2014年11月26日水曜日

「♪貧者ラザロ」で、たどってみる

ボブ・ディラン(Bob Dylan)&ザ・バンド(The Band)の『ザ・ベースメント・テープス』コンプリート版の最初のCD1、20番目のトラックは2000年の映画「オー・ブラザー!」(ジョエル・コーエン監督)で、多分に本邦でも認識が進んだ楽曲の一つである「ポ・ラザルス」。映画ではアラン・ローマックス(Alan Lomax)が1959年にミシシッピ州の刑務所で採録した受刑者らのワークソング調のバラッド歌唱が援用されたが、ディランはギター伴奏で歌っている。フォーク・シンガー、ディランとしてのレパートリーであったことは今回初めて知る。
「オー・ブラザー!」の音楽プロデュサーは、1970年代半ばのディランのプロジェクト・ツアー「ローリング・サンダー・レヴュー」に参加していたT=ボーン・バーネット(T-Bone Burnett)、継承と言える関連性はあるか気になるところ。
もっとも、ローマックスが最初にこのトラディショナル楽曲の系統をコレクションしたのは1930年代後期らしく各種のフォークソング・アンソロジー本にも収載されていたようで、ディランがどうした経緯で持ち歌としたかとの興味も。
余談だが、「ポ・ラザルス」をはじめとした巷のフォークソングをローマックス父子らがこれほどまでに収集し、文化財として継承できているのは、彼らの才覚とともに米国の議会図書館や公共事業促進局(WPA)が後押しした政策的な成果の色合いが濃いようにも思われる。1929年に始まった大恐慌に際して、フランクリン・ルーズベルト大統領の下、ジョン・メイナード・ケインズ流の経済思想を投影したとされるニュー・ディール政策の中に位置付いた「公共事業」の一部を成している。わが国では公共事業というと、道路や鉄道などハード構築のインフラ整備にとらわれた発想からいまだ抜け出せずにいる。フォークソングやブルースの収集・保存といった米国の例にならった日本であったなら、、、と考えずにはいられない。米国の事例についてもっと詳しく知りたいとも思うのだが、日本人研究者による解明はどの程度進んでいるのであろうか。

◆追記◆
「ポ・ラザルス」ディラン・パフォーマンス、1961年7月のニューヨーク・リバーサイド教会でのフーテナニー・イベントのラジオ音源に巡り会った。他の演目は「ハンサム・モーリー」、「オーミー・ワイズ」とコアなトラッド。

◆過去のメモ◆
「オー・ブラザー!」を聴き直す(2013/05/10)
T=ボーン・バーネットつながり(2014/07/08)

2014年11月21日金曜日

ベースメント・テープスの源流

ボブ・ディラン(Bob Dylan)&ザ・バンド(The Band)の『ザ・ベースメント・テープス』コンプリート版、CD6枚に収まった138トラックのうち4割強が自作曲ではないトラディショナルの解釈パフォーマンスや既存ポピュラー曲との戯れ。ディランらがインスパイアを受けたこうした源流楽曲のオリジナル・パフォーマンスを集めた英国版のコンピレーションCDを聴いていたことと、特集本「THE DIG Special Edition」の曲目解説を参考にし、これらの楽曲にフォーカスしてローテションを繰り返してみる。
コンピレーションCDは27曲収載でコンプリート版の1枚目および2枚目で取り上げられたものが多く、この前、言及した6枚目11番目のトラック「ゴーイン・ダウン・ザ・ロード・フィーリン・バッド」エリザベス・コットン(Elizabeth Cotten)の演奏で紹介されていて勉強になった。このコンピ盤、ジョニー・キャッシュ(Johnny Cash)、ジョン・リー・フッカー(John Lee Hooker)、ハンク・ウィリアムス(Hank Williams)、ハンク・スノー(Hank Snow)の持ち歌系統がそれぞれ複数ありものの、どういう訳か、2枚目に3曲取り上げているイアン&シルヴィア(Ian & Sylvia)のはどれも採用されてなかった。
そう、5枚目の16番トラック「ワン・カインド・フェイバー」は、例のハリー・スミス(Harry Smith)氏編纂『アンソロジー・オブ・アメリカン・フォーク・ミュージック』(1952年)のアンソロジー効果でファースト・アルバム『ボブ・ディラン』(1962年)でも取り上げたブラインド・レモン・ジェファーソン(Blind Lemon Jefferson)の「スィー・ザット・マイ・グレイヴ・イズ・ケプト・クリーン」に同じ曲だが、アレンジによる果敢な変貌。等々、トラディショナル系はもっと聴き込んでいかないと。

2014年11月11日火曜日

ブラインド・ボーイ・グラント

「ブラインド・ボーイ・グラント」は、1962年のファースト・アルバム制作に前後してボブ・ディラン(Bob Dylan)が使用していたブラインド・ネームで、雑誌への作品発表や録音がいくつかあるのだそう。ブートレッグ・シリーズ第11集に前後して入手したHumdingerシリーズのコンピレーションCD2枚組みで、デック・ファリーナ(Dick Farina)&エリック・フォン・シュミット(Eric von Schmidt)へのジョイント参加したパフォーマンスを初めて聴くことができて感激した。しかも、「グローリー、グローリー(レイ・マイ・バーデン・ダウン)」があり、別にディラン自身の「ウィル・ザ・サークル・ビー・アンブロークン」も収録されていて。これは、ブートレッグ・シリーズ第11集のボーナス・ディスクと聴き比べができるしね。
「ブラインド・ボーイ・グラント」クレジットではないものでは、キャロリン・ヘスター(Carolyn Hester)、ビッグ・ジョー・ウィリアムス(Big Joe Williams)やハリー・ベラフォンテ(Harry Belafonte)の録音への,、それなりに目立ったハーモニカ・サポート等も数曲収載。キャロリン・ヘスターの歌唱ってヘタうまだったんだね。「アイル・フライ・アウェイ」、結構好きかも。
シカゴでスタッズ・ターケルのラジオ番組とか、カナダ・モントリオールのフィンジャム・クラブとか、ここのところ聴き馴染んでカブる音源もあるけど、ジェシー・フラー(Jesse Fuller)の「サンフランシスコ・ベイ・ブルース」、マーダー・バラッドの代表格「バーバラ・アレン」とか、「プリティ・ポーリー」なんかも初めての出会いで嬉しい限り。

