2013年9月30日月曜日

♪コットン・フィールズに帰る

トレイン・ソングがらみで、レッドベリー(Leadbelly)、オデッタ(Odetta)、ピートー・シーガー(Pete Seeger)とウィーバーズ(The Weavers)等々に、ジョニー・キャッシュ(Johnny Cash)と聴いてきて、レッドベリーが原点と思われる「コットン・フィールズ」ジョニー・キャッシュも1962年のアルバムに「イン・ゼム・オールド・コットン・フィールズ・バック・ホーム」のタイトルで録音していたことに気づく。この曲では大のお気に入りのクリーデンス・クリアウォーター・リバイバル(Creedence Clearwater Revival、CCR)は1960年代の末のはずで、とすると、このキャッシュ・バージョンへの興味がことさら増す。W・S・ホランドのドラムスが固定される前のテネシー・ツー+αのシンプルなサウンド、女性コーラス付きはカーター・ファミリーかな、ここは要確認。
CCRと同時期、ビーチ・ボーイズ(The Beach Boys)版もあったよね。けど、やっぱり、CCRはジョン・フォガティ(John Fogerty)の歌声に象徴され、今聴いてもワクワク感が蘇る気がする。バンドの活動期間が短かったというインパクトもあるのか。個人史としてはここらが起点、、、との回顧はさておき、ルーツたどりの味をしめてレッドベリーにパフォーマンスが味わえるようになってきた。もう少しバリエーションを探ってみる。

2013年9月24日火曜日

♪ロック・アイランド・ライン、、、も、トレイン・ソング

大荒れのJR北海道。事故・不祥事の噴出は、コンプライアンス、ガンナンス、社内風土等々の掛け算の解と見えてくるが、かねて報道でいくつか語られてきたものの、民営化の光と影の実像?これほどまでの状態に至った経緯が明朗に言い当てられていないことと、正すには何を成すべきかが論じられていないことにストレスが募る昨今である。本道の鉄道輸送網は存続しえないのでは、という暗澹たる気分を引きずりつつ、米国にはトレイン・ソングをジャンルとして認識できるほど鉄道への関心と愛着があるな、と思い起こす。
『ジョニー・キャッシュ・ミュージック・フェスティバル2011』(2013/08/25)のところで記した、同DVD収載、ジョン・カーター・キャッシュ(John Carter Cash)が披露した曲の一つも、その典型といえる「ロック・アイランド・ライン」。フェスティバルの趣旨からして、もちろんジョニー・キャッシュ(Johnny Cash)のレパートリーではあるが、トラディショナルとして原点に近いのはレッドベリー(Leadbelly)の録音だろう。
実は私自身これまで、鉄道の歌という意識では聴いてはいなくて、タイトルの掛詞イメージとその曲調か、ロックン・ロールの源流の一つ?といった思い込みが強かった。実際、最近のリンゴ・スター(Ringo Starr)をはじめロック・ミュージシャンのカバーも多いようだし。今回は少し探究してみて、イリノイ州内で19世紀半ばに開通したシカゴからロック・アイランドを結ぶ鉄道のことで、これによってミシシッピ川と接続し人と物の流れに画期をもたらしたのだという。

◆追記◆
レッドベリー発のトレイン・ソングなら、「ミッドナイト・スペシャル」もお馴染み。そう、ジョニー・キャッシュトレイン・ソングに縁の深い歌手だね。「ヘイ・ポーター」、「フォルサム・プリズン・ブルース」、「トレイン・オブ・ラブ」など自作に、今回の「ロック・アイランド・ライン」と「オレンジ・ブロッサム・スペシャル」、「レック・オブ・ジ・オールド97」らのルーツ・ミュージック・クラッシクスも。旅、さすらい、流浪というコンセプトまで広げると、まだまだ。
ルーツ・ミュージック・クラッシクスということなら、鉄路建設人夫として「ジョン・ヘンリー」といった伝承歌、さらに、利用者としてのホーボー・ソングも同系のジャンルだね。

