聞いたか。海外上映、歌詞がストレートに伝わらないのが惜しいところ。
◆さらに追記◆
6日の宮崎氏の会見と、7~8日かけて五輪招致のプレゼンと首相会見などの対照。記憶にとどめねばである。宮崎氏は朝日新聞デジタルでの会見全容を拝見、「老い」を筆頭に前述の映画・対談本で感じたままだったが、分かりづらい部分もあったな。安倍首相の国内では聞いことがない言説は何であったのか?そう、「紅の豚」もヘビー・スモーカーであったね。こちらの方が、よりお子様メニューといえるが、今般のリアクションは影響力の拡大、受け取る社会状況の変化ということか。(2013/09/08)

2013年8月28日水曜日

♪アイラ・ヘイズのバラッド

DVD『The Johnny Cash Music Festival 2011』(2012年)、アーカンソー州立大学のコンサートで、「アイラ・ヘイズのバラッド」を歌っているのが、歌中のアイラ・ヘイズと同じネイティブ・アメリカンのビル・ミラー(Bill Miller)。ハッと思い出した。そう、アイラ・ヘイズとは、硫黄島・擂鉢山の頂に星条旗を掲げた6人の「英雄」のうち米国本土に帰還できた3人のひとり。聞き流し過ぎか認識が薄かった。
第二次大戦の硫黄島を巡る攻防はクリント・イーストウッド監督によって2部作の映画が製作され、米国視点からの「父親たちの星条旗」(2006年)によって、「2度」掲げられた星条旗、「英雄」を必要とした米国の事情、祭り上げられた兵士たちの顛末が描かれたことで、おそらく、私だけでなく日本国民の多くは初めて「硫黄島の星条旗」の意味を知ったのだと思う。
「アイラ・ヘイズのバラッド」はフォーク・シンガーのピーター・ラファージ(Peter LaFarge)作というものの、やはり、1964年に初めて録音したジョニー・キャッシュの歌唱がよく知られる。ピート・シーガーやボブ・ディランにはあるらしいが、カバーはそう多くないなぁなどと思いつつ、今回聴きとめたのも再認識の一因。戦争後遺症といえるアルコール依存症が高じて命を縮めたアイラ・ヘイズ。アリゾナ・フェニックス渓谷のピマ族出身であり、その暮らしぶりから、志願、そして戦果、凱旋後が語られ、「ウィスキー・ドリンキン・インディアン」と呼んでも返事が返ってくることはない、、、などと、ストレートな表現のリフレインは、全体として冷めた哀愁を醸しだす。通俗なヒーロー讃歌ではなくして、なるほど、バラッドの文化なんだなぁと思う。このような歌を取り上げる、「歌うべき歌を知っている」とは一連のトリビュート企画で登壇したシンガーのだれであったかの言、これがジョニー・キャッシュの価値ってことか。
戦後まもなく「硫黄島の砂」(アラン・ドワン監督、1949年)が、アイラ・ヘイズら3人の英雄のカメオ出演を得て製作されているということだが未見。「父親たちの星条旗」とあわせて観直してみたい気持ちになってきた。

◆追記◆
「インサイド・ルーウィン・デイヴィス」(2014/06/19~20)

◆参考◆
YouTubeからの引用、紹介です。アイラ・ヘイズ本人のイメージで。

2013年8月25日日曜日

『ジョニー・キャッシュ・ミュージック・フェスティバル2011』

よく行く店舗の陳列棚にあったのたは認識していて、このところの興味関心が高じてコレクションしてしまったDVD『The Johnny Cash Music Festival 2011』『We Walk The Line: A Celebration of the Music of Johnny Cash』ジョニー・キャッシュ生誕80周年記念で2012年に対し、こちらはその前年、ジョニー生誕の地、アーカンソーの州立大学でライブを収録、共通出演者はクリス・クリストファーソン(Kirs Kristofferson)くらいか?、テキサス・オースティン開催の後者に比べると、アーカンソーは出演者、サウンドともに地味な印象、観客も中高齢層が多いような、、、。直系チルドレンのロザンヌ・キャッシュ(Rosanne Cash)とジョン・カーター・キャッシュ(John Carter Cash)を両輪としたステージ・パフォーマンスが中心で、ジョニーの同胞(はらから)、トミー(Tommy)、ジョアンヌ(Joanne)の歌唱もあり、とりわけ血族縁者の絆の強さを思い知らされるところなどもテキサス・コンサートと対照的。ロザンヌは、前夫のロドニー・クロウェル(Rodney Crowell)に娘のチェルシー(Chelsea)を交え、「ゲット・リズム」で共演も。ちなみにコンサート・バンドのギターは、現夫のジョン・リベンサル(John Leventhal)であったり。
カーター・ファミリーから続くロイヤル系譜のアルバムを数多くプロデュースしてきた、ジョン・カーター・キャッシュの歌唱と演奏を聴けたのが収穫。コンサート・バンドのフィドラーで、「イフ・アイ・ワー・ア・カーペンター」をジョンと掛け合い、「キープ・オン・ザ・サニーサイド」などを歌っているのが妻か。もうちょと、英語を聞き取らないと(輸入盤でブックレットなし)、、、妻ローラ(Laura)でありました。血族以外では、ダイレイ・アンド・ヴィンセント(Dailey & Vincent)というグループ、コーラス+ストリング・バンドで面白かったな。ゴスペル系の楽曲だったけど、娯楽性も高くて。
ちなみに、店頭にはなかったCD版の収録を調べてみると、ロザンヌを除と、ジョン・カーター・キャッシュなど血族パフォーマンスの多くは割愛されているよう?!?
エンディングは「エンジェル・バンド」で、コンサート・コンセプトと土地柄(?)をよく象徴している。これもリリースはテキサス・オースティンのセレブレーションとほぼ同時期、1年ほど前なので評価メモ付きで。

『The Johnny Cash Music Festival 2011』の評価メモ
【自己満足度】=★★★☆☆
【お勧め度】=★★☆☆☆
※DVDのみの評価。ちなみに、オープニングから3曲目、クリス・クリストファーソンの「ビッグ・リバー」はパッケージなどの表記が「クライ、クライ、クライ」となっているのはどうしたことか。間違える要素は推し量られるにしても、製作スタッフの若気か。調達価格はDVD+CD版の『We Walk The Line: A Celebration of the Music of Johnny Cash』とほぼ同じ。こちらもセット企画だったら値ごろ感があったかも。

◆追記◆
今年4月の逝去を思い起こすと(ジョージ・ジョーンズ逝く、2013/04/28)、ジョージ・ジョーンズ(George Jones)の2曲は、最晩年のパフォーマンスとして、誠に感慨深いもの。さすがにギターは弾いていなかった。見た目は、こうありたいと思うようなシルバー・グレーの老い方。かつての切れのよい歌声ではないものの、味わいは増している。「アイ・ガット・ストライプス」『Johnny Cash At Folsom Prison』収載の収監ソングであった。

2013年8月23日金曜日

「さよなら渓谷」

パブリシティがらみのTV番組を見てしまっただけに気が進まなかったけど、「さよなら渓谷」(大森立嗣監督)。導入から展開は、よい意味でちょっと予想を裏切られた感もあり、ミステリー仕立てで期待を引っ張られる。原作の小説は吉田修一氏、本年公開の「横道世之介」(沖田修一監督)、2010年の「悪人」(李相日監督)ほか、映画化作品は多々あるよう。映画で拝見している「横道世之介」「悪人」なんかに共通して、現実社会でインパクトが強かった事件の側面をプロットに埋め込むという手法、オリジナル起源の技なのかな。映像展開を見つめる視線に記憶をよみがえらせて予断を育成、輻輳した感情をわき起こす効果は確かにある。現代人がちょと立ち止まった時の回顧と懐古をあつかった、「横道世之介」には、結構よい効果をもたらしたと思う。
「さよなら渓谷」では俳優陣のパフォーマンス・グレードが高い分、間延びした中間から収束にかけては、とってつけた作り物としての違和感が退屈に転じる。謎解きの役割はしかたないとしても、カット・バックのストーリー開示、つなぎのマズさが、納得できない原因ではと思った。文学でならもっと歩み寄れるかも。

「さよなら渓谷」の評価メモ
【自己満足度】=★★☆☆☆
【お勧め度】=★★☆☆☆

2013年8月14日水曜日

♪オールド・ラギッド・クロス

夏休み、子ども向けを意識してか吹き替え版放映で「テラビシアにかける橋」(ガボア・クスポ監督、2007)、録画し流し観してしまう。確かに、劇場でかかっていた予告編で植えつけられたファンタジー展開イメージとは異なり、原作の児童文学が秀作とされる意味を分かった気にさせる。「ソウル・サーファー」(ショーン・マクナマラ監督、2011)で気に入ったアナソフィア・ロブの出世作だったこと、マーティン・スコセッシの「タクシードライバー」や「レイジング・ブル」を手がけたマイケル・チャップマンが撮影監督であったことにも感銘。
たぶん、アパラチア山脈沿いの田舎町が舞台設定で、転入一家、両親が作家で無神論者と思われる家庭で育ったアナソフィア・ロブ演じる少女は、隣家の主人公・少年と近づきになり日曜、教会へと出かて行くのだが、ここで歌われていたのが、わが国でいうところの讃美歌第2編182番「古き十字架」。カントリー・ゴスペルとして、よく歌われるけど、この歌詞、郷土愛プラス自戒と決意といった感じなのかなぁ。言葉はシンプルだけど深みがあるような、、、。ゴスペル・アルバムではアラン・ジャクソン(Alan Jackson)の『プレシャス・メモリーズ』(2005年)にもあったし、ジェリー・リー・ルイス(Jerry Lee Lewis)もゴスペルなんだ(原点?!)と思って最近調達した『オールド・タイム・リージョン』(1971年)にも入っていた。アラン・ジャクソンのケースとも似た話だが、ジェリー・リー・ルイスのこのアルバム、タイトル曲、歌っていないよね。CD用のあしらえか。サブ・タイトルは「イン・チャーチ、プリーチイン、シャウティン・アンド・シンキン」、プリーチングしているかのどうか、ジェリーのMCがこのアルバムの肝、この辺りをたよりに味わっていきたいもの。
さて、映画にもどって、さらわれるよう、に訪れた少女の突然の死、少年がこの死に何らかの因果をくみ取ろうとしつつ概ねストーリーは収束をみるが、用意された映画のエンディングはどうなんだろう。文学ではどう描かれているのか気になるところ。

2013年8月12日月曜日

「終戦のエンペラー」

夏の「この時期」を意識した封切り作品で「終戦のエンペラー」(ピーター・ウェーバー監督)におつきあいしてしまった。天皇の戦争責任に焦点を当て、GHQの戦後統治の端緒を描いた、米国目線かつハリウッド仕様の映画だが、「ラスト・サムライ」(エドワード・ズウィック監督、2003)、「SAYURI」(ロブ・マーシャル監督、2005)ほど、現代の邦人が見ても違和感のない米風ジャポニズムなのは、製作スタッフに多くの日本人が関わっているせいか、原作が日本人作家の手によるものからなのか。
本件の特命調査官・フェラーズ准将が、やさ男で日本女性との恋愛が横糸で織り込まれるのは確かにハリウッド風、でも、ここに引っ張られる分、ボケた印象は否めない。にもかかわらず、米国目線っていうのが、この映画を観る意味。あらかじめのプロットを超えたところで、天皇がいかに描出されるか、ちょっと、ドキドキ感もあり。この感覚、アレクサンドル・ソクーロフ監督の「太陽」(2005)っていうのにもあったなぁ。さて目線、わが方はと、よりソリッドに、「日本のいちばん長い日」(岡本喜八監督、1967)もあわせでて観直してみたくなった。

