2013年10月30日水曜日

グロウン・アップした♪クリスマス・リスト

待ちきれずに、デヴィッド・フォスター(David Foster)プロデュース『THE CHRISTMAS ALBUM』(1993年)から聴き始める。私的に、最も歴史が浅いクリスマス・スタンダードと認定している「クリスマス・リスト」の、オリジネーター・コンビによるバージョンが聴きたくてということで。ナタリー・コール(Natalie Cole)のこの曲に限らず、アルバム全体の印象はポップにゴージャス。12のトラックのうちカントリー界から、ワイノナ(Wynonna)が「ブルー・クリスマス」タミー・ウィネット(Tammy Wynette)が「アウェイ・イン・ア・メインジャー」と、カントリー系っぽい楽曲で参加しているが、アレンジは甘口というべきか。
最近の曲と思っていたのに、「クリスマス・リスト」、もう四半世紀も経ったなんて。まだまだ、聴き込みが足りなかったな。911を経て、グロウン・アップしても変わらない、歌詞に込められた願いとともに。

2013年10月25日金曜日

〈コールド・マウンテン〉も聴いてみる

マウンテンつながりで、「コールド・マウンテン」(アンソニー・ミンゲラ監督、2003)のサントラCDも調達して聴いているところ。「オー・ブラザー!」(2000)に同じくT=ボーン・バーネットがプロデュース、同じつながりでアリソン・クラウスがエルヴィス・コステロとスティングが提供した2曲を歌っている。たぶん特徴的なのは、ジャック・ホワイトの5曲とオリジナル・スコア提供のガブリエル・ヤレドによる純粋映画音楽。一通り聴いてみて、トラディショナルが処々にと思うも、定かにつかめず。ライナー・ノーツをなぞりつつ、反芻していくことに。
個人的には、この映画もスター・キャストの割に、後引きが薄かった。音楽を契機にまた機会があれば再鑑賞でも。

◆追記◆
T=ボーン・バーネットつながり(2014/07/08)

2013年10月22日火曜日

ニュー・ロスト・シティ・ランブラーズに耳を傾ける

これまでまとめて聴いていなかったニュー・ロスト・シティ・ランブラーズ(The New Lost City Ramblers)。アルバムCD『OLD TIME MUSIC』が入手できたので、流し始める。ニューポート・フォーク・フェスティバル、1963~1965年からの編集盤で、ジャケット表面にはないけど裏面には「& FRIENDS」の記載があって、31トラック中、メイベル・カーター(Maybelle Cater)が5トラック、カズン・エミー(Cousin Emmy)が9トラック、あと、フィドラーのエック・ロバートソン(Eck Robertson)、バンジョー弾き語りのロスコー・ホーコム(Roscoe Holcomb)ら、共演または客演者パフォーマンスが多く収められているのが特色といえる。都会のオールド・タイム信奉者と生粋のバナキュラー・パフォーマーのジョイントといった、フォーク・リバイバルの感触が伝わってきて、なるほどとうなずく。ホスト=ゲストの構成、ライブとしてもアルバムとしても妙である。
そういえば、カズン・エミーって、30~40年代か、若い時の随分とハジけた表情が強烈なインパクトを放つレコード・ジャケットがあったね。パフォーマンスも豪放系。
複数の楽器を奏でるのがニュー・ロスト・シティ・ランブラーズのパフォーマー個々の特徴といえると思うけど、オリジナル・メンバーからトム・ペイリー(Tom Paley)が抜けて、トレイシー・シュワルツ(Tracy Schwartz)に代わっているというのも、よく聴いてみたいところ。オールド・タイムの御大たちのシブめの演奏と好バランスというか、マイク・シーガー(Mike Seeger)の、お兄ちゃん然としたボーカルと語り口に親しみを感じてきた。

2013年10月15日火曜日

クリスマスがコンセプトのアルバムを探る

世代の変わり目なのか、最近とみに定盤セレクトとかいったディスク・ガイド出版物が多いような気がする。「アルバム」という音楽の流通方式は、おそらくは、クラシック音楽・ベートーベンの楽曲が一つのコンセプトを規定したといわれるLPレコードからCDという記録媒体が技術・経済的に優位であった時代の華であった。
1年ほど前に発行された前述ジャンルに相当する、音楽誌増刊号の巻頭で編集者が記した「アルバムというスタイルが今後どこまで主流であり続けるか分からない時代」との現状認識に、他のさまざまな分野同様に先行きへそこはかとない不安の増幅を感じつつ、でもまだ、アルバムが享受でている現在に楽しみを見い出し、われに帰る。
ポピュラー音楽界ではビートルズが創作的な「コンセプト・アルバム」というコンセプトを創出したとする通説もあるようだが、たぶん、ゴスペルとかクリスマスとかの民俗的コンセプトに限定して追っていくと、もっとさかのぼれるのかなと、考えを巡らす。クリスマス・ソングの愛好者なので、キリスト教色を曖昧にした「ホリディ・アルバム」も含め、そのバリエーションや黎明のころの形などを、探ってみたいものだ。基本的にカントリー・ミュージック系統たどりが、ここ何年かの趣向なんだけど。
ちょっと早いけど、クリスマス・アルバムは聴く時期が限られる。今シーズンはどのくらい聴けるか。CD封切り予定でジーン・オートリージョニー・キャッシュに、セコハン収集からデヴィッド・フォスターエイミー・グラントつのだひろ、そして、『黒人霊歌のクリスマス曲集』の6点まで集め、お楽しみのスタンバイを整えつつ、さて、さて、いつから聴き始めようか。もう少々、ラインアップを図り。

