2014年8月28日木曜日

『時代は変る』のだが、、、

ボブ・ディラン(Bob Dylan)のブートレッグ系を聴きなが、待てよと、十代から『グレイテスト・ヒッツ』とか『傑作』(1978年)などのコンピレーション・アルバムやライブ音盤が中心の鑑賞だったのが、手元にスタジオ録音のオリジナル・アルバムはほとんどなかったと反省。先だって「ノー・ディレクション・ホーム」(マーティン・スコセッシ監督、2005)を観直して、気になっていた「ウィズ・ゴッド・オン・アワ・サイド(神が味方)」「オンリー・ア・ポーン・イン・ゼア・ゲーム(しがない歩兵)」が収載されていることもあり、『時代は変る』(1964年)を調達して聴き入ってしまった。
経時的には間もなく、トピカル・ソングから離れること公言するに至るディランであるが、両曲には自らの思考とは切り離せない詩作の才と立ち位置が見てとれる。50年を経てグローバルから伝わる紛争・事件を前にして、色褪せていないと思った所以。後のパフォーマンス、録音はあっただろうか。ただ、「神が味方」のメロディーは、アイルトランド人のソングライター・作家、ドミニク・ビーハン(Dominic Behan)作の「ザ・パトリオット・ゲーム」の旋律で、その旋律自体、大ブリテン島にルーツがあるという。この辺りのクレジット問題、もっと掘り起こされてよいようにも感じるが。
アルバム表題と同じ「ザ・タイムズ・ゼイ・アー・アチェンジン(時代は変る)」が封切りで、4曲目の「ワン・トゥー・メニ・モーニングス(いつもの朝に)」は基本的に同じ旋律で歌われる。内容と表現スタイルは陰陽をなしているものの。このアルバムはギターとハーモニカの自演、10曲の構成にして思い切りある試みだ。
「時代は変る」ディランが大ブリテン島ルーツに言及していた記憶があってような、さて、「しがない歩兵」の方はどうなのか、ライナー・ノーツなど明確な記述は見当たらなかったなぁ。
音楽曲としては10トラックで構成されたアルバムではあるが、一人称を基本として率直に自分を語り、個人的心象あるいは固有名詞を含む象徴的なイメージもちりばめられた、饒舌で冗長な11番目の詞「アウトラインド・エピタフス(あらましな墓碑銘)」が付帯していたことを、今回、アルバムを手にして初めて知った。これ向き合ってみると、色が付いた副次的な情報よりストレートにディランが理解できてくるような気にはなる。古いサウンド・言葉をつむいでルールにとらわれずに新しい歌を作っているのだとか。

◆参考◆
ドミニク・ビーハンに敬意を!YouTubeから引用、紹介です。神が味方へと連なる系統、ディランは1963年初頭の渡英で得たインスパイアか、あるいはグリニッジ・ヴィレッジにてクランシー・ボーイズ(The Clancy Brothers)経由か。


◆追記◆
29日には、ブートレッグ・シリーズ第11弾の発売決定のお知らせメールが届く。例の1966年に遭遇したバイク事故後の隠遁期、ビッグ・ピンクでのザ・バンド(The Band)とのセッションで『地下室(ザ・ベースメント・テープス)』(1975年)に収載されていない“公式”音源集ということで興味津々であるが、CD6枚+のデラックス・エディションに手が届くか。国内盤は11月中旬の発売予定だそう、よーく考えてみるか。

◆過去のメモ◆
ディランの♪フェアウェル(2014/06/01)
※楽曲「時代は変る」のルーツ関係で、
ボブ・ディランのコンスタント・ソロウ(2014/02/28)
ヒー・ワズ・ア・フレンド・オブ・マイン(2014/07/23)

2014年8月27日水曜日

「プロミスト・ランド」

米国では2012年12月の公開だそうだが、本邦ではやや遅ればせながらの「プロミスト・ランド」(ガス・ヴァン・サント監督)。技術革新により採掘・利用が可能な域に達してきた化石燃料の採掘権取得を巡り、米国中西部にはよくありそうな田舎町を舞台に巨大エネルギー会社のミッション成就に精を出す企業マンを核としたヒューマン・ドラマ。環境負荷ってきちん評価されているの、住民の生業である畜産・農業が直面する現況は厳しく「最後は金目」でほだされて、行く末は、、、と、いわゆる「シェールガス革命」の内実を見詰め直す材料を提供している社会派劇といってもよいが、必ずしも告発といったトーンには至っていない。この系統の映画が普通につくられてしまうことが、やはり米国の凄さか。
わが国ならどんなシュチュエーション?、中間貯蔵施設とか、そうそう、妙に原子力発電所関連を巡る地域事情とその歴史を連想させられてしまった。原発っていう素材じゃなくても、日本ではこんなコンセプトで撮ろうとする映画人はいなくなってしまったのだろうかとも考えてしまった。
田舎町だけにカントリー・ミュージックをもっと期待していたんでけど、演出なんでしょうがフランシス・マクドーマンドの歌唱とかねぇ、残念でした。

