2013年7月31日水曜日

♪ルーベン・ジェームズ

ピート・シーガー(Pete Seeger)の廉価版コンピレーションCDをかけ流していたら、トラディショナルのオールマナク・シンガーズ(The Almanac Singers)アレンジとのクレジットで「ザ・シンキング・オブ・ザ・ルーベン・ジェームズ」。確かにアレンジが入っているものの、旋律は「ワイルドウッド・フラワー」だな。どうもルーベン・ジェームズという軍艦の沈没を唄っているらしいが。例えばバラッドによくある鉄道事故のような米国人の心に響く物語歌なのか、固有名詞に心覚えがないだけに歌詞の含蓄と温度が気にかかるところ。
少し調べてみると、やはり、知られた旋律にのせてバラッド、ストーリーを語るのはウディ・ガスリー(Woody Guthrie)の十八番、この歌詞もウディのもののようであった。ピートの歌唱自体、ウディ参加?のオールマナク・シンガーズ、米国軍艦が初めてドイツ潜水艦に沈められたという、第二次大戦中の事件、1940年代初期の録音なのかな?

2013年7月25日木曜日

♪マン・オブ・コンスタント・ソロウ

『アメリカン・ルーツ・ミュージック ディスクでたどるアメリカ音楽史』(著者・奥和弘氏)に触発されて、手持ちCDのニューポート・フォーク・フェスを聴き直したくなり、1960年盤から。やぱり、ニュー・ロスト・シティ・ランブラーズ(The New Lost City Ramblers)、よい感じ、もうちょい聴きたい。課題①。初回の1959年盤には、もっと収録されていたか。
盤中、マイク・シーガー(Mike Seeger)の単独クレジットになっているが、「ザ・マン・オブ・コンスタント・ソロウ」を再発見。うまい歌唱ではないがシンプルでグッドな別れ歌。そういえば、ボブ・ディラン(Bob Dylan)も、ほぼ同時期のデビュー・アルバム(1962年)でカバーしていたな。ディランはスタンリー・ブラザーズ(The Stanley Brothers)好きなだけに,、その流れか。
この曲、コーエン兄弟の「オー・ブラザー!」(2000)でクローズ・アップされた印象が強い(2013/05/10)が、中興の時期ってことかな。その後のその他バージョンは、ほぼ思い当たらず。課題②である(ヒント『アンソロジー・オブ・アメリカン・フォーク・ミュージック』、2014/09/28)。

◆追記◆
ボブ・ディランのパフォーマンスを『ノー・ディレクション・ホーム:サウンドトラック(ザ・ブートレッグ・シリーズ第7集)』(2005年)を引っ張り出して聴いてみる。収録は1963年のTV出演時のもの、デビュー・アルバムと同じスタイルで、ギターとハーモニカ、やはり、ディラン臭の強い演奏であった。ハーモニカの抑揚と独特の節回しに懐かしさというようりも、フォーク・リバイバルとして新しい音楽の胎動のワクワク感がよみがえる。
その後、探索してみて、歌詞の言い換えといったバージョン・チューニングはあるものの、ディランのちょっと前かほぼ同時期には、ジョーン・バエズ(Joan Baez)、ジュディ・コリンズ(Judy Collins)、PPM(Peter, Paul and Mary)らの録音があることも分かった。してみると、フォーク・リバイバルを象徴する楽曲の一つといえるのかも。

2013年7月21日日曜日

「フィギュアなあなた」

考えてみるに、石井隆作品とのおつきあいは40年近くになるのか。映画化作品は、まず、ロングランは考えられないだけに、ぽつぽつ見逃しもあったりして、久々に「フィギュアなあなた」をのぞき観る。新宿の空気感、都会に埋もれて暮らす人間に宿す淫猥、あるいは淫靡なノスタルジーと暴力、破滅を予感させる妄想、その妄想力で増幅するメロウな性愛感覚がストレートに映像化。その世界観の描出は、劇画よりも映画であればこその自在、紛れもなく石井隆そのもの。柄本佑、佐々木心音とも、その世界にピタリとはまり込んでいた。
以前の映画作品で、ラジオから流れてくる(?だったと思う)「テネシー・ワルツ」が印象的だったものがあるが、今回は「ラブ・ミー・テンダー」っていうか、「オーラ・リー」。ほとんどテーマ的に使われていて、やはり叙情に満ちた旋律が石井隆世界の彩りとなる。「オーラ・リー」自体、南北戦争当時の曲と記憶していたが、日本語歌詞が付された歌唱がサウンド・トラックにあって、凝った印象、この歌詞も石井監督が自ら書き下ろしたものだったかな。歌い手はだれだった??

