2014年10月29日水曜日

♪ケイシー・ジョーンズ

ハリー・スミス(Harry Smith)氏編纂の『アンソロジー・オブ・アメリカン・フォーク・ミュージック』(1952年)に収載されたバラッドでトラック・ナンバー24は、ファリー・ルイス(Furry Lewis)の「Kassie Jones,Parts 1 & 2」。そうか、別のブルース・コンピレーションCDでルイス「Cacey Jones Rambli' Mind)」っていうのがあった。身を挺して乗客乗員らへの被害を軽減した行動が、わが国の塩狩峠の鉄道事故(1909年)を想起させる、1900年4月30日、米ミシシッピ州内で起きた事故。殉職してヒーローと語り継がれるイリノイ・セントラル鉄道の機関士がケイシー・ジョーンズなのだそう。ジョン・ヘンリーに比する鉄道系悲劇のヒーロー・バラッドなんだね。
調べてみると、オリジナルの歌詞の一部はケイシー・ジョーンズの知人が書いたものらしい。まさにブロードサイドのバラッド文化。トレイン・ソングを集めた別なコンピCD集なども聞き直してみて、確かに、ケイシー・ジョーンズ、さまざまに歌われているね。ここでも、さらにそうか。「フライト・トレイン・ブギ」「ケイシー・ジョーンズ」のバリアントっていことか。

2014年10月27日月曜日

♪ソリタリー・マン&♪ハート、アメリカン・シリーズから

たまたま、TV放映から録画して観た映画でジョニー・キャッシュ歌唱に続けて遭遇したので忘備メモ。ともにアメリカン・シリーズのアルバム収載からか。『アメリカンⅢ』(2000年)でアルバム・タイトルかつ楽曲名が映画タイトルに等しい「ソリタリー・マン」(ブライアン・コッペルマン&デヴィッド・レヴィーン共同監督、2009)ではオープニング・テーマとして。こちらはスティーヴン・ソダーバーグが製作にかんでいるのに対し、リック・ベンソン系のプロデュース「コロンビアーナ」(オリヴィエ・メガトン監督、2011)には、『アメリカンⅣ』(2002年)の「ハート」がエンディング・テーマとして印象的に使われていた。
前者は老いらくマイケル・ダグラスが当たり役の放蕩ダメ男もの、後者はいかにもベンソンが描いたようなセクシー女キラーの復讐譚と好みにもよるだろるが、映画の内容としては、まあ、どうでもよいような、、、受け止め方。キャッシュのアメリカン・シリーズといえば現代アンソロジーといったコンセプトなのかな。「ソリタリー・マン」のオリジナルは作者でもあるニール・ダイヤモンドが1966年に録音、「ハート」の方はインダストリアル系ロック・バンド、ナイン・インチ・ネイルズの1994年だそうである。

2014年10月9日木曜日

「ジャージー・ボーイズ」

jazzyかと思いきやJerseyであった。ファルセット・ボイスのボーカリスト、フランキー・ヴァリを擁するニュージャージー州出身のフォー・シーズンズの足跡をなぞったジュークボックス・ミュージカルの映画化をクリント・イーストウッド監督が手がけた「ジャージー・ボーイズ」。ポピュラー音楽業界には、ありそうな栄光と挫折、そしてリカバリーのドラマをハリウッド力を駆使した映像を繰り出しで飽きさせない。まさにオールディーズそのものの楽曲群の魅力と歌い踊る俳優たちの力量は確かで演出も的を射ている。そして単純なエンターテイメントにとどまらない、メンバーの独白でつなぐプロット展開とヒューマン・ドラマとしての味付けがうまい塩梅なのだと思う。ミュージカル版も同じテイストなんだろうか、機会があれば観てみたい。
ミュージカル映画範疇で「舞妓はレディ」(周防正行監督)と比較してしまうのだが、フォー・シーズンズとしての最初のヒット「シェリー」、オリジナル・チームとフランキー・ヴァリの転機を刻んだ「キャント・テイク・マイ・アイズ・オフ・ユー(君の瞳に恋してる)」の両曲のキャッチが強く、ドラマツルギーのベースとなっているのが作品魅力なんだろう。
別途、「スコッチ・アイリッシュ」を考えてきたところが、この映画でボーイズは、都市部イタリア系移民のコミュニティを土俵としていた。彼らはカトリック、イタリア語の意思疎通が挟まれたり。音楽的にはリズム・アンド・ブルース出自というよりは都会的なポップ。でも、ドゥーワップ・スタイルのコーラス曲が多いからか黒人系がカバーしても全然面白い感じで、それがこのグループの妙か。プロデューサーのボブ・クリューって人物像もちょっと気になったな。ほかにどんな仕事しているんだろうか。そうか、「バイ・バイ・ベイビー」(クレジットは「君の瞳に恋してる」に同じくボブ・ゴーディオとの共作)はベイ・シティ・ローラーズがカバーしたんだったのね。
あと、なるほど、ジョー・ペシもニュージャージー出身か。