「終戦のエンペラー」の評価メモ
【自己満足度】=★★★☆☆
【お勧め度】=★★★☆☆

2013年8月10日土曜日

『セレブレイション・オブ・ザ・ミュージック・オブ・ジョニー・キャッシュ』

『We Walk The Line: A Celebration of the Music of Johnny Cash』、存在は知っていたけど、正直、参加タレントは私にとって半分以上が、ここまで無縁ということで逡巡していたものの、ジョニー・キャッシュ(Johnny Cash)のトリビュート続きで、マイ・ライブラリー3枚目としてゲット。テキサス州オースティンでジョニー生誕80周年記念のコンサート、たとえば前掲『キンドリッド・スピリッツ ア・トリビュート・トゥ・ザ・ソングス・オブ・ジョニー・キャッシュ』(2002年)のマーティ・スチュアート(Marty Stuart)プロデュースなどとは若干趣きが異なり、ロックあるいはオールタナティブ色が基調かな、サザン、テキサスっぽくもあり。ハリウッド・セレブのマシュー・マコノヒー(Matthew McConaughey)がMCだし、ロニー・ダン(Ronnie Dunn)はじめ、テキサスゆかり演者が多いのかな。
コンサート・バンドでベースを弾いいるのが、音楽監督のドン・ワズ(Don Was)ですか。プロデューサーとしては、なかなかの大物のよう。
やはり、テキサス出身と記憶していたクリス・クリストファーソン(Kirs Kristofferson)、ウィリー・ネルソン(Willie Nelson)の両御大に、シェリル・クロウ(Sheryl Crow)、ルシンダ・ウィリアムス(Lucinda Williams)ら、ルーツ・ミュージック・トリビュートの常連の好演はあるものの、やはり印象強いのはブランディ・カリレ(Brandi Carlile)の「フォルサム・プリズン・ブルース」に始まる、コンテンポラリーの若いミュージシャンたちが魅力。シェリル・クロウとは、ほぼ同世代なんで、40代くらいまでが私にとって若い世代の範疇。
「ジャクソン」はキャロライナ・チョコレート・ドロップス(Carolina Chocolate Drops)というストリング・バンドのパフォーマンス、なるほどオールド・タイムは息づいている、やってるじゃん!ってな具合で、若手かつ多様なフィルードから集ったミュージシャンを聴けたのが、何より面白かった。そう、「ハイウェイマン」は、クリスウィリーウェイロン・ジェニングス(Waylon Jennings)の子息・シューター(Shooter)とジェイミー・ジョンソン(Jamey Jonhson)の30代コンビのとりあわせ。シューターと「コカイン・ブルース」歌っていたエミー・ネルソン(Amy Nelson)って、ウィリーの娘か???といた話題もあったりして。エミーのへたうま歌唱にクセになりそうな妙な魅力も。
そう、聴けたっていうか、ライブ・アルバムっていうか、コンサート・ライブ収録DVD(関係者インタビューにマシュー・マコノヒーの歌などボーナス・トラックも興味深い)にCDが付いているという、超お買い得盤。これで2,400円少々で、よいのって感じ。
リリースはちょうど1年前だったらしいので評価メモ付きにて。

『We Walk The Line: A Celebration of the Music of Johnny Cash』の評価メモ
【自己満足度】=★★★★☆
【お勧め度】=★★★☆☆
※「DVD+CD」のあわせ評価として

2013年8月7日水曜日

『キンドリッド・スピリッツ』

ジョニー・キャッシュ(Johnny Cash)のトリビュート・アルバムは結構な数が出ているようだが、マイ・ライブラリーでは2枚目として、『キンドリッド・スピリッツ ア・トリビュート・トゥ・ザ・ソングス・オブ・ジョニー・キャッシュ』(2002年)を入手できた。マーティ・スチュアート(Marty Stuart)プロデュースで参加ミュージシャンとアレンジが,、KINDREDのコンセプトをよく体現しているハイ・グレードなパフォーマンスで気に入ってしまった。文字通り血脈、ロザンヌ・キャッシュ(Rosanne Cash)の「アイ・スティル・ミス・サムワン」が聴きたいのが第一であったのだが。これは予想にたがわぬ好演、しかもヴィンス・ギル(Vince Gill)、ザ・ホワイツのシェリル(Cheryl)のボーカル・サポート付きといった贅沢な仕様で、、、、などなの14トラック。
同様にキンドリッドの深みからジャネット・カーター(Janette Carter)の「ミート・ミー・イン・ヘブン」、これもギターはアール・スクラッグス(Earl Scruggs)といった具合。ハンク・ウィリアムス・ジュニア(Hank Williams,Jr.)の「ビッグ・リバー」もよいね。リトル・リチャード(Little Richard)が出てきたのは意外か。
ちなみに以前から愛聴していたのは1999年、ニューヨーク、ハーマスタイン・ボールルームのライブ録音盤。ボブ・ディラン(Bob Dylan)の「トレイン・オブ・ラブ」、ブルース・スプリングスティーン(Bruce Springsteen)の「ギブ・マイ・ラブ・トゥ・ローズ」、さらに、メアリー・チェイピン・カーペンター(Mary Chapin Carpenter)、シェリル・クロウ(Sheryl Crow)、エミルウ・ハリス(Emmyiou Harris)のコラボで「フレシュ・アンド・ブラッド」は、その時の同タイトルで再録、これって、結構めずらしいケースでは。それぞれ板についたパフォーマンスだが、とりわけ、繰り返し聴くことで味わいが増す「フレシュ・アンド・ブラッド」。ジョニーのオリジナルは、どんなんだったと、ふと、思い直す。
あと、ドワイト・ヨーカム(Dwright Yoakam)は、いかにもの、らしい、現代日本風にいうところのヤンキーなパフォーマンスで「アンダースタンド・ユア・マン」。『プラチナ・コレクション』(2006年)でも、「リング・オブ・ファイアー」、「ホーム・オブ・ザ・ブルース」とジョニーゆかりが2曲あったな。それに、スタンダードの共通項「オー、ロンサム・ミー」とか、なるほどキンドリッド。

◆追記◆
そうか、マーティ・スチュアートキャッシュの3番目の娘・シンディ(Cindy)と結婚していたことがあったね。子どもはいないそうですが。

2013年8月2日金曜日

♪コカイン・ブルースって、、、

ジョニー・キャッシュ(Johnny Cash)からウディ・ガスリー(Woody Guthrie)の流れでくると、『Johnny Cash At Folsom Prison』(1968年)に、ジョニー自身の投影もくみ取られ、この刑務所ライブの象徴的な曲の一つといえる「コカイン・ブルース」同タイトルがウディのコンピレーションCDに収録されていることに気づく。ジョニー自身にとっては1960年のアルバムに収録した「トランスフュージョン・ブルース」の遠征バージョンとして、フォルサム版は息遣いにロックを感じるパフォーマンス、ライブ感覚は心地よく余韻が残る。
一方、ウディ・ガスリーの演奏は、一聴、とても同根の楽曲とは思い当たらず流してしまうような、、、歌詞に意味があるんでしょうが、、、。クレジットにはトラディショナル、別タイトルとしては「バッド・リー・ブラウン」との表記が目に止まる。これを頼りに調べてみると、多々表題はあるらしく、概ね「リトル・セイディ」で知られるマーダー・バラッドだと判明した。『At Folsom Prison』の方は、T・J・アーナル作となって、どうやら、「リトル・セイディ」を、ウエスタン・スウィング系のバンドがリライトしたものが元歌らしい。
さらなる探究過程でボブ・ディラン(Bob Dylan)が、リリース時には波紋を広げたあの『セルフ・ポートレート』(1970年)に、「リトル・セイディ」を収録していたのを発見。しかも、歌詞は同じで別テイクともいえる「イン・サーチ・オブ・リトル・セイディ」も合わせて。この人は、まぎれもなくルーツ・ミュージックの伝道師だな。歌詞内容はほぼウディに近く、「イン・サーチ…」の方が、重めでロック調のアレンジかな。

◆追記◆
その後、ドク・ワトソン(Doc Watson)の「リトル・セイディ」を聴くことができる。この録音は1960年ころなのかな。うん、なるほど、曲調に関してはウディ・ガスリードクボブ・ディランのラインはあるかな。アナザー・バージョンを探究しつつ、それぞれ、もう少し聴いていくことに。(2013/10/18)

2013年8月1日木曜日

♪バッファロー・ギャルズ

クリスマスには必ず観たくなる、フランク・キャプラ監督の「素晴らしき哉、人生!」(1946)で、劇中、ジョージ&メアリー夫妻にとってプロム帰りの思い出の曲、メアリー役のドナ・リードの歌唱も聞かれる「バッファロー・ギャルズ(ガールズ)」。素性が気になっていたものの、しばらく止まったままでいたが、やはり、ピート・シーガー(Pete Seeger)が歌っていたことに気づいた。
廉価版コンピレーションCDではトラディショナルのクレジット。これもしばしの探究から、何と、19世紀半ばのいわゆるミンストレル・ショー起源だと判明!?ミンストレルと聞いて、映画ファンとしては、史上初の全編トーキー(=ミュージカル)映画である「ジャズ・シンガー」(アラン・クロスランド監督、1927)、アル・ジョンソンの黒塗り顔を思い浮かべるところだが、大衆的な舞台芸能の画期としてミンストレルのイメージはつかみ難い。
而して、『アメリカン・ルーツ・ミュージック ディスクでたどるアメリカ音楽史』奥和弘氏、スティーブン・フォスター(Stephen  Foster)について、ミンストレルで書いていなければ、「国民的作家としての名前が今日まで残ることはなかったのでは」などの指摘には、むべなるかなとも。その同時代のフォスター作品は、わが国では、ほとんどクラシック畑の録音しか目に止まらないが、確かに時代時代のポップなパフォーマンスをもう少し聴いてみたくもあり。

2013年7月31日水曜日

♪ルーベン・ジェームズ

ピート・シーガー(Pete Seeger)の廉価版コンピレーションCDをかけ流していたら、トラディショナルのオールマナク・シンガーズ(The Almanac Singers)アレンジとのクレジットで「ザ・シンキング・オブ・ザ・ルーベン・ジェームズ」。確かにアレンジが入っているものの、旋律は「ワイルドウッド・フラワー」だな。どうもルーベン・ジェームズという軍艦の沈没を唄っているらしいが。例えばバラッドによくある鉄道事故のような米国人の心に響く物語歌なのか、固有名詞に心覚えがないだけに歌詞の含蓄と温度が気にかかるところ。
少し調べてみると、やはり、知られた旋律にのせてバラッド、ストーリーを語るのはウディ・ガスリー(Woody Guthrie)の十八番、この歌詞もウディのもののようであった。ピートの歌唱自体、ウディ参加?のオールマナク・シンガーズ、米国軍艦が初めてドイツ潜水艦に沈められたという、第二次大戦中の事件、1940年代初期の録音なのかな?

2013年7月25日木曜日

♪マン・オブ・コンスタント・ソロウ

『アメリカン・ルーツ・ミュージック ディスクでたどるアメリカ音楽史』(著者・奥和弘氏)に触発されて、手持ちCDのニューポート・フォーク・フェスを聴き直したくなり、1960年盤から。やぱり、ニュー・ロスト・シティ・ランブラーズ(The New Lost City Ramblers)、よい感じ、もうちょい聴きたい。課題①。初回の1959年盤には、もっと収録されていたか。
盤中、マイク・シーガー(Mike Seeger)の単独クレジットになっているが、「ザ・マン・オブ・コンスタント・ソロウ」を再発見。うまい歌唱ではないがシンプルでグッドな別れ歌。そういえば、ボブ・ディラン(Bob Dylan)も、ほぼ同時期のデビュー・アルバム(1962年)でカバーしていたな。ディランはスタンリー・ブラザーズ(The Stanley Brothers)好きなだけに,、その流れか。
この曲、コーエン兄弟の「オー・ブラザー!」(2000)でクローズ・アップされた印象が強い(2013/05/10)が、中興の時期ってことかな。その後のその他バージョンは、ほぼ思い当たらず。課題②である(ヒント『アンソロジー・オブ・アメリカン・フォーク・ミュージック』、2014/09/28)。

◆追記◆
ボブ・ディランのパフォーマンスを『ノー・ディレクション・ホーム:サウンドトラック(ザ・ブートレッグ・シリーズ第7集)』(2005年)を引っ張り出して聴いてみる。収録は1963年のTV出演時のもの、デビュー・アルバムと同じスタイルで、ギターとハーモニカ、やはり、ディラン臭の強い演奏であった。ハーモニカの抑揚と独特の節回しに懐かしさというようりも、フォーク・リバイバルとして新しい音楽の胎動のワクワク感がよみがえる。
その後、探索してみて、歌詞の言い換えといったバージョン・チューニングはあるものの、ディランのちょっと前かほぼ同時期には、ジョーン・バエズ(Joan Baez)、ジュディ・コリンズ(Judy Collins)、PPM(Peter, Paul and Mary)らの録音があることも分かった。してみると、フォーク・リバイバルを象徴する楽曲の一つといえるのかも。

2013年7月21日日曜日

「フィギュアなあなた」

考えてみるに、石井隆作品とのおつきあいは40年近くになるのか。映画化作品は、まず、ロングランは考えられないだけに、ぽつぽつ見逃しもあったりして、久々に「フィギュアなあなた」をのぞき観る。新宿の空気感、都会に埋もれて暮らす人間に宿す淫猥、あるいは淫靡なノスタルジーと暴力、破滅を予感させる妄想、その妄想力で増幅するメロウな性愛感覚がストレートに映像化。その世界観の描出は、劇画よりも映画であればこその自在、紛れもなく石井隆そのもの。柄本佑、佐々木心音とも、その世界にピタリとはまり込んでいた。
以前の映画作品で、ラジオから流れてくる(?だったと思う)「テネシー・ワルツ」が印象的だったものがあるが、今回は「ラブ・ミー・テンダー」っていうか、「オーラ・リー」。ほとんどテーマ的に使われていて、やはり叙情に満ちた旋律が石井隆世界の彩りとなる。「オーラ・リー」自体、南北戦争当時の曲と記憶していたが、日本語歌詞が付された歌唱がサウンド・トラックにあって、凝った印象、この歌詞も石井監督が自ら書き下ろしたものだったかな。歌い手はだれだった??