2013年9月22日日曜日

〈白鳥の歌〉~♪アイ・ソー・ザ・ライト

ジョニー・キャッシュ(Johnny Cash)が出演の映画は多々あるが、おそらくわが国で最もポピュラーなのはTVシリーズの一編「刑事コロンボ 白鳥の歌」(ニコラス・コラサント監督、1974)。ノーカット&ハイビジョン・リマスター版がNHK‐BSで放映されていたので思い出して、、そのやっと再放送で、何十年ぶりかの再鑑賞ができた。初見は70年代、NHKで最初の放送サイクルだったかな。その時は、この「カントリー歌手」がリアルでも大物と意識していなかったのは確か。
劇中でカントリー歌手を演じるキャッシュは、「サンデー・モーニング・カミング・ダウン」などオリジナルとは、ちょっと違ったニュアンスのパフォーマンスを見せているが、やはり肝の楽曲は、事件の標的となる妻が傾倒する教団のチャリティーでテーマ的に歌う「アイ・ソー・ザ・ライト」。いかにものカントリー調を沸き立てる、このハンク・ウィリアムス流のゴスペル、冒頭のコンサート・シーンに続き、ドラマのサブ・テーマのように要所に顔を出す。レコード版とライブ録音のコーラス・アレンジの相違を聴き分けたコロンボが、得意の心理戦で相手を追い詰める会話ネタも使っている。そして、オチもまた、カントリー歌手による同曲のパフォーマンスを評して、「人を殺せる人間ではない」、「私が捕まえなくとも自首したはず」などと、見透かして諭す台詞で決まる。
今回の再鑑賞の収穫、ジョニー・キャッシュをより身近に見知った上で観れたこと。加えて、「白鳥の歌」と付したタイトル、ギリシャの哲学者・プラトンの『パイドン』かな、、、とにかく、辞書的には、白鳥は死ぬ前に最も美しい歌を歌うというモチーフ。最初にTVで観た時は、タイトルの由来については考えなかった、無知だったな。それぞれ、齢を重ね相応に知見が、というところか。

2013年9月17日火曜日

♪ハッシュ、リトル・ベイビー、、、なのか?

「フォルサム・プリズンのレジェンドといえば、」(2013/06/26)のところで、「グレイストーン・チャペル」の旋律は、カウボーイ・ソングの「オールド・ペイント」が元と追記したように、最近傾倒している楽曲の探訪欲に駆られて思い当たる度に、聞き流して溜まったマイ・ライブラリーから、フォーク・リバイバルのころのウィーバーズ(The Weavers)、ピート・シーガー(Pete Seeger)、ニュー・ロスト・シティ・ランブラーズ(The New Lost City Ramblers)、あるいはボブ・ディラン(Bob Dylan)等々を引っ張り出したり、新たに廉価盤でコレクションしたりで傾聴、ハッと再認識することが増えてきた。今回の例はジョーン・バエズ(Joan Baez)のデビュー・アルバム(1960年)CD廉価盤のボーナス・トラックに収載された「ハッシュ、リトル・ベイビー」。日本人には馴染みが薄いようで妙に懐かしい子守歌、、、ジョニー・キャッシュ(Johnny Cash)の一連の子供時代ソングの一つ、「ピッキン・タイム」のオリジナル・メロディーだよね。
ちょっと調べた範囲では明確な指摘は見つけられなかったものの、「ハッシュ、リトル・ベイビー」の詩的センスはボ・ディドリー(Bo Diddley)の、名刺代わり?に名前を付したデビュー曲「ボ・ディドリー」の歌詞反映されているという説に遭遇。この曲の深みも探索過程。

2013年9月15日日曜日

「許されざる者」×2

クリント・イーストウッド監督の西部劇(1992年)を、明治当初の北海道へと翻案したリメイク版ということで、封切り初日に鑑賞した「許されざる者」(李相日監督)。やっぱり冗長だったな。物語に入り込めなかった。道民である私にも、これが北海道ってロケーションは、よく見えたが。
クリント・イーストウッドが監督した映画は大概好みのテイストに仕上がっているが、このオリジナルに限っては、以前観た時も感度が低かったというのが正直なところ。今回ちょうどTV放映(相当の短縮編集版)があったの見比べてみると、プロットとセリフは丁寧に置き換えられていることが分かり、日本版の製作陣の意欲はうかがえた。
オリジナルには悪名を馳せた元ガンマンの復帰、腐れ縁の仲間との絆、賞金稼ぎ、鼻っ柱が強い若僧、パターナリズムの権化である強権的な街の仕切り屋―といった、西部劇に特徴的なシチュエーションは、ほとんどそろっている。取っつき難さの原因は、このガンマンの人間像への移入がスムーズではないこと、「娼婦に傷を負わせた仇」としての懸賞私刑遂行という、動機付けプロットが理解できないことにあると思う。これら点は日本版も共通する。後者の動機付けプロットの部分、文化的な深層があるのか、米国人はどうとらえているのか?、気になるところだ。

