2012年7月19日木曜日

「ただ君だけ」

「ただ君だけ」(ソン・イルゴン監督、2011)は、期待して見た人の満足を確保した韓流恋愛映画であった。孤独な男女の接近を描写しつつ、カットバックで明かされる、各々の過去の重大事件が交差するといったシナリオ構造は現代映画では常套だが、何よりも、この主演男優・女優の容姿とキャラクターのはまり具合がよい。
エンディングは、あらかた予定調和への収斂が想定されるストーリー・テリングに抗して、観客を軽くいなすようなプロットとその演出力に、脚本にも名を連ねねる監督の力量を感じた。
ところで、孤児院で育った設定の男役は、劇中の洗礼名が「マルセリーノ」。映画がらの引用であることが、台詞で分かるものの、日本語字幕(音声・韓国語は分からなので)では特定映画を示していない。私にとって、ヴィクトル・エリセ、ペドロ・アルモドバル、アレハンドロ・アメナーバルらが出てくる以前、スペイン映画といえば、「汚れなき悪戯」(ラディスラオ・ヴァホダ監督、1955) であった。そう、修道院で育てられた孤児、汚れなき悪戯児童としてのマルセリーノ。映画の展開としては、孤児であること以外、ほとんどリンクしていない。このような引用はハリウッド作品でも散見され、名作視聴による映画教育が機能している反映なんだろうか。監督は若手だと思われるのだが。
「汚れなき悪戯」は、キリスト教観に基づく奇跡が描かれているが、深層は、避けられない死を前ににした人間の心の安寧(落としどころ)だと思う。この映画を知っていて、「ただ君だけ」に入るとエンディングに不安を感じつつ見ていくことになるが、それも監督の計算のうち、とは考えすぎか。
あらためて「汚れなき悪戯」、見直してみたくなりました。


「ただ君だけ」の評価メモ
【自己満足度】=★★★★☆
【お勧め度】=★★★★☆

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