「フィギュアなあなた」の評価メモ
【自己満足度】=★★★★☆
【お勧め度】=★★☆☆☆
※淫靡な妄想世界は他人には勧め難いものである。

2013年7月18日木曜日

ソングスター!?だったのか。

奥和弘氏の『アメリカン・ルーツ・ミュージック ディスクでたどるアメリカ音楽史』で、的を射たコンセプトを教えていただたのが「ソングスター」。奴隷解放による黒人の流動化を経てブルースが成立する以前のこと、概ね19世紀末までは、意外(?)にも白人と黒人に音楽の隔たりは際立っていなくて、フォーク、バラッド、ミンストレル、あるいはゴスペルなど共通のレパートリー(コモンストック)が相互に担われていて、その歌い手を指す語彙なのだそう。ミシシッピ・ジョン・ハート(Mississippi John Hurt)、レッドベリー(Leaddbelly)らはこの系譜の末裔に当たるという。なるほど、確かにスッキリした気になる。
あるいは、この間聴いてきた、ファリー・ルイス(Furry Lewis)、ロバート・ウィルキンス(Robert Wilkins)、ブラック・エース(Black Ace)、あるいは、フレッド・マクダウェル(Fred McDowell)も含めたカントリー・ブルース・ジャンルは、かぶっているなぁとよぎる。件の「ホエン・アイ・レイ・マイ・バーデン・ダウン」「グローリー、グローリー」「サークル・ビー・アンブロークン」とバリエーションが広がった源の様相が少し見えた気もする。白人、黒人ともに歌われるゴスペルでは、やはり「ファザー・アロング」、確かにソングスター・コモンストックとしてフィットすると思う。

2013年7月14日日曜日

再び、ボブ・ディランとジョニー・キャッシュ

『Johnny Cash At San Quentin』(legacy edition)では、ボブ・ディラン(Bob Dylan)作という「ウォンテッド・マン」も象徴的。地味なりに耳に馴染んだ曲調、元歌があるのかと思いを巡らせられながら、ディラン歌唱は聴いた記憶がなく、『At Folsom Prison』はもとより、ジョニー・キャッシュ(Johnny Cash )の手持ちディスクにも、別バージョンはないと思っていて。これも少々調べてみたい欲動がうずいているが、、、

◆追記◆
ボブ・ディランのオフィシャル・ウェブ「bobdylan.com」を知ったので、楽曲で「ウォンテッド・マン」を引いてみると、自身の公式録音はないことが判明。おおよそジョニー・キャッシュのこれのみのようだが、、、由来・経緯は知れず。(2014/11/11)

2013年7月10日水曜日

ストリング・バンド?って、、、

先日、久々に書店へと足が向き、店頭にて『アメリカン・ルーツ・ミュージック 楽器と音楽の旅』でお世話になった奥和弘氏の新刊『アメリカン・ルーツ・ミュージック ディスクでたどるアメリカ音楽史』に遭遇、これはと得心して購入し早速ななめに通読。各種の楽器演奏に親しまれている著者ならではの嗜好が表れているというべきか、氏自身、巻頭で早々に宣言されているように、「ストリング・バンドの系譜をたどうような」ディスク選考と解説が付されているのが特長で、私ら一般邦人には新鮮な面白みのあるところ。コンテンポラリーのカントリー・ミュージックからは遠く、ブルーグラスはライン上といった感じか。
とはいっても、ボブ・ディラン評価には共通の認識を感じたり、最近思い起こしたウディ・ガスリーの「トム・ジョード」(2013/03/24)につながる、ブルース・スプリングスティーンの関連アルバム(1995年)を教えていただいたりと、私のツボを刺激する論説が多々。ルーツ巡りの旅、まだまだ、未踏の領域が広すぎると圧倒されてしまう。とりあえず、この書籍、あらためて精読へ。

『アメリカン・ルーツ・ミュージック ディスクでたどるアメリカ音楽史』の評価メモ
【自己満足度】=★★★★☆
【お勧め度】=★★★★☆
※とはいっても、一般の邦人洋楽ファンはどう受け止めるか、やや難しく、興味のあるところ。

2013年6月27日木曜日

「グランド・マスター」

ウォン・カーウァイ監督の新作だというだけで、とりあえず観た「グランド・マスター」。アン・リーが世界に示し、チャン・イーモウ、チェン・カイコーも試したワイヤー・アクションを駆使した武侠劇の範疇、あるいは、ジェット・リーが「スピリット」(ロニー・ユー監督、2006)で霍元甲(フォ・ユァンジャ)をヒロイックに演じたようなアクション伝説劇の類いと思いきや、カーウァイらしき映像センスをちりばめた一風変わった香港映画、近代の中国武術実録伝とは、、、。とは、いってもアクションに限らず、エンターテインメントを意識した脚色があるのは分かるが、大河ドラマとしての収まりは半端に見える。
中国武術の奥行きと継承の語りかけには、まあ共鳴。回想語りのトニー・レオン演じる主人公は、ブルース・リーを輩出した流派・詠春拳の宗師である葉問(イップ・マン)。かつての香港のエンターテイメント武侠映画には、清朝末期の伝説的武術家・黄飛鴻(ウォン・フェイホン)を、よく見かけたが、この映画の葉問はそれらとも、リーの霍とも、全く別のコンセプトでアプローチされている。そこが、映画に馴染めるか否かの分かれ目ともいえるが。
これら中国武術のマスターたちは、私も含め多くの日本人にとっては、縁遠い限り。と思って観ていくと、葉問の大きな転機は、やはり、故郷・広東省佛山の家屋を日本軍の進駐によって接収された件。ことほど左様に、このシーンでは李香蘭「何日君再来」2011/12/13がかぶってくる。
しかし、香港では近年、葉問へのフォーカスが強まっているのか、別プロジェクトの連作も進行中。ドニー・イェン主演の「イップ・マン 葉問」(ウィルソン・イップ監督、2010)を観たっきりなので、関連の前後作品も、あらためて観てみたいという気持ちにはさせてもらった。

「グランド・マスター」の評価メモ
【自己満足度】=★★★☆☆
【お勧め度】=★★★☆☆

2013年6月26日水曜日

フォルサム・プリズンのレジェンドといえば、

『Johnny Cash At San Quentin』続きで、『Johnny Cash At Folsom Prison』を聴き直してみる。こちらも2CD+DVDのレガシー・エディション。フォルサム・プリズンのレジェンドといえば、初発のライブ・アルバムLPで象徴的に締めとして収録された「グレイストーン・チャペル」、そして、この獄中ゴスペルのような楽曲をつくったのは、当時のフォルサムの住人、グレン・シャーリー(Glen Sherley)であったこと。キャッシュが刑務所関係者からの録音テープ提供でこの曲の存在を知らされたのはライブ前日で、すぐに当日の演目採用を決めたという。レガシー版のDVDはドキュメンタリー映画で、マール・ハガード(Merle Haggard)、ロザンヌ・キャッシュ(Rosanne Cash)らと、当時の囚人たちのインタビューも収めており、グレン・シャーリーにかかる描写も多い。
ここで、輸入盤につき、やはりもっと英語力をつけねばと、観るたびに心してしまう。自戒。
出所の機会を得たグレン・シャーリー、社会復帰に歩み出すが、心の闇(病?)と暴力傾向は矯正された訳ではなく、1978年に銃で自殺を図ったという、何ともリアルな現実譚であり。
しかし、『At San Quentin』といい、『At Folsom Prison』といい、刑務所チャリティーにしては、ちょとわが国では採用しづらいのではと思える「25ミニッツ・トゥ・ゴー」、「グリーン、グリーン・グラス・オブ・ホーム」、「ロング・ブラック・ヴェール」、「ダーク・アズ・ア・ダージョン」などと、カントリー・フォークのスタンダードにゴスペル、ジョニー・キャッシュ(Johnny Cash)ならではのオリジナルを交えたプログラムの妙はさすが、飽きが来ない。
うん?、『At Folsom Prison』収録のコミカル調、いわゆるノベルティ・ソングっていうのか、「フラッシュド・フロム・ザ・バスローム・オブ・ユア・ハート」って、「大きなまだらの鳥/アイム・シンキング・トゥナイト・オブ・マイ・ブルー・アイズ」(2013/05/11)の派生曲だったの??クレジットは、サン・レコードのプロデューサー&ソング・ライター、ジャック・クレメント(Jack Clement)となっているが、、、

◆参考◆
グレン・シャーリー本人のパフォーマンスで。YouTubeから引用、紹介です。

◆追記◆
『Johnny Cash At San Quentin』「グレイストーン・チャペル」に相当する楽曲として「アイ・ドント・ノウ・ホエア・アイム・バウンド」(2000年リリースのCDに収載)があった。クレジットはT.Cuttie、囚人の詩にジョニーが曲をつけたものという。経緯は不勉強、課題リスト入り。
◆さらに追記◆
その後、ウィーバーズ(The Weavers)とか聴き直していると、ふと、「グレイストーン・チャペル」の旋律は、カウボーイ・ソング「オールド・ペイント」を下敷きにしているじゃん、と思った。ジョニー・キャッシュもこの元歌を「アイ・ライド・アン・オールド・ペイント」のタイトルで歌っているが、初録音はいつかな?リンダ・ロンシュタット(Linda Ronstadt)のバージョンもあったね、カウボーイ・ソング、あんまり意識していなかった。(2013/09/17)

2013年6月24日月曜日

カントリー・レジェンド

カントリー・ミュージック界に伝説は多々あれど、やはり、ジョニー・キャッシュ(Johnny Cash)。自分自身もそうなのだが、たぶん「ウォーク・ザ・ライン/君につづく道」(ジェームズ・マンゴールド監督、2005年)公開までは、日本でのキャッシュ認知度は限られて薄いものであったのだろうな。そのバラッドあるいはトーキング・ブルース調でストーリーを唄うカントリー・フォークといい、「罪悪感」に贖う心の戦いなのかゴスペルへの傾倒といったルーツ・ミュージックを愛する姿勢に裏打ちされた音楽性がすぐに好きになり、ロカビリー&ロック・シーンの揺籃期を担ったノベルティある独特のリズムにも吸引された。
ジョニー・キャッシュをまとまって聴く機会はなかったけど、廉価版などを利用して徐々に消化中。自らの薬物依存と違法薬物がらみの逮捕歴もあってか、アルコール依存症のジョージ・ジョーンズ(George Jones)を支援したとか、マール・ハガード(Merle Haggard)がカントリー・ミュージシャンを志したのは服役中、慰問コンサートでキャッシュの演奏に心動かされたのが契機などというのも、レジェンド・バリエーションの一画を成す。マール・ハガードが入所していたのは、サン・クエンティだった?と思い出して、このほど、CD2枚組みプラスDVDの『Johnny Cash At San Quentin』(legacy edition)を調達してしまう。
このライブは映画の導入で模写されたフォルサム刑務所でのライブ収録の翌年で1969年、この時点ではもちろんハガードは壁の外の人。付録ブックレットのインタビューによると、キャッシュとの出会いは1958年の正月(出獄は1960年)ということで、キャッシュの刑務所慰問活動は長きにわたるものであったことにあらためて感心する。『At San Quentin』は、『At Folsom Prison』のパフォーマンスに比べても遜色なく、音質はかえっていい感じ。カーター・ファミリー(The Carter Family,Maybelle & Sisters)、カール・パーキンス(Carl Parkins)、スタットラー・ブラザーズ(The Statler Brothers)と、ABCネットワークで同年スタートしたTVショーのホスト・メンバーの演奏・共演もほどよく採録され、それぞれよい感じだ。
そう、やはり映画でも描かれていたが、キャッシュテネシー2がゴスペルを演奏してサン・レコードのオーディションに臨んだ1954年、敏腕プロデューサーのサム・フィリップス社長の耳にとまったのは、ゴスペルの当てで演奏したオリジナルの「フォルサム・プリズン・ブルース」であった。解き明かしたくなるレジェンドの由来はつきないなぁ。

◆追記◆
フォルサム・プリズンのレジェンドといえば(2013/06/26)
フォルサムからクレセント・シティにもどる(2014/08/07)