「ジャージー・ボーイズ」」の評価メモ
【自己満足度】=★★★★☆
【お勧め度】=★★★★☆

2014年10月6日月曜日

企画に引かれて、「イン・ザ・ヒーロー」から、、、

企画に引かれて劇場鑑賞してしまった映画を2題。
ブルース・リー世代、高校中退でアクション・スターを目指したという唐沢寿明の主演を想定したかのように、特撮ジャンルのスーツ・アクター、スタントもこなすアクション系俳優らにオマージュ捧げた「イン・ザ・ヒーロー」(武正晴監督)。2010年のシネカノン経営破綻後はどうしていたの?と思っていた李鳳宇が企画、エグゼクティブ・プロデュサーを務めていた。想定内の大甘なプロットはしょうがないかと思いつつ、映画愛も認められ、遊び心も見えるコメディタッチの緩さ加減に悪い気はしなかったとの感想。もっとも、大部屋キャリアで希代の斬られ役・福本清三にあて書きしたであろう「太秦ライムライト」(落合賢監督)、西の企画に対抗するかのような、東の東映内輪ネタ。映画製作現場の内幕ものって、確かにそこそこ興味を引き付けるけど、あんまし頻発するとモチベーションも下がるし映画ファンに媚過ぎている気もするなぁ。
映画製作の内輪ネタで過去の対抗佳作、わが国の歴史的な撮影所型製作方式へのノスタルジーと哀歓を込めた「ラストシーン」(中田秀夫監督、2001)だな。
ジョージ・バーナード・ショーの戯曲「ピグマリオン」のミュージカル化「マイ・フェア・レディ」があって、1964年のミュージカル映画「マイ・フェア・レディ」(ジョージ・キューカー監督)があるわけで、率直に面白そうな企画だと思った「舞妓はレディ」(周防正行監督)。京都・花街を舞台に、周防監督はまさにシンプルな翻案に取り組んだわけで、主演の舞妓志望の若手女優も感じよかったんだけど、全体として映画の出来は凡庸だったなぁ。姐さん舞妓で地元出身の田畑智子はこのタイミングでしかない当たり役だよね。でも、キャステングの骨子が周防組で固まっているのは感心できない。内向きでなく、別なチャレンジがあってよいのでは。この映画もプロットの甘さ、演出の甘さが気になる。それにも増して楽しみ具合が薄くなるのは、ミュージカルとしての音楽の水準かな。「アナと雪の女王」とまで言わないまでにしても、刷り込まれるほどの主題旋律や単に台詞を歌うというだけではない1曲や2曲のキャチあるテーマ歌唱がほしかった。そこは妥協なく。まあ、京都好き、京都が舞台の映画なので飽きずに見通しましたが。
現代京都・花街ものの対抗娯楽作は「舞妓 Haaaan!!!」(水田伸生監督、2007)に尽きるね。