「プロミスト・ランド」の評価メモ
【自己満足度】=★★★☆☆
【お勧め度】=★★★☆☆

2014年8月23日土曜日

「めぐり逢わせのお弁当」

インド映画を観ながらいつも感じるのは、現実日常会話にもこんなに英語が混淆(チャンポン)しているのーってこと。舞台はムンバイ(私世代ではボンベイ)のか、「めぐり逢わせのお弁当」(リテーシュ・バトラ監督)は最近、本邦で公開されるインド映画にしてはめずらしくダンスのない(音楽はあるけど)、近代化あるいは産業社会化(インダストリアリゼーション)の狭間で幸福感を自問せざるをえなくなる、市井を写し撮ったよくできたヒューマン・ドラマであった。カセット・テープで聞く映画音楽の愛好者で、悩めるヒロインの弁当クッキングの指南役である「おばさん」は声のみのキャスト。而して、ヒロインと弁当が誤配送された先の会社勤めから引退間近のやもめ初老男とのシリアス基調の手紙交換を軸に、伏線は彼の後継となるらしい、自称「孤児」でつかみどころのない青年の狂言回しが塩梅至極のスパイス。ほとんど、この3人の描写あるいは掛け合いで構成されたプロットとその演出・編集に妙が見て取れる。
シナリオの法則というか、男女のすれ違い重ねで「切なさへの収斂」が予感される展開は、どこに落ち着くのか?興味はつながれるが、おそらくは鑑賞者のモチベーションに委ねられる。
一般論として、幸福感を見詰め直すようになれるのは社会が成熟を希求し始めた兆しとして好ましく思う。わが国ではどうなんだ。グローバールな経済社会でローカル各地のテイク・オフには、どんなランディングの諸相があるのかと。

「めぐり逢わせのお弁当」の評価メモ
【自己満足度】=★★★★☆
【お勧め度】=★★★★☆

2014年8月20日水曜日

♪リング・オブ・ファイアーつながりてアニマルズへ

ジョニー・キャッシュ(Johnny Cash)の評伝本『Johnny Cash : The Biography』(著作・Michael Streissguth氏)がらみて「リング・オブ・ファイアー」を調べていると、アニマルズ(The Animals)バージョンがあることに気づく。アニマルズ、とりわけエリック・バードン(Eric Burdon)のボーカルに心酔いていた友人の遺品を掘り起こしてみると、1968年の録音で聴くことができた。最近聴いてなかったけど、もともと好みのブリティシュ・インベンションの雄、CD2枚組のコンプリート・コンピレーション盤へと進む。やっぱ、サウンド、クールだね。
「ザ・ハウス・オブ・ザ・ライジング・サン(朝日のあたる家)」は、キーボードのアラン・プライス(Alan Price)となっているなど、やっぱり楽曲のクレジットが気になるなぁ。ボブ・ディラン(Bob Dylan)のファースト・アルバムより2年遅れの1964年の録音で、ちょうど渡英していたディランをかえって鼓舞したロック・テイストたっぷりの味わいが魅力だが、まあ、基本的にはデイブ・ヴァン・ロンク(Dave Van Ronk)の曲調がベースなんでしょうとも。
ほか、「アイム・マッド・アゲイン」ボ・ディドリー(Bo Diddley)の「アイ・アム・ア・マン」が元歌かと思うが、クレジットはジョン・リー・フッカー(John Lee Hooker)とか。マディ・ウォーターズ(Muddy Waters)の「マニッシュ・ボーイ」はじめ派生バージョンやカバーは多々耳にするが、フッカー版は記憶にないような、、、通して、聞き飽きないことに違いはないのだが。

◆過去のメモ◆
♪リング・オブ・ファイアー(2011/12/07)
「インサイド・ルーウィン・デイヴィス」(2014/06/19)