2013年6月20日木曜日

「奇跡のリンゴ」から「くちづけ」へと、

「奇跡のリンゴ」(中村義洋監督)、「ローマでアモーレ」(ウディ・アレン監督)、「くちづけ」(堤幸彦監督)と、賛否分かれそうな映画の鑑賞が続くが、それぞれに味わいがあって私は楽しめた。「くちづけ」に関しては、「楽しめた」というのは不適切か。東京セレソンデラックスという劇団の宅間孝之氏の戯曲が原作ということで、この映画化まで認識がなく不見識を思い知る。映画は、知的障害者のグループホーム・セットや宅間氏本人ら役者達の台詞回しと芝居、あるいは挿入歌として「グッド・バイ・マイ・ラブ」の採用などが、舞台を踏襲しているように見て取れる。ローカル・モードを醸した橋本愛嬢の埴輪ファッションも。監督の色は導入くらいで薄く、オリジナルへのリスペクトがあるのかなとも。ちょっと考え直して、カットバックに適してた映画表現に対しオリジナル戯曲の時制構造はどうなっているの?と気になるところ。いつか観る機会があれば。
で、映画の演出は「笑いを取る」台詞と演出をベースにしつつ、障害を抱えて生きる当事者と家族を巡るさまざまな問題が浮き彫りされるのは、たぶん舞台と共通なのだろう。現実社会へのアイロニーなのか、「差別」への感度が高まり表現が縮こまってきたように感じる昨今にあって、「障害(者の特徴)を演じる」ことの是非を含めて、相当踏み込んだパフォーマンスを提示していると思う。この辺も舞台がオリジナルであればこそか。
私的な映画鑑賞では、竹中直人は最も避けたいキャラクターを有する俳優だが、この作品では、さして気にならなかった。これも幸い。
「奇跡のリンゴ」「くちづけ」で賛否の分かれ目は、映画に求めるエンターテイメントの質のとらえ方とシナリオ素材の考証にあるのかな。それを置いておいても、「奇跡のリンゴ」中村監督は職人技の無難なつくりをしたと思う。阿部サダヲ、相変わらずの怪演、プログラム・ピクチャーのヒロインを装うような菅野美穂もコントラストになっている。こちらも、農業の営み、農家の働き方と暮らしを知るという、問題提起がこもっている。

「くちづけ」の評価メモ
【自己満足度】=★★★★☆
【お勧め度】=★★★★☆
※創作のあり方で刺激を受けて感じて(考えて)みたい方には★プラスで

「奇跡のリンゴ」の評価メモ
【自己満足度】=★★★☆☆
【お勧め度】=★★★★☆

2013年6月17日月曜日

「ローマでアモーレ」

いつの間にか、欧州ロケーションがシリーズ化されたようなウディ・アレン監督の新作は「ローマでアモーレ」。人によっては笑えない、楽しく見れないかも。でも長年のアレン・ファンなら、情緒やエピソードの帰結を求めるのではないところで、納得づくで見流せるコメディであるに違いない。満載のギャグの品格は、わが国の古典落語に相当。80歳の大台がみえてきたアレン本人も出演、セックスから政治、相変わらずの神経症的アイロニー・トークをかまし連ねる。この分、作品コンセプト自体が皮肉に埋もれてしまったようにも思えるが。ペネロペ・クルスや地元のロベルト・ベニーニら、いつに増して大勢の役者達のパフォーマンスは見どころだな。「JUNO」のエレン・ペイジとか、ジェシー・アイゼンバーグ(「ソーシャル・ネットワーク」のザッカーバーグ!)とか若手もよいじゃん。毎度だが、キャスティングの妙というのもあり。

「ローマでアモーレ」の評価メモ
【自己満足度】=★★★☆☆
【お勧め度】=★★☆☆☆

2013年6月15日土曜日

「旅立ちの島唄」

予告編を見て気になっていたので、「旅立ちの島唄 十五の春」(吉田康弘監督)。かのTPPのタイミングで南大東島が舞台。思春期に家族内の揺れ動きにみまわれつつ、真摯に生きてしっくりと成長する少女の一年を描いた、映画ではよく取り上げられるプロットは普遍性がある。主演の三吉彩花嬢もよし。そして離島生活の情緒、島唄の力が映画を彩り豊かにしている。高校がないので、中学を卒業すると進学のため沖縄本島などへ旅立っていくのだそう。八丈島出身者によって開発された島ということを教えていただいたのたが、沖縄系の島唄(元来、シマウタは奄美民謡と思われるが広義の通例で)もよく息づいていると見える。卒業記念、村の催事で旅立つ子らが披露する島唄の一つが「アバヨーイ」(それなりに近年の新作楽曲らしい)。民謡教室の師匠が「泣かないで唄うのがよい」とか、心得を指南する意味合いがよく表現された演出、映画の主題に共鳴した。
しばらく、御無沙汰していたが、沖縄・奄美民謡、島唄も大好き。奄美、石垣、宮古などローカル性は分かるつもりだったが、大東は意識していなかった。また、ひと通り聴き直してみようか。
井筒組での足跡が多い吉田監督、デビュー作?「キトキト」(2006)もやはり家族劇、面白かったなー。

「旅立ちの島唄 十五の春」の評価メモ
【自己満足度】=★★★★☆
【お勧め度】=★★★★☆

2013年6月11日火曜日

「きっと、うまくいく」

劇場鑑賞の優先順位がしばらく後回しになっていたインド映画で、久々に思い切って「きっと、うまくいく」(ラジクマール・ヒラニ監督、2009)。現代インドの活況を投影したエンターテイメント大作として楽しく見ることができた。シビアなテーマも織り交ぜて、「自殺」って先進国病なのかな。競争社会を風刺し、ユモーアと友情を糧に暮らしの豊かさに理想を求める、アプリオリに楽天的なコメディ・コンセプトは、大衆娯楽映画のゴールド・スタンダード。わが国にも経済成長の過程にこのような時勢があった、インド映画同様、歌や踊りに満ちた幸せな映画がたくさんつくられた時代があったと、思い出させられる。最近はホラーやサイコ・スリラーで辟易していたた分、個の嗜好を意識しジャンル化が進んだ先進国の映画製作界での、娯楽映画の王道の影が薄くなったのかなぁと思ったり。
「きっと、うまくいく」、でも、170分は長いかな。大学卒業後、行方不明の主人公を探すロードに、大学時代のエイピソード多々がカットバックされるシナリオ構造だが、3バカ学生の退学危機譚の一部など、上手ではないストーリー・テリングもあるように感じた。而して、技巧優位でなく、ドラマ描出に活力があふれているのは楽しさの源。

「きっと、うまくいく」の評価メモ
【自己満足度】=★★★★☆
【お勧め度】=★★★★★

2013年6月8日土曜日

「イノセント・ガーデン」より〈パブリック・エネミーズ〉が、

パク・チャヌク監督の新作、ハリウッド作品ということで週末に「イノセント・ガーデン」。俳優を含めスタッフのクオリティと技術レベルの高さはよく分かるものの、ミステリー仕立ての「サイコ・キラーの覚醒」という顛末譚には、ほとんど退屈、結果、くすぶる不満の埋め合わせは終映まででききずじまい。ミア・ワシコウスカという若手女優の映画としても、モチベーションに響かず。監督の意気込みを反映した策の弄し過ぎで、あざとさばかりに目を奪われ、映画が楽しめなかった。
ダーク・サイドつながりか前後して、TV放映録画ストックから「パブリック・エネミーズ」(マイケル・マン監督、2009)を流し見る。ジョン・デリンジャーという1930年代に世間を騒がせたギャングの実録ものの語り口は淡々としていて、ジョニー・デップ、クリスチャン・ベールらスターキャストだけど、こちらは意外(封切り時は敬遠)にもしっくりきた。悪くないじゃない。
スタンダード好きなので、シナリオ・プロットではキーとしている「バイ・バイ・ブラックバード」、あるいはビリー・ホリディ歌唱のいくつかに得心、そして、終盤間際、捜査本部に迷い込んだように訪問したデリンジャーにかぶせた「ダーク・ワズ・ザ・ナイト、コールド・ワズ・ザ・グラウンド」には酔ってしまう。これブラインド・ウィリー・ジョンソンの音源?って思うほど、クリアなパフォーマンスに聴こえた。うっ、肝心の「バイ・バイ・ブラックバード」はだれが歌っていたのか、流してしまった。

「イノセント・ガーデン」の評価メモ
【自己満足度】=★★☆☆☆
【お勧め度】=★★☆☆☆

2013年6月6日木曜日

「はじまりのみち」

木下恵介生誕100年記念映画。監督はアニメ畑では知られた原恵一氏で、この大仕事、何故にと懐疑半分を抱えつつも、「河童のクゥと夏休み」(2007)、「カラフル」(2010)は拝見していて、作家としての感性と力量は感じていただけに、劇場へと足を運んでしまった。「はじまりのみち」、思っていたよりも地味とか、、、予断を振り払いつつ観て、静かなりに、よいじゃないと得心。浜松近辺、遠州というのか、方言・土地柄にも妙に心が誘引されたり、便利屋役の浜田岳が得意の狂言回しでアクセントとなっていたり。脚本も降ろしているだけに、監督による木下恵介作品とその人なりの読み込みと憧憬には真っ当さを感じた。
またまた、この時勢、現代における木下恵介作品の受容状況というのは、日本国憲法のよう、とも頭をよぎったたり。
原恵一監督、「クレヨンしんちゃん」の映画シリーズも観てみたいな。それ以上に、実写ではどんな仕事を手がけられるのか。要注目である。

「はじまりのみち」の評価メモ
【自己満足度】=★★★★☆
【お勧め度】=★★★☆☆
※現代映画のかまびすさが苦手の方には★プラスで

2013年5月31日金曜日

ヒルビリー・バンド

やっとこさ八重桜も満開。しばし、マドックス・ブラザーズ・アンド・ローズ(The Maddox Brothers and Rose)を聴いてきて、ヒリビリー・バンドというコンセプトがよく合うなと思う。ハンク・ウィリアムス系のカバーは多く、「ホンキー・トンキン」、「バケツに穴があいたなら」など、かなりイケてる。
でもやっぱり、ゴスペルに耳がとまる。茶目っ気ある陽気なサウンドの底流に醸す哀愁が相乗して語りかけるためと思われるのだが、その源は、時代なのか、ローズの声質なのか。とりわけ、「ターン・ユア・ラジオ・オン」、「ギャザリング・フラワーズ・フォー・マスターズ・ブーケット」、「アイル・フライ・アウェイ」、「ファーザー・アロング」といった、カントリー・ゴスペルの定番には楽しんで(?)聴き惚れてしまう。讃美歌のナンバーソングと異なる系統ってニュアンスかな?
そう、この辺りの共通性はロイ・エイカフ(Roy Acuff)のゴスペル歌唱・サウンドにもあるかなぁ。

2013年5月26日日曜日

♪パーティーはそのままに

取りかかり上、カントリー・ミュージックのコンテンポラリーも聴いてみたくなって、比較的最近のコンピレーションCDを選考、ドワイト・ヨーカム(Dwight Yoakam)の『プラチナ・コレクション』(2006年)とロザンヌ・キャッシュ(Rosanne Cash)の『エッセンシャル』(2011年)に着手。予想外にもカントリー・クラシックス嗜好の共通項はあるもので大御所、ドン・ギブソンが、、、いずれもゴールド・スタンダーといえるナンバー、ドワイト「オー・ロンサム・ミー」ロザンヌ「スイート・メモリーズ」ときていた。
ロザンヌのこのCD2枚組では、かつてのパートナー、ロドニー・クロウェル、あるいは、ジョン・ハイアットとの相性のよい音づくりが光る。カバー・バージョンではほかに、父ジョニーの「テネシー・フラット・トップ・ボックス」などとともに、私には意外なところで、ビートルズ『フォー・セール』(1964年)収載の「アイ・ドント・ウォント・トゥ・スポイル・ザ・パーティー」に遭遇。リズム&ブルースとカール・パンキンスらロカビリーへの意識が強い初期ビートルズ楽曲の米国本土帰り。何故に、ロザンヌがこの曲を?という気もするが、うっすら、ビートルズ作品のカントリー・シーンでの受容は結構あるようにも思える(新たな課題?)。
「テネシー・フラット・トップ・ボックス」は、手持ちの『キングズ・レコード・ショップ』(1987年)収載で、初聴時は馴染まなかったものの、割に聴き込めてきた感じ。そのほか、さらに聴き込み中。

2013年5月21日火曜日

マドックス・ブラザーズ・アンド・シスター・ローズのアルバム

エミルウ・ハリス(Emmylou Harris)のCD『エンジェル・バンド』と一緒に調達できたのが、待望のマドックス・ブラザーズ・アンド・ローズ(The Maddox Brothers and Rose)のCD『The Hillbilly Party Band』(2011年)。このファミリー・バンドが活躍したのは1930年代後半から1950年代中葉だそうで、当時の音源によるコンピレーション・アルバムだが、これまでVA・オムニバス版で、つまみ食いにしか接する機会がなかっただけに、しめたりである。
27曲詰まっていて、ジミー・ロジャース、ハンク・ウィリアムス、マール・トラヴィスらのカントリー・スタンダードが耳に止まり、それこそ「ファザー・アロング」、「アイル・フライ・アウェイ」といったカントリー・ゴスペルも交えているが、ファミリー・バンドならではの陽気で楽しいハーモニーとブギウギ・サウンドに満ち、ロカビリーといっても別物でなく、ロックン・ロールの足音が聞こえる感じだ。
一番魅力に感じるのは、やまりローズ・マドックスの明るいボーカル。ベティ・ハットン、ワンダ・ジャクソンといったパワー系の歌唱、女優ならジーン・アーサーを彷彿させる特徴ある声質で、美声でない分、親近感を強く意識する。ホンキー・トンク節でもあり。
その他楽曲の解題・探究は追々として、まず気になったのは「ミルク・カウ・ブルース」。本邦ではやはり、ロバート・ジョンソンのバージョンが著名か。エルヴィス・プレスリーもイケているが、このマドックスズのパフォーマンス、面白いと思う。そういえば、オリジナルは聴いた記憶がなかった。ココモ・アーノルド?