「許されざる者」(日本版)の評価メモ
【自己満足度】=★★☆☆☆
【お勧め度】=★★★☆☆

2013年9月12日木曜日

♪フレッシュ・アンド・ブラッド~アイ・ウォーク・ザ・ライン

ジョニー・キャッシュ(Johnny Cash)のトリビュート企画で、1999年のニューヨーク、ハーマスタイン・ボールルームでのライブをアルバム『キンドリッド・スピリッツ』(2002年)ではスタジオで再現した、メアリー・チェイピン・カーペンター(Mary Chapin Carpenter)、シェリル・クロウ(Sheryl Crow)、エミルウ・ハリス(Emmyiou Harris)+マーティ・スチュアート(Marty Stuart)のコラボ・パフォーマンス「フレシュ・アンド・ブラッド」、だんだん気に入ってきて、出自を調べてみると、何と、ジョニー・キャッシュがジョン・フランケンハイマー監督の映画「アイ・ウォーク・ザ・ライン」(1971)用にに書き下ろした挿入歌だった。この映画、ジョニーのヒット曲「アイ・ウォーク・ザ・ライン」(1956年)をモーチフにグレゴリー・ペックが主演した西部劇らしいが、調べた範囲では本邦未公開。作家性があるので、わが国にもファンが多いと思われるフランケンハイマー、公開遅れや未公開作品多いよね。グレゴリー・ペックだし、この作品も観てみたい。
そう、「オリバー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史」でも、数えはしなかったけど相当のフランケンハイマー作品が引用されていたね。
ジョニー・キャッシュのトリビュートでは、最も大きなインパクトがあったと思われるジェームズ・マンゴールド監督の映画「ウォーク・ザ・ライン/君につづく道」( 2005)のフォローとしてか、1969~1971年の2年弱、ABCネットワークで放映された音源を基に日本版も発売されたCD『ベスト・オブ・ジョニー・キャッシュTVショー』(2007年)。宇田和弘氏のライナー・ノーツによると、同盤収載のTVライブ「フレッシュ・アンド・ブラッド(邦題:生きる者)」はレコーディング前にして、初演であろうという。

2013年9月9日月曜日

「嘆きのピエタ」

人間社会あるいは、そのコアでとなる男女や家族の関係性を、例えば性愛といった表層にとどまらないモチーフで描き、普遍性のあるコンテンポラリー寓話として読み解きを鑑賞者に迫る作風の韓国きっての映画作家、キム・ギドク。わが国の映画芸術ファン自称者なら、たぶん8割方は注目しているのではと思う。「嘆きのピエタ」(2012)も、らしい出来栄えであった。清渓川??、そこってソウル?、他の韓国映画では、ほとんど出会う機会のない街景とその質感。「サマリア」(2004)などとともに、そのモチーフ、世界観はスコラ哲学と格闘しているようでもあり。
観ながら分かる、限りなく低予算であることにも驚き。あらためて映画の出来・質と、製作費は比例しないことを再認識する。偶発的な役者のパフォーマンスに頼らず、シークエンスがチープに流れないのが監督の力量だね。観終えた後、雑誌のインタビューで知ったが、「衝撃」重ねのラスト・シーン、路上を連綿とする痕跡はCGではないそう。
「アリラン」(2011)、見逃していて惜しいところ。

「嘆きのピエタ」の評価メモ
【自己満足度】=★★★★☆
【お勧め度】=★★★☆☆

2013年9月5日木曜日

「もうひとつのアメリカ史」

原爆投下の日に前後して、オリバー・ストーン氏が来日、再放映ではあったが、アメリカン大学で歴史を教えているというピーター・カズニック准教授とのコラボ・ドキュメンタリーオリバー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史」第1~10回と関連の番組をようやく見通すことができた。フランクリン・ルーズベルの下で副大統領であった、ヘンリー・ウォレスね。確かに興味をそそられる人物。NHKの番組内でも指摘されていたように、このアメリカ史は、ハリウッドを中心とした多くの劇映画、さらに言うと劇映画だけでなく、当時のニュース映画やドキュメンタリー、の引用を多用、コラージュ的なモーション・ピクチャーともいえる手法で、間を置かずエモーションをかき立てるつくり。マイケル・ムーアとか、米国産の「主張があるドキュメンタリー」(?)は、同じようなつくり方だよね。
それはそうと、このヘンリー・ウォレス、「スミス都へ行く」(1939)でジェームズ・スチュワートが演じた、若くして政治家となり国会で孤軍奮闘する純粋無垢な理想家に比定した演出がなされていた。経済苦境の時代、失職してホーボー生活をおくる元野球選手役のゲイリー・クーパーが大衆の代弁者としてヒーローに祭り上げれる策謀内幕を描いた「群衆」(1941)が、出てきた回もあったし。どうやら、オリバー・ストーンはフランク・キャプラ作品への評価・感心の程度が高いと見受けた。
私個人としても、キャプラが第2次大戦中、軍に志願して、「ホワイ・ウィー・ファイト?」として一連のドキュメンタリー、戦意高揚のためのプロパガンダ映画を製作したとか、理想主義と人情喜劇でバランスを取っていたキャプラ調の盛衰とか、「素晴らしき哉、人生!」(1946)を巡る神話(いかに受け入れられたか)など、映画作品とあわせてその人物像にも、かねがね興味を抱いていた。オリバー・ストーン監督には、フランク・キャプラに焦点を当てた作品を是非つくっていただきたいと頭をかすめたのだが。

