2015年6月27日土曜日

♪朝日のあたる家

今週放映分のBS‐TBSの番組「SONG TO SOUL One piece of  the eternity―永遠の一曲」で、「朝日のあたる家」(ハウス・オブ・ライジング・サン)を拝見。過去のメモをさかのぼって、♪連れてってよ(2014/09/13)♪リング・オブ・ファイアーつながりてアニマルズへ(2014/08/20)「インサイド・ルーウィン・デイヴィス」(2014/06/19)といった、流れできていて、ジ・アニマル(The Animals)のヒット録音を軸に、先に録音していたボブ・ディラン、彼らに影響を与えたであろう、ジョシュ・ホワイト(Josh White)とデイブ・ヴァン・ロンク(Dave van Ronk)とのバージョンから読解を進めた論考は、わが意にフィットしていた。しかしながら、ジョシュ・ホワイトデイブ・ヴァン・ロンクとの関連性について言及していないのは説明不足が否めない。
別途、アニマルズのギタリスト、ヒルトン・バレンタイン(Hilton Valentine)のインタビュー証言で、ベースのチャス・チャンドラー(Chas Chandler)が持っていたデイランのファーストアルバムをメンバーで聴いて、チャック・ベリーの前座ライブ用に、「朝日のあたる家」をフィーチャーしたという件は、初耳だな。記憶にあるエリック・バードン(Eric Burdon)の発言とは違っているように思うが。その時点でアルバムを所有していたこと自体が驚きでもあるし。どうなんだ。とりあえず、メモる。
米国での「ライジング・サン・ブルース」としての歴史も検証、レッドベリー(Leadbelly)録音が2通りあることも解説してほしかった。さらなるオリジンはブリテンに戻って、17世紀の「マティ・グローブス」が元歌という説の紹介は勉強になった。。共通するコンセプトは教訓語りということか。「マッティ・グローブス」の録音も聴いてみよう。

◆追記◆
「ライジング・サン・ブルース」の最も古い録音の一つとして、祖父から教わったというクラレンス・アシュレイ(Clarence Ashley)の1933年のものを紹介していた。そういえば、クラレンス・アシュレイはリバイバル期の1960年代初頭、ドク・ワトソン(Doc Watoson)とのジョイントなどでも歌っていな、と思い出して、ライブ音源のコンピレーションCDを取り出してみるが、廉価盤なるゆえか未収録となっていた。残念。アシュレイのパフォーマンスもよいね。

2015年6月11日木曜日

「国際市場で逢いましょう」

ポツダム宣言を受け入れて戦後70年の節目という表現をよく耳にするようになった。而して朝鮮半島では日本の統治から解き放たれて朝鮮戦争という悲劇を経験、かりそめの休戦協定が1953年なのだというから、韓国の「戦後」はハンディキャップもあり随分と、わが国とは異なる歩みであったことだろうと認識し直す。
ユン・ジェギュン監督の「国際市場で逢いましょう」。確か、かつて日系の一大化学肥料工場などで工業都市として栄えた、日本海に面した現在の北朝鮮の支配地から戦火に追われ釜山まで逃げてきた男の一代記、時系列を行き来する目線を通した大河ドラマ仕立ての現代史と言っていい。戦乱に伴う家族離散の悲劇、西独の炭鉱へと多くの韓国人が出稼ぎに渡った事情、韓国のベトナム戦争への参画、「家族探し」はどのようになど、その実相は容易に思いもつかないのだが、韓国的な家族愛・家長像が投影されていたり、相応世代にはコモンセンスがあるのだろう。その意味で、国外マーケットを意識した大概の韓流映画とはトーンが違い、コメディ風味など韓国ナショナル志向の演出となっている。であるから、より一層、興味を引き付けられ、彼らのコモンセンスを解き明かし読み解いてみたくなる。

「国際市場で逢いましょう」の評価メモ
【自己満足度】=★★★★☆
【お勧め度】=★★★★☆

2015年6月1日月曜日

「駆込み女と駆出し男」

チャンバラ・アクションに特化するといった、ありがちな方向ではないという意味で時代劇の復興に曙光を感じた「駆込み女と駆出し男」。脚本も手がけた原田眞人監督の職人作品としては分かりづらさもあったけど、トータルでは及第かな。駆け出し男役の大泉洋は想像の範囲で適切なキャスティング、にも増して満島ひかりと戸田恵梨香は予想外の時代ものの世俗な役柄をあてがわれた新境地のパフォーマンスで見どころとも言える。
法による統治が浸透した現代においても、男女間トラブルの解決で社会資源としてシェルターが必要とされるケースもあるのだろうが、機能において、そのルーツに比肩。網野善彦氏が歴史学の概念として着目した「アージル」の代表例としての聖域・縁切寺がドラマの舞台として浮き彫りになったのは、確かに面白かった。原作者・井上ひさしの眼力か。
しかし、縁切寺、江戸期においては、確かに幕府の意図をもって制度の枠内で設置・存続してきたわけである。その聖性なるものの如何、歴史的なアジールの実像についての関心がおおいに喚起されたこともあり。

「駆込み女と駆出し男」の評価メモ
【自己満足度】=★★★☆☆
【お勧め度】=★★★☆☆