2012年7月6日金曜日

♪インディペンデンス・デイ

キャリー・アンダーウッド(Carrie Underwood)つながりで、カントリー・ミュージック聞き始めの1年半ほど前、店頭で見つけて読んだ『カントリー音楽のアメリカ:家族、階層、国、社会』(2008年)を思い出した。わが国の大学文学部に在籍するロバート・T・ロルフ氏が、「商業ルートに乗り広く歌われた主流のカントリー音楽」60曲ほどを取り上げて、米国の社会・文化・風土とそれらを形成する人々の心性を学究者視点で解読した労作。オリジナルは英文というが、こなれた日本語訳で、われわれ日本人が一般に思い描くアメリカとは違ったイメージを勉強させていただいた。
ロルフ氏は、同書で「最も成功した今日の女性カントリー歌手の一人」で、某歌手のような「天文学的数字ほどのヒットはないが、つまらない作品ばかりを歌うこともない」と、マルチナ・マクブライド(Martina McBride)を評し、持ち歌3曲を詳説しており、その一つが「インディペンデンス・デイ」。今回思い出したのは、現在の若者層はこの楽曲をキャリー・アンダーウッドの持ち歌だと思っているのではとの、脚注での指摘。キャリーは、近年日本でもBS某局で放映されるようになったTVオーディション番組の出身で、出演中から歌っていたという。これも、聞いてみたくなる。
徐々に、カントリーも耳に馴染んできたので、この本で論じられている内容の理解も進んできたかな。

2012年7月5日木曜日

♪マザーレス・チルドレン

カーター・ファミリー(The Carter Family)の「マザーレス・チルドレン」は、「ウィル・ザ・サークル・ビー・アンブロークン」などと同様、ニグロ・スピリチュアルからゴスペルへの脚色と昇華を歩んだ楽曲だった。ライナーノーツなどの解説によると、.A..P.カーターは黒人労働者が歌った「マザーレス・チャイルド・シーズ・ア・ハード・タイム」に着想を得ているという。この曲は、ブラインド・ウィリー・ジョンソン(Blind Willie Johnson)が「マザーズ・チルドレン・ハブ・ア・ハード・タイム」として録音している。
ブラインド・ウィリーのこの楽曲についても、『黒人霊歌は生きている―歌詞で読むアメリカ』(2008年)で、たウェルズ恵子氏の考察がある。ご指摘の通り元歌は、スピリチュアルの「サムタイム・アイ・フィール・ライク・ア・マザーレス・チャイルド(時には母のない子のように)」。「マザーレス・チャイルド」という言葉の含蓄に注目したカーター・ファミリーの翻案バージョンのほか、ジョージ・ガーシュイン(George Gershwin)がフォーク・オペラ「ポギーとベス」にフューチャーし、スタンダード・ソングの定番となった「サマータイム」はスピリチュアルの旋律にインスパイアされていることが知られる。あるいは、ウェルズ氏も言及したように本邦では寺山修司の作詞があり、つながりが見えてきた分、その時代と心性を読むことに興味をそそられる。
「マザーレス・チルドレン」、近年の録音ではロザンヌ・キャッシュ(Rosanne Cash)の歌唱が気に入っている。

2012年7月2日月曜日

カーター・ファミリー

アメリカン・ルーツ・ミュージックのコアな部分を担っているカーター・ファミリー(The Carter Family)のファンを自称しているが、末裔・系譜等のミュージシャンによるカバーバージョンしか知らない楽曲も多々あることを省みて、新たにCD2枚組のセットを2種、ネットで探して調達。うち1種は『THE ACME SESSIONS 1952/56&1956』という2008年英国盤で、何と、A.P.とセイラに、その子息、ジャネット、ジョーによるセッションで、興味深く聞き始めた。計58トラックあるものの、基本は約250曲あるといわれるオリジナル・カーター・ファミリーの録音楽曲が元歌のよう。
ロバート・アルトマン監督の遺作「今宵、フィッツジェラルド劇場で」(2006年)で、メリル・ストリープとリリー・トムリンが演じる姉妹デュオの歌唱「金の時計と鎖」も、オリジナルは手元になかったが今回の両セットにはそれぞれ収載。等々、楽曲リストをつくってみたい誘惑に駆られる。
さて、7月。気候も落ち着き、次のステップを見据えねば。

◆過去のメモと追記◆
□♪ワイルドウッド・フラワー、NGDBから始める。(2011/11/03)
□♪Will the Circle Be Unbroken、カントリー・ゴスペルとは、(2011/11/06)
□♪ダイヤモンドの原石)(2012/01/14)
□♪マザーレス・チルドレン(2012/07/05)
□アニタ・カーター(2012/09/19)
□♪ドント・フォゲット・ディス・ソング(2012/10/08)
□ルーツをたどり、レスリー・リドルへ(2013/02/04)
□♪大きなまだらの鳥(2013/05/11)
□♪キャン・ザ・サークル・ビー・アンブロークン(2013/05/12)
□ウィーバーズまで戻って、♪バリー・ミー(2014/02/21)