2013年5月20日月曜日

♪エンジェル・バンド

「オー・ブラザー!」を聴き直す(10日付)――の流れできて、以前から気にかけていたエミルウ・ハリス(Emmylou Harris)のアルバム『エンジェル・バンド』(1987年)を入手、音楽の質のよさに聴き入ってしまった。12曲中、表題と同名曲を含めスタンリー・ブラザーズが取り上げたであろう3曲は確認できたものの、クレジットはトラディショナル表記が多いゴスペル・コンセプトの選抜楽曲群で、地味さ加減がシックに響くサウンドが心地よい。
エミルウエモリー・ゴールディ・ジュニア(Emory Gordy, Jr.)の共同プロデュース。エミルウは、ソフィストケイト+インテリジェンス感あるカントリー・シンガーもしくはシンガー・ソング・ライターというのが、私に染みつたイメージであった。新進気鋭であったころのヴィンス・ギル(Vince Gill)らパフォーマーの面々による演奏・コラボレーションが極上で、カントリーサイドのアコースティック・アレンジなのだが、真にもって嫌味なく澄んで聴こえるのが、今にして新鮮に感じる。
収録曲中、最も歌われる機会が多いと思われるのは、おそらく「プレシャス・メモリーズ」か。シスター・ロゼッタ・サープ(Sister RosettaTharpe)も歌っていた。そういえば、アラン・ジャクソン(Alan Jackson)の『プレシャス・メモリーズ』(2005年)というゴスペル集、アルバムタイトルの楽曲が収録されてない?と気になっていた。どうやら、今年発売されたボリューム2に収めたようだ。
何はともあれ、まだまだじっくり聴くことに。家の庭の八重桜はまだ咲かないし。

2013年5月12日日曜日

♪キャン・ザ・サークル・ビー・アンブロークン

旅程その3、カーター・ファミリー続きで、「キャン・ザ・サークル・ビー・アンブロークン」が録音されたのは1935年。元歌である讃美歌「ウィル・ザ・サークル・ビー・アンブロークン」がつくられたのは1907年といい、バイ・エンド・バイ~のコーラス部分はほぼ踏襲しているものの、カーター・ファミリー・バージョンは、母の葬送という個人的な吐露を刻んだA・P・カーターの詩作に妙な味わいを感じる。ニッティ・グリッティ・ダート・バンド経由で邦版化したという、なぎら健壱氏の「永遠の絆」の日本語詞も、なかなかなものだと思う。
カントリー・ミュージック・シーンではA・Pの歌詞が歌われることが多いように思われるが、タイトル表記は、何故かほとんど決まって「ウィル・ザ・サークル・ビー・アンブロークン」。先のニッティ・グリッティ・ダート・バンドも1972年に始まるアルバム・プロジェクトのタイトルは『ウィル・ザ・サークル・ビー・アンブロークン』だ。モンロー・ブラザーズなど讃美歌歌唱はないわけではなく、黒人もゴスペル・シーンでカルテットなどが原詞を歌っているのを聴くことがあるもののの、ステイプル・シンガーズはA・P版だったな。こうした入り組みと交錯、それぞれの意味合いをつかまえるには、未だ至っていない。この辺はさらに探究。
とにかく、とりわけカントリー・シーンで歌い継がれてきたこの楽曲、カール・パーキンスがアレンジを施しジョニー・キャッシュが録音した「ダディ・サング・バス(パパが歌えば)」の派生形を生むなど、パフォーマンスへの取り込み、親しまれ方もさまざま。
讃美歌「ウィル・ザ・サークル・ビー・アンブロークン」の旋律はニグロ・スピリチュアルの「グローリー、グローリー(または、レイ・マイ・バーデン・ダウン)」に倣っていると思われるが、そもそもこの両楽曲の相関がよく分かっていない。ニッティ・グリッティ・ダート・バンド『ウィル・ザ・サークル・ビー・アンブロークン』の3作目(2002年)ではタジ・マハールが加わって、A・P&「グローリー、グローリー」バージョンとして演奏されていて、なるほど。

2013年5月11日土曜日

♪大きなまだらの鳥

旅程その2、カーター・ファミリー「アイム・シンキング・トゥナイト・オブ・マイ・ブルー・アイズ」を録音したのは1929年、ロイ・エイカフのデビュー録音である「ザ・グレート・スペックルド・バード」は1936年で、同じ旋律によるこれら楽曲の歌詞、前者は世俗、後者は旧約聖書にインスパイアされたゴスペルであることと、その後のカントリー・ミュージックへの波及にあらためて驚く。メロディの印象は必ずしも讃美歌には聞こえない。英国古謡らしいが現在の学習状況では、そこまで。
世俗版の「ブルー・アイズ」ジーン・オートリーモンタナ・スリムなど多くのカバーがあるほか、替え歌版でハンク・トンプソン作という「ザ・ワイルド・サイド・オブ・ライフ」があり、それに対する女性からの返歌として「イット・ワズント・ゴッド・フー・メイド・ホンキー・トンク・エンジェルズ」がある。そして、「ホンキー・トンク・エンジェルズ」は、何とあのキティ・ウェルズを初代「クィーン・オブ・カントリー」に導いた楽曲だったとは。ロイ・エイカフも「キング・オブ・カントリー」であるし。
「ザ・ワイルド・サイド・オブ・ライフ」のオリジナルは記憶になかったが、ウィリー・ネルソンレオン・ラッセルのコラボレーション・アルバム『One For  The Rord』にあったので堪能してしまう。

2013年5月10日金曜日

「オー・ブラザー!」を聴き直す

ルーツ・ミュージックたどりの旅程検証ということで、コーエン兄弟「オー・ブラザー!」(2000)サントラ盤を聴き直す。もともとお気に入りのアルバムながら、「ユー・アー・マイ・サンシャイン」「キープ・オン・ザ・サニー・サイド」「イン・ザ・ジェイルハウス・ナウ」などを除くと、採用楽曲はレア・コア系かと思っていたが、やはり、アラン・ローマックス、カーター・ファミリー、スタンリー・ブラザーズ関連の業績後継による歌唱の数々が収められていて、あらためて聴き入ってしまった。T=ボーン・バーネットがプロデュース、21世紀に向けたルーツ・ミュージック・リバイバルの嚆矢であったことは確かだと思う。
個人的な発見と再認識。は映画のグラウンド・テーマ・ミュージックともいえる「アイ・アム・ア・マン・オブ・コンスタント・ソロウ」、トラディショナル・フォークだそうだが、スタンリー・ブラザーズの録音が知られる。そして、ボブ・ディランが1962年のデビュー・アルバムで取り上げていたとと。ピーソール・シスターズが歌う「イン・ザ・ハイウェイズ」はメイベル・カーター作だったこと。昨年入手したアニタ・カーターのCDに収録されいたが、メイベル本人のは聴いた記憶がないなぁ。スタンリーズの弟ラルフのトラディショナル歌唱「オー・デス」も昨年の新刊本『the Carter Family : Don't Forget This Song 』(著作:Frank M. Young/David Lasky)の付録CDで、カーター・ファミリー・バージョンをみつけてしまった。メキシコ国境ラジオ局時代の録音らしい。「エンジェル・バンド」もスタンリー・ブラザーズ、カーター・ファミリーともに録音のある、より以前から歌われていたゆかしい香りの讃美歌。ギリアン・ウェルチとアリソン・クラウスの「アイル・フライ・アウェイ」はグルーグラス・フォーク調の心地よいアレンジ。思い出されるのはロイ・エイカフのバージョンだが、カントリー界では現在も、まま耳にするスタンダードか。
 などなど、映像ドラマとの相乗効果狙いもあるのか、あらためて、カントリー・ゴスペル、スピリチュアル範疇が多いことにも感心する。

◆追記◆
♪エンジェル・バンド(2013/05/20)
♪マン・オブ・コンスタント・ソロウ(2013/07/25)
「インサイド・ルーウィン・デイヴィス」(2014/06/19)
T=ボーン・バーネットつながり(2014/07/08)
「貧者ラザロ」で、たどってみる(2014/11/26)

2013年5月9日木曜日

「天使の分け前」

ケン・ローチ監督の新作、さて、どう受け取るか、である。樽の中で熟成するウィスキー、毎年、2%が蒸発する行方の暗喩と社会奉仕活動で更生を目指す若者がクライマックスで演じた行動を重ね合わせたモチーフがタイトルの「天使の分け前」。コミカル・キャラクターを配しつつ、前半は社会のシビアな現実に目を向けた従前のローチ調。奉仕活動の取りまとめ役(わが国の保護司みたいだが、制度が異なるので、、、)のよしみを得て、ウィスキー(テイスティング)の魅力に開眼し、親ともなった、この若者のパーソナリティと行動規範が、後半において随分と違った印象を受ける。演出もコメディとサスペンスが交錯し、ベーシックなローチ・ファンにとって終着点の見通しに迷いが生じる。
たぶん、ウィスキー文化を評価しつつ、希少銘柄に多量の資金が投下される市場形成には揶揄の視点を持つというニュアンスで、オチるのだろう。
日本人倫理にはそぐわないかとな思いつつ、わが国との対比で、刑罰偏重ではない更生の仕組み、社会奉仕活動や被害者との対話プログラムなどを興味深く見た。モルトも味わいたくなりました。

「天使の分け前」の評価メモ
【自己満足度】=★★★☆☆
【お勧め度】=★★★☆☆

2013年4月28日日曜日

ジョージ・ジョーンズ逝く

ジョージ・ジョーンズ(George Jones)、81歳にてナッシュビルの病院で26日に死去――との訃報を昨日、ネット上で目にしたが、本日宅配の朝日・日経両紙には記事がなく、?、カントリー・ミュージックの雄への評価レベルは、現代のわが国においてそのようなものかと、少々残念。哀悼を抱きつつ、今年入手したジョージのCDセットからゴスペル歌唱をかけ流してみる。そこで、、あっ、「We'll Understand It」でタイトル表記の曲って、「ファーザー・アロング」じゃん。
南部産カントリー・ゴスペル典型の楽曲で、教会斉唱ではなく民衆伝播系統と思わる、フォーク語りともいえそうな味わいが印象深い。現在、最も繰り返して聴く、ニッティ・グリッティ・ダート・バンド(NGDB)のCD&DVDボックスセット『永遠の絆(Will the Circle Be Unbroken)』、3つのプロジェクトからなるCD]5枚目の最終曲であり、かつ、ライブ収録のDVDではメーン・タイトルとして付されていることは、以前メモしておいた。ボックスセットの表題曲「ウィル・ザ・サークル・ビー・アンブロークン」も、旋律はニグロ・スピリチュアルらしいものの、歌詞は「ファーザー・アロング」と同様の視点があり、カントリー・ゴスペルそのものである。ちなみに、ジョージは「We'll Understand It」と同じCD(アルバム)で、この「ウィル・ザ・サークル・ビー・アンブロークン」も歌っていた。
「ファーザー・アロング」、社会の疲弊あるいは人間関係の軋みが見えて心持ちも悪い等々といった沈殿した日常世界の現況から、いつかこの先(ファーザー・アロング)、神の世界を理解する日が来ると、モチベーション修正をしっとり歌い上げる内容(だと思う)。もちろん宗教観もあるが、希望を歌う哀感に普遍の魅力を感じる。

◆過去のメモ◆
カントリー・ミュージックって、演歌!?(2011/12/11)
最後に、♪ファーザー・アロング(2012/02/25)
ジョージ・ジョーン(2013/02/11)

2013年4月27日土曜日

「舟を編む」

痛風の発作に痛みながら、本屋大賞受賞作の実写化で「舟を編む」を昨日、鑑賞。本は読んでないけど、たぶん、辞書づくりに携わる人々と彼らのその仕事に関わるモチベーションの有様といった原作小説のテーマはしっかりと押さえた出来栄え、キャスティングの妙と回顧感ある心地よいテンポに堪能してしまった。松田龍平はやはり、「まほろ駅前多田便利軒」(2011)、「探偵はBARにいる」(2011)とか、オフ・ビート系の役どころがフィットするし、掛け合い相手となるオダギリジョーもこのキャラクターがよいね。日本映画、いいじゃない。
下調べはほぼしないので、「川の底からこんにちは」(2009)などで評判を博する若手作家の石井裕也監督であったとは、エンドロールで再認識。これまで最も高額の製作費を計上したと思われる商業的大作映画にもかかわらず、バランスよくクオリティある仕上がりを施した手腕に感心してしまった。過去作品も観てみようか。
大阪芸大OBだとか。大阪芸大の映画作家輩出力にもあらためて驚く。日本の映画界と映画ファンにとって将来の楽しみも広がる。そうか、満島ひかりと結婚していたのね。これも含めて。

