2012年6月6日水曜日

「私が、生きる肌」

「オール・アバウト・マイ・マザー」(1998)以来、ほとんどの新作が本邦でも公開され、その質の高さには納得させられるスペイン人監督、ペドロ・アルモドバルの2011年製作「私が、生きる肌」。安部公房原作の「他人の顔」(勅使河原宏監督、1966)やキム・ギドク監督の「絶対の愛」(2006)などを思い出させる着想であるが、提示されたのはアルモドバル・ワールドそのもの。映像美、何よりもエレナ・アナヤの姿態に憑依されしまい、結末を予想する思考が働かないほど、時の経過を忘れさせてくれる。
審美センスに長けたアルモドバルの創作は、自身の性的嗜好が独特の色合いを醸していると思う。旧作では「真摯な性愛」として語りうる範疇がほとんどであったが、今回は、ジェンダーではなくセックスのトランスが織り込まれたことで、性愛は幻想に帰着したかにも受け取れる。
あいかわらず、音楽も秀逸。この間のアルモドバル作品は、基本的にアルベルト・イグレシアスが音楽担当。「トーク・トゥー・ハー」(2002)では、カエターノ・ヴェローゾのフィーチャー、劇中歌唱があったけど、今回の結婚パーティーシーンの黒人女性歌手も、なかなか。
あと、たまたま同日に観た「裏切りのサーカス」(トーマス・アルフレッドソン監督、2011)の音楽もアルベルト・イグレシアスだった。そうか、めずらしくサントラ盤まで買った「ナイロビの蜂」(フェルナンド・メイレレス監督、2005)もそう。調べてみるもんです。
調べて分かったこと、もう一つ。「私が、生きる肌」にアントニオ・バンデラスの主演(なかなかの好演)は意外と思っていたが、アルモドバルと旧知の関係だったとは。初期のアルモドバルも観てみたい、、、である。

「私が、生きる肌」の評価メモ
【自己満足度】=★★★★★
【お勧め度】=★★★★☆

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