2012年8月17日金曜日

ザ・ハイウェイメン

『The Perfect Country Collection』の25タイトル目として、ザ・ハイウェイメン(The Highwaymen)の1986年リリースの『HIGHWAYMAN』にたどり着く。この4人の顔のアルバム・ジャケットと何とはなしに記憶していたものの、ジョニー・キャッシュ(Johnny Cash)、ウェイロン・ジェニングス(Waylon Jennings)、ウィリー・ネルソン(Willie Nelson)、クリス・クリストファーソン(Kris Kristofferson)による、カントリー・ミュージックのスーパー・ユニットであったことに感激してしまった。
かといって、収録楽曲は力みがなくバランスよいパフォーマンス。ウィリーの声も若く伸びがあって、感じよい時代のもの。キャッシュ作品ならではの独特のリズムと物語りが際立つ「ビッグ・リバー」、4人で分かっているもよし。

2012年8月15日水曜日

再び、♪ファーザー・アロング

25タイトルのCDボックスセット『The Perfect Country Collection』、半年少々かけて傾聴して、未消化分もわずかに。本日はブラッド・ペイズリー(Brad Paisley)は2003年の『Mud on the Tires』というアルバム。ニコール・キッドマンはキース・アーバンと結ばれ、レニー・ゼルウイガーはケニー・チェズニーとの浮き名が聞こえていたのをはじめ、男性カントリー・ミュージシャンにも美形が多いと納得させてくれる好例のブラッドである。
このコレクションでは極めて最近のアルバムでサウンドに新規さがあるわけでないものの、シブさを併せた聡明な楽曲群に、まずまず納得。アリソン・クラウス(Alison Krauss)と共演「ウィスキー・ララバイ」のオリジナルはここだったのかと、ちょっとニンマリ。そして、エンディングは、またしてもカントリー・ゴスペル「ファーザー・アロング」、現代にも生きているカントリーならではのアルバム編集に感心してしまう。この演奏も気に入りました。

2012年8月9日木曜日

オデッタがうたう歌

スタンリー・ブラザーズ(The Stanley Brothers)をなかなか離れられず、本日からやっとオデッタ(Odetta)。これも1956年から1960年までの7アルバム+ラジオ音源(?)を4CDに収録した海外廉価版。スタンリーズ同様、こんなにもまとめて聞いたたのは初めて。図太さが魅力の個性に満ちたボーカルとギター・パフォーマンスはもちろん、取り上げられている楽曲(ソング)の数々は、アメリカン・ルーツ・ミュージック好きにとって興味がつきないものばかり。これまで別のアーティストで聴取してきた中からも、先駆者・レッドベリー(Leadbelly)採録の「オールド・コットン・フォールズ・アット・ホーム」や「ミッドナイト・スペシャル」、「テイク・ディス・ハンマー」、ヒルビリー系の「ダーク・アズ・ア・ダージョン」や「ミュールスキナー・ブルース」、スピリチャル発でも「サムタイムス・アイ・フィール・ライク・ア・マザーレス・チャイルド」と「マザーレス・チルドレン」の両方、「ウィル・ザ・サークル・ビー・アンブロークン」の元歌「グローリー、グローリー」、さらにブルースもあり、収録一曲一曲の素性を明かしてみたい衝動に駆られ、真に私にとってタイムリー。
1960年代に隆盛を迎えた米国のフォーク・リバイバルで一翼を担っていたと聞いているが、本邦での知名度はジョーン・バエズ(Joan Baez)やジュディ・コリンズ(Judy Collins)に比べると格段に低いのでは?ジョーンやジョディのパフォーマンスはフォークを標榜しつつ、清廉されてソフィストケイトともいえるにのに対しオデッタは対極。「フォーク・シンガー」といっても、これだけコンセプトが異なるのはバック・ボーンに主因か。レッドベリー同様、ブラックなブルースの血脈を醸しだす。
スタンリー・ブラザーズとの共通点は、やはり、ボブ・ディラン(Bob Dylan)が無名時代から好んで聞いていたとのことである。

2012年8月2日木曜日

スタンリー・ブラザーズ

ネット社会の進展で、商業音楽界におけるメディアの意味合いの変化が著しいものの、アルバムやコンピレーション企画でLPやCDに馴染んできたので、おのずと歴史的な録音を志向する。減少・縮小しているCDショップの店頭では、海外製作による名作アルバムの復刻やテーマ編集などの廉価版ボックス・セットに、いつも目が留まり、先日はスタンリー・ブラザーズ(The Stanley Brothers)とオデッタ(Odetta)に食指が動いてしまった。
スタンリー・ブラザーズは、1958年から1960年までの8つのアルバムを4CDに収録(ちなみに、これで1,000円)。これまで、こんなにもまとまって聞くことはできていなかったものの、この古そうで新しいブルーグラス・デュオのパフォーマンスにピタリとはまり、魅せられてしまった。この間のテーマ「ホワイト・ゴスペル」として、数々のヒム、セイクリッド・ソングが入っているのも嬉しいところ。
ボブ・ディラン(Bob Dylan)はスタンリー・ブラザーズをリアル・タイムで聞いていて、相当のファンらしい。にわかにつながらないものの、この関係も思い出しつつ、聞いているところ。