「舟を編む」の評価メモ
【自己満足度】=★★★★☆
【お勧め度】=★★★★☆

2013年4月20日土曜日

〈法界坊〉

シネマ歌舞伎化された演目続きで、TV録画ストックから「法界坊~隅田川続俤(すみだがわごにちのおもかげ)」。こちらもシネマ歌舞伎の方は見逃し。中村勘三郎さん追悼番組で昨年末放映された、串田和美演出による平成中村座の2007年ニューヨーク公演。オリジナルはまさに江戸期の上方芝居らしいが、破戒僧の法界坊を演じる勘三郎が英語台詞を交え観客とのコミュニケーションを図るといった、海外お出かけバージョンになっている。小屋がニューヨーク・フィルの本拠地エイヴリー・フィッシャー・ホールだったのも面白い。もちろん花道付き。
世話物なんでしょうが、初見から人物関係と筋立てを見立てるのは厳しい類い。ただ、たいして難しく考えることなく観ているだけで、下世話な悪人、法界坊のキャラクターの躍動が見栄えのする歌舞伎であることには違いない。海外バージョンなり、だろうと思いつつ、これも確かに勘三郎の当たり役、かつ檄演。大喜利・終幕は、一転、趣が変わり、義太夫と常磐津に分厚く支えられた怨霊の舞、、、何度か繰り返し観て、この情緒の意味合い考えてみたくもなる。
さて、さて、これもまた、海外バージョンでないものと見比べたいもの、今回の「月イチ」には予定なしか。その前に、平成中村座のニューヨーク公演、もう一本、別の演目も見ることに。

2013年4月19日金曜日

〈ふるあめりかに袖はぬらさじ〉

歌舞伎座新開場こけら落とし記念で「月イチ」のシネマ歌舞伎、札幌第二弾は「ふるあめりかに袖はぬらさじ」で本日終映、今回も上映時間が合わず断念し、初映も見逃していただけにまことにもって残念。と、やはり正月に放映された舞台版「ふるあめりかに袖はぬらさじ」の録画を思い出し、引っ張り出して視聴する。幕末、横浜の遊郭で繰り広げられる、開国論・攘夷論の衝突と沸騰といった世情をプロットに交えた世話物、思ったよりも見やすいドラマであった。原作から戯曲も手がけたという有吉佐和子氏の才気に納得、台詞の多い狂言回しである芸者を演じた坂東玉三郎は、さすがに当たり役。シネマ歌舞伎化された、「刺青奇偶」「怪談牡丹燈籠」などのドラマものの役どころより、私には、この芸者役がフィットして、感心してしまった。
「ふるあめりかに袖はぬらさじ」は舞台が先で、歌舞伎は後追いということであるが、こうなると、やっぱり、シネマ歌舞伎版も見たくなってしまう。ライブでも、と思いつつ、なかなかね、、、

2013年4月15日月曜日

「コズモポリス」

デヴィッド・クローネンバーグ監督の新作という事前情報だけで、出かけて観てきた「コズモポリス」。近年の活劇作家としての作品品質に信頼、期待していた分、モチベーションとミスマッチな結果に終始してしまった。現代作家の原作ものだそうで、金融に特化した資本主義の権化・主人公の有り体と彼が生きる近未来らしい世界観の描出は想像の範囲で、何ら映画的魅力を感じない。アイロニカル口調だとするなら、その立脚点はどこ?おそらく原作の妙は、形而上学を模した会話と、そのズレ方にあるのだろう。ネイティブではないので堪能できず。
ジュリエット・ビノシュ、サマンサ・モートン、ポール・ジアマッティ、、、キャストは必要十分だが、見どころを挙げるに乏しい。ここのところハズレ続きか。

「コズモポリス」の評価メモ
【自己満足度】=★★☆☆☆
【お勧め度】=★☆☆☆☆


2013年4月9日火曜日

「らくごえいが」

落語ネタ続きで、東京芸大大学院映像研究科が制作を手がけたという「らくごえいが」。「ねずみ」、「死神」、「猿後家」を現代映画に翻案したオムニバスと公言した割には、落語の魅力からかけ離れた凡庸な意欲作にとどまってしまった。冒頭と締めの落語家面々のインタビュー・コメントは、言い訳じみて不要。
噺のプロットを換骨脱胎して現代作品にする作業は、試験問題に取り組んだ結果のよう。あるいはトレーニング・メソッドとしては有効かもしれないが、本作に限っては、原作落語の選択を含め真摯に落語世界の風情を理解するところから始めるべきだったのでは。例えば、「死神」自体が舶来説話の翻案噺なんだし。
映画メイキング内輪話もの、、、って視点なら、まずまず観られるか。しかし、映画づくりを志す若いスタッフたちが、ハナっからそれではねぇ。キャスティングと演出、役者の演技、映像製作技術水準は相当いい感じだっただけに、苦言の方が多くなってしまった。

らくごえいが」の評価メモ
【自己満足度】=★★☆☆☆
【お勧め度】=★★☆☆☆

2013年4月7日日曜日

〈らくだ〉

歌舞伎座新劇場のこけら落とし記念の一環、札幌でも「連獅子」「らくだ」のカップリング再映が1週間行われ、トリビュート・トゥ・勘三郎のモチベーションがもたげ再鑑賞を思い立ったが、意外の盛況で入場かなわず。配給元は一部で延長上映を決めたものの札幌では今のところ予定なし、劇場の方でもより大きい小屋に移すとか、何か対応の仕様があるだろうにと、ストレスの昂じた次第。
踊りがカッコよくてアメイジングな「連獅子」は、山田洋次監督が映画手法を取り入れて編集。古典落語をプロットに据えた「らくだ」をかつて観たとき、そういえば若かりし山田監督には、この同じ落語のネタを交えた「運が良けりゃ」(1966)という快作があったなぁと思い出す。山田監督のフィルモグラフィーとして、「馬鹿まるだし」(1964)などハナ肇とのコラボレーションでアナーキーな喜劇力に満ちていた時代であった。
、、、などの想い巡らしつつ、大滝秀治主演、劇団民藝の舞台「らくだ」のTV放映録画が未見だったと、気分転換に視聴。戯曲は別役実で、落語オリジナルのバックボーンを残しつつ、別役調の不条理演劇に再構築されて、なるほどの感想。フグに中って死んだ長屋住まいのやくざもののあだ名が「らくだ」で、タイトルに掲げているのはそれぞれ共通。さらにコンセプトはゾンビダンスのルーツにも思われ、ネタの肝の「死人のかんかんのう(踊り)」も採用。山田監督の「運が良けりゃ」では、「かっぽれ」だったような気がしたが記憶違いかな?。「かんかんのう」は唐人踊り、この囃子唄の妙な歌詞自体、中国由来らしいが、、、大衆芸能のルーツ探りにも興味が沸いてきた。

2013年3月28日木曜日

♪グランド・クーリー・ダム

ウディ・ガスリー(Woody Guthrie)続きで再認識、カーター・ファミリーを経由したバラッドには「グランド・クーリー・ダム」もあった。旋律は「ワバッシュ・キャノンボール」だな。ホーボー・ソングでホラ話の語り歌、ロイ・エイカフ(Roy Acuff)の十八番であり、カントリー・クラシック中のゴールド・スタンダードだと思う。ビル・ヘイリー(Bill Haley)の「ジュークボックス・キャノンボール」という派生バージョンも楽しくてとても好き。
ウディのこの楽曲は調べてみると、前記のアルバム『ダスト・ボウル・バラッズ』(1940)に続いて録音した楽曲で『The Columbia River Collection』(1941)に収載、フランクリン・ルーズベルト大統領時代のいわゆるニューディール政策で中西部のテネシー川などとともに大規模公共事業施策のターゲットとなった太平洋に注ぐ西部のコロンビア川が舞台の書下ろしバラッド集らしいが、この製作経緯にはまったく見識がなかった。これは課題。『The Columbia River Collection』はCDがあるようだが、邦盤はないみたい。

◆追記◆
その後、『The Columbia River Collection』(アルバムCDの発売は1987年ってことなのかな?)を入手。気分次第で流し聴きしている。「ロール・オン・コロンビア」、これもまた、レッドベリー(Leadbelly)の歌唱で知られ、フォーク・リバイバル醸成の象徴でもある楽曲「グットナイト・アイリーン」の旋律。エリック・クラプトンEric Clapton)が最新のアルバムで唄っているのを耳にし、思い起こしてしまった、、、(2013/05/01)。

2013年3月24日日曜日

♪トム・ジョード

友人遺品から、ジャック・エリオット(Jack Elliott)のアルバム『シングズ・ザ・ソンズス・オブ・ウディ・ガスリー』を聴いていて、「トム・ジョード」って、カーター・ファミリーのバラッド「ジョン・ハーディ・ワズ・ア・デスペレイト・リトル・マン」と旋律一緒じゃんと気づいた。
確か、「トム・ジョード」は放浪の徒であったウディ・ガスリー(Woody Guthrie)が、ジョン・フォード監督の「怒りの葡萄」(1940)を観ていたく共鳴、インスパイアされてつくり上げたアルバム『ダスト・ボウル・バラッズ』の1曲(たしか2バージョン収録)で、ヘンリー・フォンダが演じた主人公の名にちなんだ楽曲と記憶していた。「わが祖国」はカーター・ファミリーの「ホエン・ザ・ワールズ・オン・ファイア」に対応し、ゴスペル・ルーツ。今回はバラッドということで。旋律借用して新たな歌詞で歌う手法が多かったというウディ・ガスリー、本歌を意識してもう少しちゃんと聴いてみなくては。歌詞ともども。

2013年3月22日金曜日

ボ・ディドリー

ジョージ・ジョーンズ(George Jones)のあとは、やはり同じシリーズのコンピレーション4枚組みCDでボ・ディドリー(Bo Diddley)。1958年から1960年代半ばの録音で、6枚のクラシック・アルバムにシングルやセッション、ライブからの集成。色褪せのない素直によい音楽、よいノリ。
おそらく、ロックを中心としたポピュラー・ミュージックが好きな私たち日本人には、実像が最も遠かったオリジネイターかな?ビートルズ世代は容易に、チャック・ベリーやリトル・リチャード、カール・パーキンスにつながるように、ローリンズ・ストーンズのファンならボ・ディドリーに行き当たるが、その認知度とオリジナルへの遭遇機会に違いがあった気がする。ロックに関しては、走りだった1978年当時に出版されたディスク・ガイドをめくり返してみてもそう思う。
ストーンズのカバーなら、「アイム・ア・マン」、「クラッキン・アップ」、「モナ」など、彼の楽曲群とパフォーマンスは、どちらかというとブリテッシュ系に愛されている度合いが高いのかな。

2013年3月20日水曜日

「シュガーマン」

何気に思い立って「シュガーマン 奇跡に愛された男」(マリク・ベンジェルール監督)。アメイジング!!!1970年代の初頭、アルバムを1、2枚を録音した後、消息不明となっていた米国のシンガー・ソングライター。アパルトヘイトに抗する機運に合致したがゆえ南アフリカではアフリカーナら中心にその楽曲が絶大な支持を得るが、人物像はレジェンドに。この伝説を解き明かすドキュメンタリー映画なのだが、インパクトは期待以上であった。
ミシガン州デトロイトのロドリゲスというこのミュージシャン、生業は解体現場などの肉体労働。才能は最も詩作にこそ発揮され、名前が示すようラテン系の歌声とサングラスの風貌からは、ホセ・フェリシアーノを彷彿とさせる。およそ20数年の歳月を経て、埋もれた才能が発掘され、南アでの復活コンサートにかかる部分がドラマツルギーの肝であることに違いはないが、3人の娘を地元で育てていたロドリゲスの静謐な生き様にこそ、人の暮らしの手本を垣間見る思いがした。
デトロイトを舞台にしたワーキングクラス、プア・ホワイトの暮らしぶりを描いたローカル映画としては、カーティス・ハンソンの「8Mile」(2002)やクリント・イーストウッド 「グラン・トリノ」(2008)に比肩する秀作。

「シュガーマン 奇跡に愛された男」の評価メモ
【自己満足度】=★★★
【お勧め度】=★★★☆☆
シンガー・ソングライター、1960年代から70年代のフォーク・ロック音楽に反応する方には、プラス

2013年3月16日土曜日

「アルゴ」

アカデミー賞受賞記念の再映最終日に「アルゴ」(ベン・アフレック監督)。「ゼロ・ダーク・サーティ」(キャスリン・ビグロー監督)よりは、エンターテイメント仕様といえるが、必ずや米国史観といった非難はついて回るのだろうなとも思う。米国とその諜報機関による活動の成果を描いてる点で両映画は共通、抑制を意識しつつもヒロイズムの鼓舞と受け取れる印象が強いのは「アルゴ」の方。
とはいっても、ハリウッドの映画人を演じたジョン・グッドマンとアラン・アーキンの快演によって、ハリウッド内幕物?といった妙な雰囲気が漂う微妙なバランス感覚に面白みがあり、情報通信機器などメカニカルやファッションといった美術仕様をはじめ30数年前の時代復刻も醸す。主人公の諜報部員を孤独で静謐に演じたベンのパフォーマンスも、まずまず。
でも類推で思い出すのは「カプリコン・1」(ピーター・ハイアムズ監督、1977)かな。