2013年10月6日日曜日

〈ブロークバック・マウンテン〉を聴いてみる

最近はめっきり縮小と見えていた、CDショップ店頭のサントラ盤コーナー、期間限定999円という邦盤企画で100を超えるタイトルが再発売されていて、目にとまったのが「ブロークバック・マウンテン」(アン・リー監督、2005)のそれ。アン・リー監督作品は大概好みに仕上がっているが、この映画は封切り時に見たっきり、個々のシークエンスと使われた楽曲は全くのおぼろというのが正直なところ。ウィリー・ネルソン「ヒー・ワズ・ア・フレンド・オブ・マイン」(エンディングのテーマ)、エミルウ・ハリス「ア・ラブ・ザット・ウィル・ネバー・グロウ・オールド」(主題歌だった?)、リンダ・ロンシュタット「イッツ・ソー・イージー」―の3点が収録されていることを頼りに購入してしまった。
しばし聴き流して、ライナーノーツも読み始めたところだが、「ヒー・ワズ・ア・フレンド・オブ・マイン」ボブ・ディラン作との論述があり?、英文クレジットも同様??、映画のエンドロール表記もそうだったのか???と気になってきた。ちょっと調べてみた限り、ディランにはブートレッグ版の録音しかないようだが、、、どうなんだろう。ディランというよりは、作者未詳のトラディショナル・フォークだと思われるこの楽曲、手持ち音源を含めて、ほかのバージョンを探したくもなってきた。
リンダ・ロンシュタットのは劇中場面で挿入だったと思うけど、「イッツ・ソー・イージー」は1977年のリリースで、このころ、ラジオの洋楽ヒットチャート番組などを聴いていた個人史に照らして、素直に反応してしまうサウンドと歌唱。
その後、1980年代後半から1990年代は、ジャズ・ボーカルやスタンダード・ソングをよく聴いていたけど、ここでもリンダがかぶっていた。「イッツ・ソー・イージー」のオリジナルはバディ・ホリー。ここでまた、リンダの初期の録音を見かえしてみると、「デスペラード」&イーグルスといったキーワードにも増して、アメリカン・ルーツ・ミュージックを継承する歌い手としての一面が見えてくる。この辺りもあらためて散歩してみたいもの。ブロークバック・マウンテンってワイオミングだった?土地柄も思い起してね。
ちなみに「ブロークバック・マウンテン」で、エミルウ歌唱の上述を含め主だったオリジナル楽曲を書き下ろしたグスタボ・サンタオラヤが、サントラ盤でもプロデューサーを務める。この方に強い印象は感じてなかったが映画畑では、アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥとかウォルター・サレスの監督作品とかで、ラテン系コラボレーションとしてよい仕事をしてきたようには見えた。本作品では、映画音楽としては至極好ましいといえる大人しい旋律が裏目、、、というのが、今現在の感想である。

◆追記◆
「ヒー・ワズ・ア・フレンド・オブ・マイン」ボブ・ディランの関係の疑問、解に近づく示唆を、マーティン・スコセッシ監督「ノー・ディレクション・ホーム」(2005)の日本語公式サイト内に見つける。デイヴ・ヴァン・ロンク(Dave Van Ronk)のアルバムにディラン作のクレジットがあるとのこと。ディランがデビュー盤用に録音したトラディショナル調の、ロンク・バージョンであるという。ここでも何故にという疑問は残るのだが、、、。デイヴ・ヴァン・ロンクのパフォーマンスは「ノー・ディレクション・ホーム」に収録とのことだが、語りのイメージのみ強く演奏の記憶がいまひとつ。サントラ盤かつブートレッグの第7集のCDには入っていないので、映像を流してみようか、、、(2013/10/12)。
元歌ということでは、カントリー・ブルース系の「ショーティ・ジョージ」との論説があるが。

「インサイド・ルーウィン・デイヴィス」(2014/06/19~20)

2013年10月3日木曜日

「そして父になる」

カンヌ映画祭で評判を得たという、是枝裕和監督の最新作「そして父になる」。その審査員賞とかの受賞で、本邦公開前に是枝監督らのマスメディア露出が増え、予断を形成する雑多な情報が鑑賞前に入り込んだのが私にとって、普通に楽しめなかった原因となった。カンヌ出品を意識してなのか理想的と思われるスターキャストも私にはフィットせず。
それは置いておいても、是枝監督にしては完成度も及第点に達していないよね。二組の夫婦とそれぞれの子どもたちといった主要な登場人物、あるいは彼らの家族や職場などの取り巻きら、それぞれの状況の受け入れと感情の振幅、諸々の判断が、場面場面について回りそうなドラマを設定したが、いくつかの台詞への投影のほかは上滑りしていく。そして父になる、、、タイトル通り、一方の父親側に視点があり、だれもがその時代を過ごしたであろう「子ども」の感情からは遠く離れ、作り物じみた語り口となってしまっている。期待が大きかった分、ミスマッチの指摘が多くなってしまった。

「そして父になる」の評価メモ
【自己満足度】=★★☆☆
【お勧め度】=★★★☆☆