2012年7月31日火曜日

ザ・バンド&ボブ・ディラン

シンコーミュージックからムック本『ザ・バンド&ボブ・ディラン』が発刊されているのを店頭で発見、音盤コレクターではないので、この手の出版物はこれまでほとんど購入していなかったが、さすがに入手してしまった。本年4月19日に71歳で逝去したザ・バンドのリーダー、レヴォン・ヘルム(Levon Helm)の追悼企画ということである。
1960年生まれで、十代のころはラジオ・テレビを媒介に内外の流行歌・コンテンポラリー音楽を聞いてきた私にとって、マーティン・スコセッシ監督の「ラスト・ワルツ」(1977)と、1978年のディラン初来日にあわせて発売されたコンピレーション・アルバムの3枚組LP『傑作』との出会いが、「アメリカン・ルーツ・ミュージック」への傾斜といった、現在につながる音楽嗜好を方向付ける契機になっていたと思い起こす。今も、ディランやレヴォンらを「ルーツ・ミュージックの伝道師」と見立てて、その音楽性を楽しんでいる。
さて、ゆっくりパラパラ読んでいきましょう。しかし、「ラスト・ワルツ」はサウンドトラック盤とは別に、完全版の4CDボックスが出ていたことも発見。レヴォンは追悼企画で『ダート・ファーマー』(2007)の本邦初CD化も。食指が動きそう。

2012年7月28日土曜日

「少年は残酷な弓を射る」

今週は、「ブラック・ブレッド」(アグスティー・ビジャロンガ監督、2010)、「少年は残酷な弓を射る」(リン・ラムジー監督、2010)と、二様のダークサイドに踏み込んでしまった。テーマのありようはともかく、正直、ともに後味はよくなかった。
後者は、弓を銃に置き換えると、物語の中核を成す事件自体は、度々、米国で発生しているそれ。「生まれて来る子はモンスター?」、あるいは、コントロールできずに「モンスターに育ってしまったら」といった懸念や恐怖は、もしかすると親となる人はだれしも、脳裡に潜んでいるのかもしれない。問題は血(DNA)に帰結するのか。「ローズマリーの赤ちゃん」(ロマン・ポランスキー監督、1968)、「オーメン」(リチャード・ドナー監督、1976)などは、同系のプロット設定を有しているが、根本的に異なるのは、この映画では宗教が払拭され、自由を享受できる現代人の陥穽である心理で劇作を試みたこと。
最近もメディア報道でクロース・アップされている、わが国におけるいじめ問題で加害者側の親と重ねるという見方も可能か?
カットバック多様のシナリオ構造、事件・行為の前後を描出する婉曲な演出はアート系映画で常套だが、成功しているとは言い難い。そう、「ミュール・スキナー・ブルース」に始まる楽曲の使用もグラフィティ調で同様。主演女優のはまり具合には感心と称賛。

「少年は残酷な弓を射る」の評価メモ
【自己満足度】=★★★★☆
【お勧め度】=★★★☆☆

2012年7月26日木曜日

ゴスペルの迷路

『魂のうた ゴスペル 信仰と歌に生きた人々』(1997年、原題:GOSPEL LEGENDS)という邦訳本を読んでいるところ。著者はチェット・ヘイガン氏。対比して今さらながら、本邦では、出版物をはじめとしたゴスペル関係言説が、黒人に軸足を置いたものであることに疑念を抱く。米国人の研究においても、白人のそれを「コンテンポラリー・クリスチャン・ミュージック」とするなど、コンセプト整理と分類に諸説があるようだが。
この1年くらいは、そこそこ、ゴスペル・ミュージックにアプローチしてきたつもりで、、前掲書では若干の回答を提示してくれるが、繰り返して、当初抱いていたいくつかの課題にもどり、考え込むことになる。①個別のゴスペル楽曲の起源、あるいは、歴史的成り立ち②黒人、白人が歌うゴスペル楽曲の相違と交歓③ゴスペルの世俗昇華―などの課題である。
キリスト教に根差した歌の範疇には聖歌、讃(賛)美歌、祝歌、霊歌などのコンセプトがあり、それらと重なる部分を持ちつつ、20世紀に「ゴスペル」が成立、辞書的には、(教会に立脚するのではなく)民俗的な宗教歌とする意味を有するというが。
一般のポピュラー・ミュージック同様、楽譜集の出版、ラジオやレコードなどマスメディアによる流通システムの形成を通じた小産業体の成立過程や、ライブ・コンサートにあたる伝道集会のイメージが見えてきたのが収穫。特に後者、やはり、宗教そのものと宗教社会的な理解が足りないということが一番か。