「フィギュアなあなた」の評価メモ
【自己満足度】=★★★★☆
【お勧め度】=★★☆☆☆
※淫靡な妄想世界は他人には勧め難いものである。

2013年7月18日木曜日

ソングスター!?だったのか。

奥和弘氏の『アメリカン・ルーツ・ミュージック ディスクでたどるアメリカ音楽史』で、的を射たコンセプトを教えていただたのが「ソングスター」。奴隷解放による黒人の流動化を経てブルースが成立する以前のこと、概ね19世紀末までは、意外(?)にも白人と黒人に音楽の隔たりは際立っていなくて、フォーク、バラッド、ミンストレル、あるいはゴスペルなど共通のレパートリー(コモンストック)が相互に担われていて、その歌い手を指す語彙なのだそう。ミシシッピ・ジョン・ハート(Mississippi John Hurt)、レッドベリー(Leaddbelly)らはこの系譜の末裔に当たるという。なるほど、確かにスッキリした気になる。
あるいは、この間聴いてきた、ファリー・ルイス(Furry Lewis)、ロバート・ウィルキンス(Robert Wilkins)、ブラック・エース(Black Ace)、あるいは、フレッド・マクダウェル(Fred McDowell)も含めたカントリー・ブルース・ジャンルは、かぶっているなぁとよぎる。件の「ホエン・アイ・レイ・マイ・バーデン・ダウン」「グローリー、グローリー」「サークル・ビー・アンブロークン」とバリエーションが広がった源の様相が少し見えた気もする。白人、黒人ともに歌われるゴスペルでは、やはり「ファザー・アロング」、確かにソングスター・コモンストックとしてフィットすると思う。

2013年7月14日日曜日

再び、ボブ・ディランとジョニー・キャッシュ

『Johnny Cash At San Quentin』(legacy edition)では、ボブ・ディラン(Bob Dylan)作という「ウォンテッド・マン」も象徴的。地味なりに耳に馴染んだ曲調、元歌があるのかと思いを巡らせられながら、ディラン歌唱は聴いた記憶がなく、『At Folsom Prison』はもとより、ジョニー・キャッシュ(Johnny Cash )の手持ちディスクにも、別バージョンはないと思っていて。これも少々調べてみたい欲動がうずいているが、、、

◆追記◆
ボブ・ディランのオフィシャル・ウェブ「bobdylan.com」を知ったので、楽曲で「ウォンテッド・マン」を引いてみると、自身の公式録音はないことが判明。おおよそジョニー・キャッシュのこれのみのようだが、、、由来・経緯は知れず。(2014/11/11)

2013年7月10日水曜日

ストリング・バンド?って、、、

先日、久々に書店へと足が向き、店頭にて『アメリカン・ルーツ・ミュージック 楽器と音楽の旅』でお世話になった奥和弘氏の新刊『アメリカン・ルーツ・ミュージック ディスクでたどるアメリカ音楽史』に遭遇、これはと得心して購入し早速ななめに通読。各種の楽器演奏に親しまれている著者ならではの嗜好が表れているというべきか、氏自身、巻頭で早々に宣言されているように、「ストリング・バンドの系譜をたどうような」ディスク選考と解説が付されているのが特長で、私ら一般邦人には新鮮な面白みのあるところ。コンテンポラリーのカントリー・ミュージックからは遠く、ブルーグラスはライン上といった感じか。
とはいっても、ボブ・ディラン評価には共通の認識を感じたり、最近思い起こしたウディ・ガスリーの「トム・ジョード」(2013/03/24)につながる、ブルース・スプリングスティーンの関連アルバム(1995年)を教えていただいたりと、私のツボを刺激する論説が多々。ルーツ巡りの旅、まだまだ、未踏の領域が広すぎると圧倒されてしまう。とりあえず、この書籍、あらためて精読へ。

『アメリカン・ルーツ・ミュージック ディスクでたどるアメリカ音楽史』の評価メモ
【自己満足度】=★★★★☆
【お勧め度】=★★★★☆
※とはいっても、一般の邦人洋楽ファンはどう受け止めるか、やや難しく、興味のあるところ。