「オリバー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史」の評価メモ
【自己満足度】=★★★☆☆
【お勧め度】=★★★★☆
※僭越ながら、私を含めて戦後世代には必修との思いが。

◆追記◆
「素晴らしき哉、人生!」の本邦初公開は1954年ということだが、「スミス都へ行く」は何と!、対米宣戦布告前の1941年。以前メモった(2011/11/23)『素晴らしき哉、フランク・キャプラ』(著作・井上篤夫氏)の前談で山田洋次監督が、1970年代、「男はつらいよ」シリーズに客演した故・宇野重吉氏から、軍国主義の世相と新劇運動に対する侵食を悲嘆していた当時、たまたま観たこの映画で自殺を思い止まったと伝え聞いたエピソードを紹介している。開戦前の映画公開とその時代のキャプラ評価、さらに山田監督がフランク・キャプラを意識するようになったのは宇野氏の話を聞いて以降ということと合わせ、興味深いところである。

2013年9月1日日曜日

「風立ちぬ」

「風立ちぬ」(宮崎駿監督)は、予想外(?)のヒットで興業収入は100億円を超える見込みという。1か月ほど前に鑑賞済みで、可もなく不可もなくながら、老境感覚が際立つ作家性の強い映画というのが感想。とりわけ、巷で話題になった喫煙表現の多用は、確かに記憶に刻まれ、いやが応でも、その意図を考えさせされる。喫煙場面の描出は確信的表現と思われるのが、ネットなど、見かけてた範囲で製作側から、この点について特にコメントがないのも気になっていたところ、半藤一利氏との対談本『腰ぬけ愛国談義』が出版されたのをみつけ通読してしまった。
解決されたわけではないが、半藤氏は脱煙の成功者、宮崎氏は依然スモーカーであることは分かった。あと、何よりもその生い立ち、家業が関連製造業であったことなど、宮崎氏が国産軍用機の製造という今回の筋立てを採用した背景も。それにしても、宮崎氏も、半藤氏も、元祖オタクだな。日本人らしさの一面。
両氏とも、考えていること、訴えていることは分かる反面、やっぱり、老々談義にとどまっていてよいのかという疑問ももたげる。映画はヒットしているものの、この清談は、やはり浮世離れと受け止められるであろうことが、わが国の現在ってことか。
映画で次に気になったのが、アラスカという菓子。こちらの謎解きのヒントは未収穫のままであった。
2日、ベネチア国際映画祭発で、宮崎監督の引退意向報道が。まあ、以上の理由で驚かないけどね。スタジオジプリの戦略??6日に都内で会見するとのことだが、喫煙描出とアラスカ、聞きただしてくれる記者がいるかが気がかり。

「風立ちぬ」の評価メモ
【自己満足度】=★★★☆☆
※大ヒット作なので自己満足度のみで

◆追記◆
主題歌、荒井由実の「ひこうき雲」は私の世代にとって、格別に思い入れのある曲。アナログ音源だそう。自身、レコードを買えるようになったころでもあったし。さて、世代の異なる方々はいかに聞いたか。海外上映、歌詞がストレートに伝わらないのが惜しいところ。
◆さらに追記◆
6日の宮崎氏の会見と、7~8日かけて五輪招致のプレゼンと首相会見などの対照。記憶にとどめねばである。宮崎氏は朝日新聞デジタルでの会見全容を拝見、「老い」を筆頭に前述の映画・対談本で感じたままだったが、分かりづらい部分もあったな。安倍首相の国内では聞いことがない言説は何であったのか?そう、「紅の豚」もヘビー・スモーカーであったね。こちらの方が、よりお子様メニューといえるが、今般のリアクションは影響力の拡大、受け取る社会状況の変化ということか。(2013/09/08)