「アルゴ」の評価メモ
【自己満足度】=★★★☆☆
【お勧め度】=★★★☆☆

2013年3月13日水曜日

「ルビー・スパークス」

これもまた、ロードショー(って最近いわないか)終了間際に観た「ルビー・スパークス」(監督:ジョナサン・デイトン&ヴァレリー・ファリス)。ファンタジック・スタイルのラブコメということで、気分転換、暇つぶしに映画館に出かける分には、可もなく不可もなくの予想の範疇の出来栄えであった。落としどころは、あんまりスッキリしない後味かな。
而して、ラブコメの肝、ヒロインを演じたゾーイ・カザンは役中ファッションといい、よい感じで、当たり、救い、見どころといえる。サム・メンデス監督の「レボリューショナリー・ロード、燃え尽きるまで」(2008)なんかに出ていたらしいが、ほかの出演作品ではあんまし記憶に残っていなかったな。例によって、エンドロールを観終えたてのちに再確認、ゾーイ嬢、この映画で脚本を担当しているほか、製作にも噛んでいるという才気にも感心。うーむ、エリア・カザンの孫なの!?
どこを観るかだが、デビュー作でブレイクしたものの、なかなか2作目が創作できないという主役・青年作家のキャラクター設定も味わいがあったかな。

「ルビー・スパークス」の評価メモ
【自己満足度】=★★★☆☆
【お勧め度】=★★★☆☆

2013年3月4日月曜日

「ライフ・オブ・パイ」

封切り上映はそろそろ終了かというところで、「ライフ・オブ・パイ トラと漂流した227日」(アン・リー監督)。ほとんど予告編程度の予備知識にて鑑賞、予測を超えて相当度インパクトを感じた映画ではあった。この感度の強さは、モンスターやエイリアンといった想像や空想の産物ではない猛獣へのシンプルな恐れ慄き。意外と普段の映画には、こんな感じはなかなかないけど、「ロザリンとライオン」(ジャン=ジャック・ベネックス監督、1898)を思い出した次第。
ストーリーが面白い。旧仏領インドで動物園を開いた父、母と兄のもと、多感な宗教感覚を育んだ変わりものの少年、家族と動物たちを伴ってカナダへ移住の航路途中、海難にあった漂流生活の後半、「ミーアキャットで埋まる人喰い浮島」にたどり着いて、一転、ファンタジーに展じるのは、どうなんだろう。主調は、表題通りに「トラとの漂流」によって、自分の存在・運命に関する節理を得るに至った哲学的なアクション・アドベンチャー・ムービーに受け取れたが。
回想譚形式のシナリオ構造。映像による回顧が一通り終わり、海難事故処理のため訪ねてきた日本人保険調査員が信じてくれなかったとして、語ったというアナザー・ストーリーも意味深長。たぶん、原作小説はクリアーに面白いのでしょう。少なくとも、以上の示唆と余韻で思考を巡らし感慨に浸るのもよい。

「ライフ・オブ・パイ  トラと漂流した227日」の評価メモ
【自己満足度】=★★★★☆
【お勧め度】=★★★★☆

2013年3月2日土曜日

再び、♪スタンド・バイ・ミー

本日2日付の朝日新聞「うたの旅人」は、ベン・E・キング(Ben E. King)の「スタンド・バイ・ミー」だった。記事によると、ロブ・ライナー監督の同名映画(1986)の舞台となったオレゴン州ブラウンズビルにロケ地観光で訪れるのは圧倒的に日本人が多いのだそう。映画も好きだが、個人的にはアルバム『ロックン・ロール』(1975)収載のジョン・レノンのパフォーマンスが、ベンのオリジナルと甲乙つけがたく好きだ。
今回の記事では、この曲が一般の日本人にはあまり知られていないと思われるゴスペル・ルーツであることを指摘し、ベンへの取材からサム・クックが歌う「オー・ロード、スタンド・バイ・ミー」にインスパイアされた経緯を聞き出しているのが興味深かった。漠然と元祖本歌は、チャールズ・アルバート・ティンドレー(Charles Albert Tindley)作の「スタンド・バイ・ミー」ではないかと思い込んでいたが、果たしてこれらに連関はあるのか?サム・クック歌唱曲は、にわかに思い出せないものの、今後の探究の楽しみに。

2013年2月28日木曜日

「王になった男」

少しご無沙汰していた韓国映画で「王になった男」(チュ・チャンミン監督)。エンターテイメント時代劇の韓流製作力が各ポジションで発揮されいるのもよし。「影武者」君主の仕掛けに目新しさはないが、隣国関係や民を治める政治哲学といった暗喩メッセージなどに、製作陣のモチベーションがうかがえる。
コメディーととしての笑いのとりどころも韓流ならでは、私にはフィットする。而して、この遊びの部分を適度に抑えたのがこの映画の勝因では。世話物要素をまぶした作劇と演出、韓国映画は、まだまだ、勢いがある。

「王になった男」の評価メモ
【自己満足度】=★★★☆☆
【お勧め度】=★★★☆☆
※韓流時代劇の好きな方にはプラスで。

2013年2月26日火曜日

「ゼロ・ダーク・サーティ」

2001.9.11.から10年にして、テロの主謀者・ビンラディン殺害にたどり着いた、CIAの実録劇。情報分析官の若き女性を中心にCIAの諜報活動がドキュメンタリー調に描かれる、キャスリン・ビグロー監督の「ゼロ・ダーク・サーティ」。英雄主義、ナショナリズム鼓舞とはいえないが米国史観の枠内に収まるもののエンターテイメント風味の味付けがなく、サスペンス感を醸す映像再現に注力した退屈させられない映画づくりは、「ハートロッカー」(2008)同様で、監督以下スタッフの力量はさすが。
「テロとの闘い」というのは、文字通り、現在の戦争。例えば「捕虜・容疑者への拷問」を巡る論争(25日付・朝日新聞朝刊など)、米国人にも増して、日本人においてなお、重い課題を多々突きつけられる思いに陥る映画であった。さて、ラストシーン、目的を遂げた女性情報分析官の涙の意味は何であったか。

「ゼロ・ダーク・サーティ」の評価メモ
【自己満足度】=★★★★☆
【お勧め度】=★★★☆☆
※戦争もの好きな方にはプラスで。

2013年2月25日月曜日

「横道世之介」

「横道世之介」(沖田修一監督)、1980年代に大学進学のため上京した長崎出身の若者にまつわるストーリー。ゼネレーションは重なっていて、懐かしく共感するというのでもなく、「わかる、わかる」といった感じの、時代・キャラクター描写が続く。要は表題の通り髙良健吾演じるこの若者なのだろうが重心ではなく、小説が原作のためか群像劇要素を束ねようとの苦心のシナリオ構成は、3時間近くの長尺に達し着地点を焦らす。カットバックのはさみ方、年齢と時制に、あるいはストーリーテリングに、若干の甘さは感じたものの、通して心地よく観られ、余韻も悪くないのは確か。
行定勲監督の「きょうのできごと a day on the planet」(2003)に似た味わい、最も今回の方が事件も起こり寓話的でもあるか。而して、出来栄えの80%は記憶に刻まれうる「普通のよい人」を体現した、髙良健吾くんのパフォーマンスによるものであることには違いない。

「横道世之介」の評価メモ
【自己満足度】=★★★★☆
【お勧め度】=★★★☆☆
※日本映画好きな方にはプラスで。

2013年2月19日火曜日

「東京家族」

小津安二郎監督「東京物語」(1953)トリュビュートとして、現在の「東京家族」(山田洋次監督)。想像していたよりは、よくできた作品だったとの感想。特に前半は小津監督をなぞった映画製作技法がたたみかけられ、かつて、山田監督自身が「反発」を公言していた小市民の世話話を描き、「東京物語」のリメイクと称しても違和感は覚えない。観終えてみると、やはり独特の「山田節」の台詞と人情喜劇感覚がベースになっていることに気づく。ほどほどに混雑した劇場での鑑賞、時間帯からか、若者といえる年齢層の観客は少なかったが、実際に中高齢層の方に感度が高い映画であるとも感じた。
「東京物語」で小津監督のミューズとして、自身の神話形成につながる主要なパフォーマンスを体現した原節子の一人の役を妻夫木聡と蒼井優の二人の役どころとして構築したのは、まさに山田監督のメッセージなのだろう。両映画の対比において、その違いを味わうのもよし。家族の中では小市民から最も遠い設定、普通感覚の装いが肝といえる。長男の医者、長女の美容師をはじめ、特段の悪意が強調されるわけでなく、押しなべて普通の人間を描くのは山田調で、一考してみるべき差異がうかがえる。東京暮らしとの対比で、その疲弊を憂う地域の生活への眼差しを忘れないのも山田監督ならでは。
エンド・タイトルはデジタル製作?、、、

「東京家族」の評価メモ
【自己満足度】=★★★★☆
【お勧め度】=★★★☆☆
※日本映画好きな方にはプラスで。

2013年2月17日日曜日

「映画 鈴木先生」

原作はマンガで、TVドラマ化されて、、、と、エンターテイメント邦画の定番ルートを歩んできた「映画 鈴木先生」(河合勇人監督)。それぞの表現媒体に新奇な魅力があることもうががえるが、私は映画が初見、成人劇画調のキワドイ語り口で展開していき、落としどころは予定調和に抗して引っ張られる。その意味でトーンがつかみづらいとともいえるが、鑑賞後感としては、経済面に限らない「生きづらさ」が増幅しつつある、閉塞した日本社会の現況をアイロニカルに描いていると満足、映画化の意味を得た。マンガも、TVも未見、ほぼ事前情報なしでスクリーンに向き合ったので。このあたりは、「みなさん、さようなら」(中村義洋監督)もほぼ同様。
風間俊介の役どころは、ステレオタイプ過ぎるか。中学校というよりも、高校が舞台の方がよいのでは、、、とも思いつつ、この中学年代、自ら顧みるにしても微妙な心模様のステージだね。

「映画 鈴木先生」の評価メモ
【自己満足度】=★★★☆☆
【お勧め度】=★★★☆☆

2013年2月11日月曜日

ジョージ・ジョーンズ

為替相場、円安に転じているものの、ジョージ・ジョーンズ(George Jones)のコンピレーション・4枚組みCDセットは1,000円未満、つい購入してしまい聴き始める。7つのクラシック・アルバムと、いくつかのボーナス・トラック&シングルでからなり、1950年代後期から1960年代初頭の録音。ヒルビリーからカントリーへの流れの時代であったか、妙に懐かしく心地よいサウンドで悦に入ってしまった。オプリもの、ヒット・パレードとしてレオン・ペイン(Leon Payne)らVAトラックも多々あるのも楽しみ、かつ、あらためてお買い得感。
主役のジョージ・ジョーンズは、何と言っても、粋で男気なホンキー・トンク節が魅力。しかも、ハンク・ウィリアムスへのトリビュート盤、カントリー・ゴスペル盤も収録されていて、この間の傾聴分野にフィットし大満足。レオン・ペイン「アイ・ラブ・ユー・ビコーズジョニー・キャッシュ(Johnny Cash)の「アイ・ウォーク・ザ・ライン」レイ・プライス(Ray Price)の「ハートエイクス・バイ・ザ・ナンバー」等々、今にしても「カントリー・スタンダード」といえる楽曲群の歌唱も好きだな。

2013年2月8日金曜日

「みなさん、さようなら」

「みなさん、さようなら」(中村義洋監督)、キヤッチは「一生、団地お中だけで生きていく。そう決めた少年の、20年間の物語」、確かにその通りであった。これも原作はコンテンポラリーの小説、ここ何年も原作をおさらいする観方はしていないが、妙に相性のよい中村監督と主演の濱田岳のバランス感に不満はなかった。原作はさておき、特異な味と香りを醸す濱田少年への「あて書き」シナリオをもって成り立った映画というのが感想。
原作の持ち味なのだろうが、そこも確かに「内向き」な日本社会の現在が表出されている。シナリオ構造の帰結が、カタルシスに昇華しないのは凡庸か、非凡か。エレファントカシマシの歌唱はフィットする。
そういえば、邦題が同じアカデミー賞外国語映画賞のカナダ映画もあったね。