2014年11月9日日曜日

アンソロジーとしての、ザ・ベースメント・テープス

ブートレッグ・シリーズ第11集、待ちにまった、まさにブートレッグの中のブートレッグといえるボブ・ディラン(Bob Dylan)&ザ・バンド(The Band)の『ザ・ベースメント・テープス』、米国からの輸入盤でコンプリート版CD6枚を聴き通してしまった。若きディランに即したルーツ・ミュージックを考察していただけに、今年はタイムリーな出来事が重なり極みに。
1966年のオートバイ事故、ウッドストック、ビッグ・ピンク、地下室などのキーワードとともに、タイトルを含めて伝説化している海賊版『グレート・ホワイト・ワンダー』のシェイプ・アップした公認バージョンとして、あるいは1975年の正式なリリースで明らかにした一部音源によるアルバム『地下室』のアウト・テイク集として、とにかく成果が求められたというソング・ライターとしてのデモンストレーション仕事のバリエーションを慮って、等々、聴くアプローチもそれぞれでしょう。上記の理由により私の場合は、アンソロジーとしてが第一かなぁー。その時代、その境遇にして営まれたパフォーマンスの意味も考えつつ。
とりあえず、1曲のみメモ。ディスク自体がボーナスという6枚目、11番目のトラックが「ゴーイン・ダウン・ザ・ロード・フィーリン・バッド」。これは、ウディ・ガスリー(Woody Guthrie)が『ダスト・ボウル・バラッズ』(1940年)収載の「ブローイング・ダウン・ディス・ロード」でメロディーを転用した「ロンサム・ロード」が元歌なんだろうね。高田渡さんの歌にも同じ旋律があったよね?!ディランもまた『ラブ・アンド・セフト』(2001年)では別のタイトル・歌詞で録音しているとか?!!またしても変遷に興味。
とにかくに、この音源と豪奢なブックレット・写真集の読解は着手したばかり。確かに一生もの。国内盤のほうがハードル低かったかな。関連の出版物も期待しましょう。

◆追記◆
3枚目のディスクに2つのテイクで「アイ・シャル・ビー・リリースト」が。療養・隠遁期のディランにしてこその名演で、本当にすばらしい。マイ・コレクションでは『グレーテスト・ヒット第2集』(1971年)であったか、初めて出会った十代から印象深く愛着のある楽曲。ルーツ巡りでリフレクションしてきて、アメリカ音楽の揺籃で育まれたスピリチュアル、カントリー・ゴスペルの延長上にある楽曲であることがよく分かってきた。公式リリースはザ・バンド『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』(1968年)だったね。ブートレッグ・シリーズ第2集収載分との対比はという課題もあり。
『地下室』収載の「ユー・エイント・ゴーイン・ノーホエア(どこにも行けない)」も2テイクあり。同じく2テイクある「ミリオン・ダラー・バッシュ(百万ドルさわぎ)」はサビ旋律からして兄弟曲、この辺りはカントリー・テイストで好きなんだなぁー。
と、そこへ、特集本の第1弾「THE DIG Special Edition」が届く。日本人アプローチから読解の手立てに。楽しみは続く。(2014/11/18)
さらに、
ベースメント・テープスの源流(2014/11/21)
「貧者ラザロ」で、たどってみる(2014/11/26)

2014年11月3日月曜日

♪ジョン・ヘンリー

トレイン・ソングの「ケイシー・ジョーンズ」がらみで、鉄道関連で働き死に招かれる事態に逢着した市井のヒーローを歌い上げるバラッド、かつ、アメリカン・バラッドとしては最もよく知られ、ハンマー・ソングとも言われるコンセプトを有する「ジョンー・ヘンリー」。これが何と『アンソロジー・オブ・アメリカン・フォーク・ミュージック』(ハリー・スミス氏編纂、1952年)には、二つのバリアントが収録されていた。トラック・ナンバー18番、ウィリアムソン・ブラザーズ・アンド・カリィ(The Williamson Brothers and Curry)の「ゴナ・ダイ・ウィズ・マイ・ハンマー・イン・マイ・ハンド」と、同80番、ミシシッピ・ジョン・ハート(Mississippi John Hurt)の「スパイク・ドライバー・ブルース」である。前者のタイトル・クレジットでのパフォーマンスは初めて出会ったかな。
「ジョン・ヘンリー」に関しては、東理夫氏が『アメリカは歌う。歌に秘められた、アメリカの謎』で、現地調査を踏まえたレジェンドの検証を(マーダー・バラッドに秘められた謎、2011/12/04)、ウェルズ恵子氏は『フォークソングのアメリカ ゆで玉子を産むニワトリ』で、いくつかのバリアントについて歌詞に織り込まれた心象を分析していた。これらにより、アンソロジー収載の2曲の意図も分かるよう気もするが、、、よくよく、読み返してみねばね。あと、アルバムのブックレットにはレスリー・リドル(Leslie Riddle)の録音が存在することも示されていた。レスリー・リドルのパフォーマンス、聴いてみたいものである(ルーツをたどり、レスリー・リドルへ、2013/02/04)。