2014年8月23日土曜日

「めぐり逢わせのお弁当」

インド映画を観ながらいつも感じるのは、現実日常会話にもこんなに英語が混淆(チャンポン)しているのーってこと。舞台はムンバイ(私世代ではボンベイ)のか、「めぐり逢わせのお弁当」(リテーシュ・バトラ監督)は最近、本邦で公開されるインド映画にしてはめずらしくダンスのない(音楽はあるけど)、近代化あるいは産業社会化(インダストリアリゼーション)の狭間で幸福感を自問せざるをえなくなる、市井を写し撮ったよくできたヒューマン・ドラマであった。カセット・テープで聞く映画音楽の愛好者で、悩めるヒロインの弁当クッキングの指南役である「おばさん」は声のみのキャスト。而して、ヒロインと弁当が誤配送された先の会社勤めから引退間近のやもめ初老男とのシリアス基調の手紙交換を軸に、伏線は彼の後継となるらしい、自称「孤児」でつかみどころのない青年の狂言回しが塩梅至極のスパイス。ほとんど、この3人の描写あるいは掛け合いで構成されたプロットとその演出・編集に妙が見て取れる。
シナリオの法則というか、男女のすれ違い重ねで「切なさへの収斂」が予感される展開は、どこに落ち着くのか?興味はつながれるが、おそらくは鑑賞者のモチベーションに委ねられる。
一般論として、幸福感を見詰め直すようになれるのは社会が成熟を希求し始めた兆しとして好ましく思う。わが国ではどうなんだ。グローバールな経済社会でローカル各地のテイク・オフには、どんなランディングの諸相があるのかと。

「めぐり逢わせのお弁当」の評価メモ
【自己満足度】=★★★★☆
【お勧め度】=★★★★☆

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