2014年8月7日木曜日

フォルサムからクレセント・シティにもどる

思い立って、ジョニー・キャッシュ(Johnny Cash)の評伝本『Johnny Cash : The Biography』(著作・Michael Streissguth氏)を読み始める。そうか、ジョニー・キャッシュがレコード会社との契約に向けてポイントとなった楽曲「フォルサム・プリズン・ブルースって、ポピュラーなジャズ系アレンジを手がけていたゴードン・ジェンキンス(Gordon Jenkins)作の「クレセント・シティ・ブルース」が元歌だったのか。ゴードン・ジェンキンスの主要なオーケストレーションの仕事は1950年代が中心で、ナット・キング・コール(Nat King Cole)、フランク・シナトラ(Frank Sinatra)など王道ですなぁ。
別にもう少々調べてみると、ゴードン・ジェンキンスが1953年にレコード化したこの楽曲のさらなるルーツは、ブギウギ・ピアノマンのリトル・ブラザー・モンモゴメリー(Little Brother Montgomery)が1930年代に奏でた「クレセント・シティ・ブルース」の旋律にさかのぼることができるという。そこそこのジャズ・スタンダード愛好者でいたつもりであるが、「クレセント・シティ・ブルース」、スタンダードというほどには認知されていないよなぁーとか考えつつ。フォルサムもクレセント・シティもカリフォルニア州にあると思ったが、クレセント・シティはおそらくニューオーリンズの別称なのだろう。この楽曲の変遷も面白すぎ。
評伝本にもどって、列車、監獄、殺人、アウトロー、ブルーな心情など米国バラッドに特徴的に好まれる素材で編まれた「フォルサム・プリズン・ブルース」の歌詞には、ジミー・ロジャース(Jimmie Rodgers)の「ブルー・ヨーデルNo. 1 (T・フォー・テキサス)」を下敷きした部分もあるとも。
ジョニー・キャッシュ、実際にフォルサム刑務所等でのライブを行い、それらの音盤化でキャリアの中興を築くわけだから(カントリー・レジェンド、2013/06/24フォルサム・プリズンのレジェンドといえば、2013/06/26)、この曲のなおさら意義深さに想い入ってしまう。

◆参考◆
「クレセント・シティ・ブルース」、YouTubeから引用、紹介です。


◆余談◆
「クレセント・シティ・ブルース」と同じように意外とスタンダードではない楽曲で思い出したのは、「マレフィセント」(ロバート・ストロンバーグ監督)でエンディング・テーマで採用されていた「ワンス・アポン・ア・ドリーム」。もちろん、アニメーション版「眠れる森の美女」(1959)の主題歌のカバーであるが、例えば、「白雪姫」(1937)の「いつか王子様が」ほどには受け入れられていないよね。「ワンス・アポン・ア・ドリーム」のムーディなオールド・ファッション、私は好きです。作詞・作曲者はそれぞれクレジットされているわけだが、アニメ版はチャイコフスキーのバレエ音楽をベースにしており、この楽曲のその一編をなすワルツ(いわゆる、ガーランド・ワルツ)がモチーフ。「マレフィセント」、特にコメントはないけど、「眠れる森の美女」は見直したくはなる。

2014年8月2日土曜日

♪スペイン革のブーツ、ってバリアントも

♪ヒー・ワズ・ア・フレンド・オブ・マイン(2014/07/23)のタイトル曲、「パス・オブ・ヴィクトリー」の流れできて再会、ボブ・ディラン(Bob Dylan)のブートレッグ・シリーズ第9集は『ザ・ウィットマーク・デモ』(2010年)には、「ガール・フロム・ザ・ノース・カントリー(北国の少女)」「ブーツ・オブ・スパニッシュ・レザー(スペイン革のブーツ)」が続きで収録されており、血縁性がむべに把握できる(ディランの♪フェアウェル、2014/06/01)。
「スペイン革のブーツ」の詩作は、ディランがニューヨークで出会ったミューズであるスージー・ロトロの渡欧というパーソナルなイベントとトラディショナル・フォークの「ブラック・ジャック・デヴィッド(またはデヴィー)」のヒントが化学反応したものであったか。これが本邦においては松本隆氏によって「木綿のハンカチーフ」に編み直されるとは面白すぎ。ディランにバリアント創作のきっかけを与えたマーティン・カーシー(Martin Carthy)版の「スカボロー・フェア」、そろそろ聴いてみるか。

◆参考◆
YouTubeから引用、紹介です。

◆追記◆
11月だったかなBS‐TBSの番組「SONG TO SOUL One piece of  the eternity―永遠の一曲」で取り上げられたサイモン&ガーファンクル(Simon & Garfunkel)の「スカボロー・フェア/詠唱」の回(たぶん再放送)を拝見。マーティン・カーシーもコメントを述べ、「スカボロー・フェア」の演奏も披露していた。マーティンの功績は、伝統のバラッド「エルフィンナイト」のバリアントの一つにギターによる伴奏を付けた旨の解説で、イワン・マッコール(Ewan MacColl)だったか無伴奏のレコードも流されていた。なるほどね。等々、英国でのバラッド研究者らの話は、あまりにも興味深い内容で一言一句、検討してみたくなる。マーティンによると、「北国の少女」ディランによる「アレンジ」の範疇として語っていたようだが、メロディーの由来については語っていなかったと受け止めたが、いかがなものか。(2014/12/02)