「みなさん、さようなら」の評価メモ
【自己満足度】=★★★☆☆
【お勧め度】=★★☆☆☆

2013年2月4日月曜日

ルーツをたどり、レスリー・リドルへ

渉歴のいきがかりで、『ロックを生んだアメリカ南部 ルーツ・ミュージックの文化的背景』(著者・ジェームズ・M・バーダマン、村田薫両氏)も読み通す。アメリカン・ルーツ・ミュージックを説いた本邦の書籍としては、私のひっかかりに丁寧に答えていただいた内容と満足してしまった。タイトルにあるロックとは、エルヴィスとディランに収斂させたキャッチな論考で、実際には「ロックを生んだ」の部分を削った書名が相当と受け止められる。個人的には、ほぼこの2年くらいの嗜好音盤に即して、①スピリチュアルとゴスペルを巡る黒人、白人それぞれの成り立ちと交歓の様子②アパラチアに根付いたバラッドの特性―等の周辺解説には納得。南北戦争後の歴史経過と地勢を踏まえた、ミシシッピ・デルタでのブルース、ニューオリンズでのジャズ誕生の描出然りである。
この書籍の論考が有益と感じたのは、読者は日本人と想定された噛み砕いた記述、共著者がジャンル音楽の専門家ではないゼネラルな人文学者、かつ一人は同地の出身であることで、キリスト教各派の成り立ちや人種や階層構成といった文化的背景を語るバックボーンが確かなことによる。
そう、カントリー・ミュージックのルーツ、カーター・ファミリーの音楽には、歌集めやギター・テクニックの手本として黒人のギター弾き、レスリー・リドル(Lesley Riddle)の貢献が大きいのでした。手持ち文献を参照してみると、レスリー、隻脚でつま弾く手指も2本失っていることに、あらためて驚く。深南部でないとはいえA.P.、カーター・ファミリーとレスリーの人間関係も。

『ロックを生んだアメリカ南部 ルーツ・ミュージックの文化的背景』の評価メモ
【自己満足度】=★★★★★
【お勧め度】=★★★★★
※これも新刊でなく、2006年の出版。

◆追記◆
♪ジョン・ヘンリー(2014/11/03)

2013年1月31日木曜日

「つやのよる」

「つやのよる」(行定勲監督)、「ある愛に関わった、女たちの物語」っていうのは副題なのかな。日陰の淫靡な性愛世界、いかにも日本文学といった原作が素材で、リズム、テンポっていうか、間の定め方をはじめ、行定監督の力量が存分に発揮された仕上がり。副題の通り、女優の面々を観る映画でもあったものの、メーンの阿部寛に加えて、岸谷五朗の役もインパクトが強かった。
かといって、オムニバス構造の帰結がカタルシスを呼び起こすことはなく、一般受けする映画でないことも確か。
作家性の高い監督としては、コンスタントに作品を発表している行定監督。見過ごしも多々あるので、近作はおさらいしてみようか。

「つやのよる」の評価メモ
【自己満足度】=★★★☆☆
【お勧め度】=★★☆☆☆
⇒大作ものに満足できない映画ファンにはプラス★

2013年1月28日月曜日

《明治演劇史》も読む

『明治演劇史』(著者・渡辺保氏、2012・11)も朝日新聞の書評掲載直前に読了(日経はしばらくく前に載っていた)。この書が史論として成り立つのは、著者がエピローグで提示しているように、①急激な近代化②強く推し進められた天皇制③三度にわたる戦争の体験―の3の視座をもって明治の演劇が説かれる姿勢が貫かれていることによる。3つの視座はそれぞれ、政治史のテーマであること、演劇芸能とその関わりが明朗に描写されていることに、あらためて目を開かせられる。
歌舞伎の九代目・市川団十郎、人形浄瑠璃の摂津大掾、あるいは、新演劇の川上音二郎といったキーパーソンへのフォーカス、あるいは新しい演劇の胎動や「能楽」誕生の描写も興味深く読めた。「壮士芝居」程度の認識だった川上音二郎の人物像と生き様に接近できたのは、今回が初めてだったかも。あたりまえのことだが、この時代、動画・記録映像は残されていなく、劇評をはじめとした文字アーカーブと写真、著者の観劇キャリアを基に史論が組まれている。メディア機能に大きな役割を果たした演劇、このあと、映画が隆盛する時代に突入する時代についても、演劇・映画史論を聴きたいとも思った。

『明治演劇史』の評価メモ
【自己満足度】=★★★★☆
【お勧め度】=★★★☆☆

2013年1月19日土曜日

《昭和演劇大全集》を読む

『昭和演劇大全集』(2012・12)を読み通してしまって、ひとしきりの満足。2007年4月から2年ほど、NHK‐BSによる同名の舞台放映番組の案内人、渡辺保高泉淳子の両氏による対談採録・編集本である。概ね、高泉氏が聞き手役として、放映する演劇の解題とその歴史背景に関する渡辺氏の発言、問答が毎回30分程度収録されていた。その対談が妙に面白くて、当初は観たい演目だけチェックしていたが、結局はほとんどを録画して視聴することに。
映画に軸足がある人間の私は、都会文化?身体性とライブ感の優位?など、演劇人とその文化には妙なコンプレックスを感じていただけに、史的視座から演劇を学ぶ機会を与えてくれた示唆に富む対談、よい番組であったと思う。
あらためて、個人的な面白さの度合いは、ほぼ同世代で地方出身者いった高泉氏との共通基盤が多いことによる共鳴によるもの。東宝で演劇製作を仕事にしていたキャリアにもまして、古典劇・現代劇、双方に関する知見が厚く、批評眼と批評言質が確かな渡辺氏の率直な言葉によってまた増幅された。演劇には、まだまだ評論が成り立っているんだとも思ったりも。本当は、渡辺氏の『明治演劇史』が刊行されたと知り、書店でみつけて合わせて購入、昭和を先に読んでしまった次第。
あと、舞台上演やTV中継の映像化・保存という技術革新過程での経緯。そう、TV放送開始しばらくは確かに劇場中継が多かったような記憶がかすかにあるな。録画テープが比較的安価にな1980年前後までは、せっかくの放映は行われていても安定して保存を残すことができなかったなんて、、、今は昔、隔世の感、、、、。惜しいに尽きる。一方で、NHKも2011年度の放送波・番組再編で、舞台・芝居物が著しく減少しているのも残念。

『昭和演劇大全集』の評価メモ
【自己満足度】=★★★★★
※対談を読んで、また、舞台を観たいという気にもなるが、さて、録画ストックはすべてビデオテープ。デジタル化、ディスクに慣れた現在は、ちよっとセッテイングなど腰が重いが、、、。
【お勧め度】=★★★★☆
※昭和の映画をある程度好んで観ている方には、お勧め。戯曲や原作文学の同根、舞台の映画化など共通演目はもちろん、映画でも活躍した多くの役者の出自とバックボーンが見えてきますし。


2013年1月12日土曜日

《ロバート・ジョンソンを読む》


『ミシシッピ・ブルース・トレイル ブルース街道を巡る旅』と一緒に購入してしまったのが、『RL―ロバート・ジョンスンを読む アメリカ南部が生んだブルース超人』(著者・日暮泰文氏)。元来、ブルースはレコードで聴いていなく、ロバート・ジョンソン(Robert Johnson)もコンプリート版CDは、とりあえず置いてある程度だったので、2年近く前の初刷発売時には、敷居が高かったのは確か。
今回手にしてみて、志を持ったカントリー・ブルース傾聴へのアプローチとして、そこからモダンなブルースへの飛翔が学習できたのが大きな成果。RLの評伝や全曲解説に、Pヴァイン創業などの著者のキャリアと才気が表れているが、基礎資料と想像力を基に構成された小説風の足跡再現は、楽しい読み物であった。ニューポート・フォーク・フェスティバルへの主演!!!等が活写されるなんてである。とりわけ、「クロスロード伝説」を巡る濃厚な論考では、ロマンに陥ることなくディテールの積み重ねで伝説の成り立つ可能性を示唆してくれていることに好感し共感した。
メンフィスからジャクソンにかけてのデルタ地方「RLランブリン・マップ」も収載、現地歩きの叙述は、一般旅行本である『ミシシッピ・ブルース・トレイル ブルース街道を巡る旅』と対極。ミシシッピ・ブルース・トレイルは良きつけ悪しきにつけ、あくまで観光振興の文化プロジェクトであったなど、両方読んでみて感じる部分に意味を見つけることもできた。

『RL―ロバート・ジョンスンを読む アメリカ南部が生んだブルース超人』の評価メモ
【自己満足度】=★★★★★
※RL生誕100年にあたる2011年の出版で、新刊ではないですが。

2013年1月9日水曜日

《ミシシッピ・ブルース・トレイル》

新年、カントリー・ブルース志向を意識してすぐ、書店店頭で『ミシシッピ・ブルース・トレイル ブルース街道を巡る旅』(著者・桑田英彦氏、2012・09)に遭遇してしまう。これは啓示と、購入して途中まで読んでいた洋書を横に置いて流し読みを始める。ミシシッピゆかりのブルースマンにまつわるマーカー(記念碑)設置を担う現地の財団による文化プロジェクトの名称が「ミシシッピ・ブルース・トレイル」なのだそう。このマーカーをたどった文字通りの音楽の旅本で、写真がふんだんのビジョアルが楽しく、やはり、土地に暮らす人となりまでがインスパイアされるイメージに触れてこそ、その音楽に関する理解も深まると納得する。
音楽雑誌の編集者・ライターとしてキャリア豊富な桑田氏の知見には興味をそそられる部分が多い。ロバート・ジョンソン(Robert Johnson)の、悪魔と取り引きでギターの技術を得たといういわゆる「クロスロード伝説」とその場所、そして彼の「三つの墓」など然りである。ミシシッピ州のデルタ地方が中心であるがもちろん、隣接するメンフィス、ニューオーリンズ、あるいはブルースマンにとどまらず、ボ・ディドリー、アイク・ターナー、エルヴィス・プレスリー、サム・クックといったゆかりの面々も言及され、あらためて、大都会ではないこの土地に由来する音楽の豊かさに驚くばかりだ。実際にはなかなか出かけられないだけに、ひたれる紙上旅。インターネット優位なITの浸透に伴う出版苦境にあって、この書籍の体裁には、まだ魅力を感じた。

『ミシシッピ・ブルース・トレイル ブルース街道を巡る旅』の評価メモ
【自己満足度】=★★★★☆
※広域地図とマッピングの掲載、写真説明の情報量を多くして欲しかったとの希望はあり
【お勧め度】=★★★★☆
※コアなブルースマニアではないアメリカ音楽やロックの愛好家の関心とリンクするとも思うが、一般の邦人ブルースファンはどう感じるか、興味のあるところ。

2013年1月5日土曜日

♪ロック・オブ・エイジズ

新年早々、タイトルに誘引されて入手した『When I Lay My Burden Down』という、フレッド・マクダウェル(Fred McDowell)、ファリー・ルイス(Furry Lewis)、ロバート・ウィルキンス(Robert Wilkins)、3人のブルースマンによるCDをかけ流していたら、ロバート・ウィルキンス「ロック・オブ・エイジズ」に反応してしまった。旋律はウディ・ガスリー(Woody Guthrie)の新しい詩作で知られている「わが祖国(This Land Is Your Land)」、歌っている歌詞が違うんで、タイトルも見ると「ロック・オブ・エイジズ」。ここで?、この表題から想像されるのは、大概の日本人でも耳に馴染んでいる英国産の讃美歌206番「ちとせの岩」、カントリー・ゴスペルとしてもよく歌われているよう。これとは旋律は別だが、確かに、と「~ロック・オブ・エイジズ~」との歌詞は含まれている。
同時進行で思い出したのが、ウディ・ガスリーは確か、カーター・ファミリー「ホエン・ザ・ワールズ・オン・ファイア」の旋律をベースにしていたということ。ロバート・ウィルキンスはカーター・ファミリーの歌詞を歌っているのかとも思うが、いまひとつ、はっきり聞き取れない部分も。
若干調べて分かったのは、この旋律も讃美歌由来。思い返して、このCDアルバムのジャンル・コンセプトは「カントリー・ブルース」。以前、「ゴスペルを巡るブラックとホワイト」(2012/02/09)でメモった疑問に答える端緒がここにあるよう。「ドント・フォゲット・ディス・ソング」(2012/10/08)で記したグラフィック・ストーリー本『the Carter Family : Don't Forget This Song 』でも、カーター・ファミリーの面々と黒人音楽家との交流も実感できたし。
本年の大きなテーマは「カントリー・ブルース」か。ロバート・ウィルキンスは、マクダウェルからストーンズを経て波及したスピリチュアル「ユー・ガッタ・ムーブ」の録音もあるみたいだし。そう、スピリチュアル、ヒムの歌詞の聞き取り、読み取り(読解)も勉強せねば、である。

◆追記◆
そういえば、「ロック・オブ・エイジズ」と同タイトルのミュージカルの映画化版が、結構最近公開されていたな。見逃し。ロック・パフォーマンスとしてはマイ・フェイバリットのザ・バンド(The Band)のアルバム(1972年)にもあった。これも未コレクションだが。表層の掛詞でつながっているこの3点、それぞれ、深層のつながりはないんだろうなと推測しつつ、追記2点の鑑賞も追々ということで。