2012年6月29日金曜日

《黙阿弥の明治維新》

北海道も、やっと夏の陽射しに。今週は、スクリーンでは取り立てて記憶すべき映画に巡り会えなかったものの、渡辺保氏の『黙阿弥の明治維新』(2011)を読了。これも1997年発刊書籍の岩波現代文庫化。『江戸演劇史』(2009)をはじめ、ここ数年は歌舞伎に関する見識の鍛錬で渡辺氏の著作にお世話になっている。近代演劇の誕生を黙阿弥のワークに見い出す、眼光と批評力はさすが。何よりも、近世から近代へ、時代の変わり目を、断絶ではなく連続として、政治と世相、生活者感覚を踏まえた検証を提示しているところに目を見張る。
黙阿弥の引退作「島鵆月白波(しまちどりつきのしらなみ)」(1881、明治14年)で、舞台に視覚的なセッティングもなされたという招魂社(護国神社、靖国神社の租)が据えられた意図を読み解くなどといった、歴史の語り口である。
何分、歌舞伎と本邦の映画(特に黎明期)は関係が深いということもあるが、芝居を観る、戯曲を読むことへの渇望にも駆られる。批評精神を含むメディア機能を担っていた歌舞伎という芸能の特性から、「脚色」という言葉の深みを知った。

2012年6月21日木曜日

《李香蘭と原節子》

先日、四方田犬彦氏の著作・岩波現代文庫『李香蘭と原節子』(2011年)を読了。2006年(明治39年)が満鉄(南満州鉄道株式会社)の設立100年で、研究出版物や報道等の情報量が増えたこと、同年にNHKで「中国映画を支えた日本人―”満映”映画人秘められた戦後―」が放映されたことなどを契機に、しばし、その周辺学習がテーマとなっていた。同書は2000年刊の『日本の女優』がベースとのことで、こちらは未読だっただけに、映画史家・四方田氏の冷徹な慧眼に基づく論説は、私が得ていた読書知識の整理・統合にとても役立った。
同書タイトルの2人の女優に加え、前述NHK番組で紹介された、満映(満洲映画協会)出身の映画編集者・岸富美子氏の3人が主役、そろって1920年(大正9年)生まれである数奇さゆえの結節点を基に比較批評が語られている。冷徹さの基軸は、2人の女優を、それぞれの「神話」として歴史的に分析していること。ナショナリズムと歴史認識って、リアルタイムで繰り返し政治・経済課題に浮上してくるが、こうしたテキストは、歴史に学び、糧とする意義を確認させてくれる。
四方田氏も提起しているが、上海・中華電影の川喜多長政、甘粕正彦の下、満映で映画製作の実務を担った岩崎昶の両氏について、映画人としての通史研究成果を、もっと知りたいと思い直したところだ。
あと、四方田氏ほど、関連の歴史的フィルムが観れていないのには、羨望の念。

2012年6月20日水曜日

「サニー 永遠の仲間たち」

今週のスクリーンは、「サニー 永遠の仲間たち」(カン・ヒョンチョル監督、2011)から。「タイム・アフター・タイム」(シンディー・ローパー発の)を始まりとエンディングに配置、「ラ・ブーム」(1980)のテーマ曲(?)やボニー・Mの「サニー」を据えて、1980年代のコリアン・グラフティをコンセプトとする女子高在籍者チームの人情絆譚。ジェネレーション映画ともいえるので、これら選曲によってこそ、鑑賞者の支持度に温度差が出るように思う。
さて、私には。日本でも、まだ、大衆的に(?)洋楽が聞かれいたころで、同様の楽曲群がヒットしていたこともあり、ほとんどフィットして充足感を持って観終えることができた。物語の性格上、カットバックを積み上げた語り口といった確かな技量をはじめ、エンターテイメント性の関する韓国映画製作の力を示している佳作であった。一方、欠点ではないが、韓国現代史にとって80年代は政治・経済の転換期で社会性の薄い分、監督は、劇中の「1986年に高校生時代」より、若い世代ではと、よぎったが、どうなんだろう?
ユーロビートのディスコサウンドとして記憶している「サニー」、オリジナルはナッシュビルに縁があるボビー・ヘブ(Bobby hebb)、これはイメージ薄くなっていて、聴き直してみたい。


「サニー 永遠の仲間たち」の評価メモ
【自己満足度】=★★★★☆
【お勧め度】=★★★★☆

2012年6月19日火曜日

♪ククルクク・パロマ

先日、ペドロ・アルモドバル監督の「私が、生きる肌」(、2011)鑑賞から、「トーク・トゥー・ハー」(2002)でのカエターノ・ヴェローゾ(Caetano Veloso)の「ククルクク・パロマ」歌唱を思い出していたところ、前後して、TV放映録画で観た「ガン・ファイター」(ロバート・アルドリッチ監督、1961)で、同曲の劇中パフォーマンスを認知できた。
日本で知られたメキシコ発の楽曲はそうたくさんない中、この曲は、たぶんそれなりに著名か。個人的には、子供時代のわが家に初めてステレオセットが導入されたころに、購入されたハリー・ベラフォンテ(Harry Belafonte)のアルバム所収の歌唱で親しんでいてた。この盤は、ベラフォンテの1974年来日を契機にしたベスト編集、自分ではなく、家族のだれかが買ったもの、今となっては記憶は遠いが、サウンドは残る。バージョン、映画等での楽曲つながりに関心、さらに思い出してみたいが、、、
さて、「ガン・ファイター」、玄人映画ファン好みの職人監督・アルドリッチならではのグッド・ワーク。アルドリッチの西部劇は、もっと観てみたい。