2014年10月2日木曜日

スコッチ・アイリッシュと♪アメイジング・グレイス

NHKのBS放送、再放映で「大河に時は流れる ミシシッピ川 /賛美歌 アメイジング・グレースの旅路」(2002年)という番組を拝見。奴隷商人であったジョン・ニュートンが航海中にインスパイアを得て歌詞を書いたというよく知られた逸話にも増して、「アメイジング・グレイス」が黒人系、白人系それぞれの歴史的社会背景をベースに歌い継がれている重層さに驚きを新たにした。ニュートンの歌詞ではない讃美歌として同じメロディーで歌う、先住民・チェロキーの苦難の歴史は初めて知った。キリスト教や西洋化をいち早く受け入れていたのに土地を追われたとは。
作者不詳とされる「アメイジング・グレイス」のメロディーについて、19世紀前半の楽曲集収載の「セントメアリー」や「ギャラハー」との相当説を紹介。ブリテン諸島ルーツを示唆しつつアパラチア地方で代々、フォークソングを歌う家系一族のレポートでもリアルな映像が見られて面白かった。でも、ここで気になったのは「スコッチ・アイリッシュ」「スコットランド系アイルランド人」と訳していたこと。スコットランド人なのか?アイルランド人なのか??、あらためて考えてみると大いに気になる。スコットランド本国では独立の是非を巡って先月、住民投票が行われたり、わが国へのスコッチ・ウィスキー移植をリスペクトするNHKの連続テレビ小説「マッサン」が始まったりしたばかりだし。
で、少しく調べてみるに、1700年前後のイングランドの攻勢で経済的に困窮したスコットランド人の中でもより居心地が悪いプロテスタント系が北アイルランド(アルスター)へ移民し、さらに1740年代初めの飢饉で米国へと渡っっていったという説明に遭遇。また、ブリテン諸島では使われない言い回しだとも。マーダー・バラッドもスコッチ・アイリッシュの営みと関係を密であることを説く、東理夫氏の著書『アメリカは歌う。歌に秘められた、アメリカの謎』では、凶作動因を1727年、1770年を含め幅広い年代とし、移民の起点もイングランドとスコットランドの境界地区からのボーダラーズおよび北アイルランドからとニュアンスの異なる説明だった。前者は狭義ととらえることもできるが、「スコッチ・アイリッシュ」と括られる移民群の動因・心因も重層的なんだろう。アイデンティティはどんなものか?でもやっぱり、「スコットランド系アイルランド人」の表現には違和感が残っている。

◆過去のメモ◆
♪アメイジング・グレイスに共通して、(2012/02/04)

◆追記◆
再学習として『ロックを生んだアメリカ南部 ルーツ・ミュージックの文化的背景』(著者・ジェームズ・M・バーダマン、村田薫両氏)をめくり返してみると(ルーツをたどり、レスリー・リドルへ、2013/02/04)、「スコッチ・アイリッシュ」とする表現は用いていないようだ。アパラチアへの移民として「先頭を切ったのはイギリス北部やスコットランド、アイルランドから来た土地をを持たない農場労働者や職人」(後にドイツ系やスイス系も)であり「プロテスタント色がきわめて濃厚な文化」を築いたとして説明、一方、彼ら移民が住む地域への蔑みを含む「つくられたイメージ」についても解き明かしていた。なるほど、これもまた忘れてはならない視点。
◆さらなる追記◆
今月に入ってからか、BS‐TBSの番組「SONG TO SOUL One piece of  the eternity―永遠の一曲」で「アメイジング・グレイス」の回を観ることができた。フォーカスはジョン・ニュートン、アレサ・フランクリン、ジュディ・コリンズらで特段の知見があった訳ではなかったが、生うたを披露したジュディのおばあさん然には感慨。歴史的にはジョン・ニュートンの歌詞は複数の旋律で歌われていたそうで、例の「朝日のあたる家」のメロディーによるバージョンもあると紹介していた。これは初耳。ちょっと、立て込んでそれっきりだったが、また聴き直してみねば。(2014/12/22)

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