「イン・ザ・ヒーロー」の評価メモ
【自己満足度】=★★★☆☆
【お勧め度】=★★★☆☆

「舞妓はレディ」の評価メモ
【自己満足度】=★★★☆☆
【お勧め度】=★★★☆☆

2014年10月2日木曜日

スコッチ・アイリッシュと♪アメイジング・グレイス

NHKのBS放送、再放映で「大河に時は流れる ミシシッピ川 /賛美歌 アメイジング・グレースの旅路」(2002年)という番組を拝見。奴隷商人であったジョン・ニュートンが航海中にインスパイアを得て歌詞を書いたというよく知られた逸話にも増して、「アメイジング・グレイス」が黒人系、白人系それぞれの歴史的社会背景をベースに歌い継がれている重層さに驚きを新たにした。ニュートンの歌詞ではない讃美歌として同じメロディーで歌う、先住民・チェロキーの苦難の歴史は初めて知った。キリスト教や西洋化をいち早く受け入れていたのに土地を追われたとは。
作者不詳とされる「アメイジング・グレイス」のメロディーについて、19世紀前半の楽曲集収載の「セントメアリー」や「ギャラハー」との相当説を紹介。ブリテン諸島ルーツを示唆しつつアパラチア地方で代々、フォークソングを歌う家系一族のレポートでもリアルな映像が見られて面白かった。でも、ここで気になったのは「スコッチ・アイリッシュ」「スコットランド系アイルランド人」と訳していたこと。スコットランド人なのか?アイルランド人なのか??、あらためて考えてみると大いに気になる。スコットランド本国では独立の是非を巡って先月、住民投票が行われたり、わが国へのスコッチ・ウィスキー移植をリスペクトするNHKの連続テレビ小説「マッサン」が始まったりしたばかりだし。
で、少しく調べてみるに、1700年前後のイングランドの攻勢で経済的に困窮したスコットランド人の中でもより居心地が悪いプロテスタント系が北アイルランド(アルスター)へ移民し、さらに1740年代初めの飢饉で米国へと渡っっていったという説明に遭遇。また、ブリテン諸島では使われない言い回しだとも。マーダー・バラッドもスコッチ・アイリッシュの営みと関係を密であることを説く、東理夫氏の著書『アメリカは歌う。歌に秘められた、アメリカの謎』では、凶作動因を1727年、1770年を含め幅広い年代とし、移民の起点もイングランドとスコットランドの境界地区からのボーダラーズおよび北アイルランドからとニュアンスの異なる説明だった。前者は狭義ととらえることもできるが、「スコッチ・アイリッシュ」と括られる移民群の動因・心因も重層的なんだろう。アイデンティティはどんなものか?でもやっぱり、「スコットランド系アイルランド人」の表現には違和感が残っている。

◆過去のメモ◆
♪アメイジング・グレイスに共通して、(2012/02/04)

◆追記◆
再学習として『ロックを生んだアメリカ南部 ルーツ・ミュージックの文化的背景』(著者・ジェームズ・M・バーダマン、村田薫両氏)をめくり返してみると(ルーツをたどり、レスリー・リドルへ、2013/02/04)、「スコッチ・アイリッシュ」とする表現は用いていないようだ。アパラチアへの移民として「先頭を切ったのはイギリス北部やスコットランド、アイルランドから来た土地をを持たない農場労働者や職人」(後にドイツ系やスイス系も)であり「プロテスタント色がきわめて濃厚な文化」を築いたとして説明、一方、彼ら移民が住む地域への蔑みを含む「つくられたイメージ」についても解き明かしていた。なるほど、これもまた忘れてはならない視点。
◆さらなる追記◆
今月に入ってからか、BS‐TBSの番組「SONG TO SOUL One piece of  the eternity―永遠の一曲」で「アメイジング・グレイス」の回を観ることができた。フォーカスはジョン・ニュートン、アレサ・フランクリン、ジュディ・コリンズらで特段の知見があった訳ではなかったが、生うたを披露したジュディのおばあさん然には感慨。歴史的にはジョン・ニュートンの歌詞は複数の旋律で歌われていたそうで、例の「朝日のあたる家」のメロディーによるバージョンもあると紹介していた。これは初耳。ちょっと、立て込んでそれっきりだったが、また聴き直してみねば。(2014/12/22)